あるぺこのブログ

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私がよくツイッター上で関わらせて頂いている

とつげき東北氏(@totutohoku)のタイムライン上で

時折登場するお約束のキーワード

 

『4000字』

 

まぁ、要は自分の考えを概略だけでもこれだけで

纏めて書いてこいと言う凸さんの意思表示&試金石でも

あるのだが、まぁ説明はさておき

 

何故か成り行きで家内(馨さん)から

4000字で自分について書いてみせろという事に

なったので早速挑戦してみようと思った訳である。

なんというかまるで10年越しのラブレターめいた

事を今からやりはじめる訳なので若干気恥ずかしい気も

しないではないのだが。

 

10年も極めて身近な位置で寄り添っていっても

今尚、馨さんの事はまだまだわからない部分はある。

これはまぁ彼女だけに特別というわけではなく

人という物を他人が推し量ろうとするその行為自体が

至極難しい事のように感じる。恐らく近い位置で寄り添っても

一生分の大仕事になるであろうし、それでもなお

計り知れない部分が有ることは想像に難くない。

 

まず端的に言えば

生涯の伴侶で居て欲しい人であるし

且つ仲間のようでも有り、親友のようでも有り

もしくはこう愛玩動物というかペットの様な部分もあり

畏怖すべき存在の様にも感じるし、尊敬に値する師の

様でも有る。

 

何を言ってるのかよく分からないように見えるが

それほどまでに多面性が際立っているとも言える。

 

その特性は多分、彼女の疾患にも起因しているのかも

知れないし、逆にその特性が疾患に繋がったのかも

知れないがそこら辺の話はこう『卵が先か、鶏が先か』

みたいな話で本質的な事でもないので詳しくは掘り下げない

ことにする。

 

疾患というのは要は解離性障害なのだが

昔は寧ろ解離性同一性障害(いわゆる多重人格)の

それにかなり近いらしかった。

(らしいというのはその傾向が一番顕著に出てた時期は

私はまだ馨さんと出会ってないので直には知らないという事)

昔は6人+1匹ぐらい居たらしいが、私が直に知っているのは

彼女の本人格以外ではもうひとりだけ。『兄』と呼ばれる

保護者のような人格が居たぐらいだろうか、

 

ああ、そうそう『兄』といえば思い出したが

今からほぼ9年ぐらい前だったか、馨さんがまだ東京ガスの

ラウンダーのバイトをやっていた時に、通勤途中に品川駅

のホームにて通勤中のサラリーマンにぶつかられて

そのままパニック障害の様な症状を起こして動けなくなり

駅員さんに保護された事があった。その時にその『兄』から

自分の携帯にメールを送られた事があり、結構恐ろしい

内容だった様に記憶している(正直、あまりに恐ろしすぎて

自分も内容に関する記憶がぶっ飛んでしまった)

 

その後、失声症を発症したので2週間以上会社を

休むことになったと記憶している。あの時は筆談でしか

会話出来なかったから少々不便ではあったね。

まぁ、その時以来『兄』を見かけることは無くなったが

今でも心に負荷がかかると記憶が飛んだりすることが

あるので、まぁこの特性自体の根っこ自体は恐らく

一生無くなることは無いのだろうなと感じている。

 

とりあえず普段の彼女の様子の説明に戻ろう。

 

馨さんの普段、見せる顔はどちらかと言えば

幼い印象が強い。まるで子供の様である。

本人曰く『女児』だそうだが正にそう。

 

喜ぶ時の反応が割と五歳児

拗ねた時の反応も割と五歳児

で、睡眠時間も10~11時間、

これは5才児の平均睡眠時間に近く

そんなところの生活スタイルも5才児である。

 

外に出て、足元のダンゴムシや咲いている花に

喜ぶ一面は正直、愛らしくもある

(ってこんな事書いてる私が赤面しそうだわw)

 

彼女の趣味の最たるものが小さなソフビやフィギュア、

ぬいぐるみ集めだと思う。私もすっかり生活空間

一面をそれらに囲まれているせいかすっかり感化されて

しまっている感がある。やはり近くにいる人の影響って

強く受けると感じる。そんな訳で自分もぬいぐるみ超好きだw

 

あと気力自体がどうしても少ないのか

普段はその消費を抑えるように割と眠そうにしている

事が多い様に感じる。ただし持っている能力が決して

低いわけではなく、一度脳の回転が鋭く周りだすと

聡明で意表を付いた指摘をしてくることもあり

私をとても驚かさせてくれる。

ただ、心の燃料自体が少ないのか持続力は決して

長くはないし、気持ちが切れると割とスグ眠そうにする。

 

