‪「頭が真っ白になる病気なの」‬
‪「脳みそがどんどん退化してるというか衰弱してる気がする」‬
‪うつ病にだった。‬
‪対人関係?原因は自分でも分からなかった。‬

‪実家に戻った。‬
‪母親と距離を置くため、父の職場の院長室に居候。‬
‪ありがたいことに色々揃えてもらえて不自由のない生活ではあったけど、ひたすら狭くて退屈な時間だった…。‬

とにかく毎日ただでさえ動かない頭で考え込んで疲労してた。



1年が経ち。
それもしばらくすると完璧を目指したり無理をしないようになって、だいぶ荷は軽くなったのだけど、ただただ虚しかった。今までの苦労して培った精神性や常識と思ってたものが、一度破壊されたから、手元に何も残ってない気がして。


また、一年が経ち。
ある日、私は家族旅行で再び大好きだった長崎に足を踏み下ろした。
その時、長崎での思い出が次々蘇り、あの頃のみんなにすごくすごく、会いたくなった。久しぶりの強烈な感情だった。
思い切って今まで連絡を経ってきた友人らに1人、2人と、連絡を取り始めた。

今思えばそこからようやく少しづつ新しい私が始動していったんだと思う。


体を崩して3年目の私。少しポジティブになってきた。色々手につくようになってきた。前からずっとしてみたかったフェイクスイーツやドールハウスをするようになった。ちゃんと集中できたし、何より楽しかった。楽しいという感情が戻ってきた。

それからは後先のことも楽天的に考えるようになった私は、あれやこれや、「自分の好きなもの」を求めるようになった。

好きなもの…

好きなもの…



そのときロリィタと出会った。
最初は初めて見るロリィタ高額な値段にビビって眺めるばかりだったが、次第にどんどん「私もこんなお洋服に包まれてみたい」という気持ちが募り募って、それは実体化していった。

Twitterはそのときリア垢しかなかったが、「パニエ」を呟いたことからロリィタさんと繋がり、ぎんたさんと繋がり、ロリィタ垢を作ることにした。



ここからさらに私の生活は徐々に、だけど大きく彩り始めた。

いろんな人の出会いがあって、いろんな人と交流し、いろんなロリィタさんやゴシックさん、皇子さんがいることを知り、いろんなお話をして。「人との関わり」によっていろんな感情が戻ってきた。

背中を押され、お茶会にも勇気を出して行ってみた。本当に楽しくて暖かい空間だった。初めて行ったお茶会が熊本の皆さんのお茶会で本当に良かった。



そして今に至る。こうして私は少しづつ自分の生活を取り戻していけた。
長崎に戻ったことが最初のきっかけにはなったが、人との関わりを取り戻す上でロリィタとTwitterは大きな役割を果たしただろう…。

私はそれでもまだ、親に世話をかけている、ダメ娘だ。
でも、あともう少しだから。
もう少しでちゃんと自分の足で立てるようになるから。歩けるようになるから。

…てことで、お父さん、お母さん!!
来年は予備校に行かせてください、バイトもさせてください!!(笑)

3年分のふりかえり、おしまい。