まぁ、普段の子供の様な振る舞いは、本人の素でも

あるのだろうけども、自分の精神を守るためにも

そうしているような印象を受ける。

 

で、ここ最近はイマジナリーフレンドの様に

気に入ったぬいぐるみをまるで友達に見立てるようにして

遊ぶことが多いように感じる。いや、わたしにとっても

それは有る種友達のように接しているなにかだ。

時折、私は彼女とそのイマジナリーフレンドを介して

会話をするということをやっているが、それはとても

楽しみでも有る。

しかし、それはこう今、離れて暮らしている二人の子の

代替の様にも見えるのが少々悲しいと言う部分もある。

病気の為だから仕方がないとはいえ、早く我が子と

恒常的に生活できる状況を実現して欲しいと思う。

 

そういえば、今思い返してみると子供のような一面を

彼女は子供と一緒に生活している時はあまり表に

出さなかった様に感じる。2年前のあの悲劇の一端は

ひょっとしたら『母』の面を多く出していた彼女自身の

疲れもあったのかも知れない。そう考えるとそれを

ケア出来なかった私自身も実に申し訳のない事を

してしまったのではないかという想いに駆られるばかり

である。

 

私は彼女と10年過ごしてきたが、実は2年前に一度

別れ話を告げられて2週間ほど別に暮らしたことが有る。

家を出る前2週間ほどの彼女のことは今でも思い出すと

心の芯が冷えるような感覚に囚われるような冷たい目を

していたように思える。あんなに冷酷な目をする人だとは

あの時は思わなかったので、私も自業自得の面があった

とはいえ余りの事に職場で発狂してしまった。

 

冷静に考えると相当恥ずかしい事をやってしまった

様に感じるが、そんな事はどうでもいい事に思えるぐらい

私の心の中での比重が大きかったのである。

もはや依存の域に達していたのだろう。

 

ただ、その時の多大なショックのおかげで

30年以上悩まされていた潔癖症がわずか1週間で

治ってしまった。こういう事を言ってしまうと難かも

しれないがそれは私にとっては感謝してもし切れない

経験でも有る。払った代償は決して小さくなく

馨さんにも大きな負担をかけてしまったので申し訳ない

気持ちでも有るのだが。

 

この二年間、二人で過ごしていて感じるのは

馨さんの非常に深い後悔の気持ちと、子供に対する

愛情だった。時折、寝床の中で子供たちに会えないことを

涙ながらに語るのを聞いていると私自身もひどく居たたまれない

気持ちになって胸が苦しくなる。

 

子供は一度、児童相談所管轄案件になると

なかなか会わせてもらえなくなる、特にどちらかの親に

精神疾患が認められる場合は尚更そういう傾向が強くなる。

子供と再開を果たしたのは私達の場合でも1年半経った頃

だった。

 

そこからおよそ1ヶ月に1~2回、子供たちとの面会が

始まった。最初は少し子供たちとの間がややギクシャクしていた

様な印象を感じたが、2,3回ほどですぐ慣れたように感じた。

 

別れる時は時々寂しそうな表情を見せるものの

最近は随分気持ちが安定してきているように感じる。

春までには同じ屋根の下で子供たちと暮らせるように

私も願って止まない。

 

なんだかこう全然纏まってない文章になってしまった。

正直、馨さんの事を思い返すと普段言語化出来ていない

領域に向き合うことになるので至極大変である。

あと、時折手が止まるのは自分にとってもトラウマになる

様な事柄が出てくるからなのかもと思った。

 

で、ここで話を緩い方向に戻すが

趣味の傾向はあまり家内と似ていないと思う

ぬいぐるみに関しては自分が感化された面があるとは思うが

その他の趣味で共通項のあるものは決して多くない様に

感じる(まぁ全く一致しないと言うわけでもないが)

 

食生活の好みは結構一致する部分はあるものの

実は付き合って当初は結構その微妙なズレで違和感が

あったのを少し覚えている、ただあまり問題が今はないのを

見るに、お互い合わせられる部分は自然と合わせていけたのだろう。

 

この、『自然と合わせられる』というのは長く付き合う上では

大事な要素の一つだと思うが、同時に危険な要素でもある

故に話し合いをし、お互いの事で妥協する部分をすり合わせる

事が大事だと考えるし、それに不備があったからこそ二年前の

事があったのだろうと思う。

 

馨さん(´・ω・`)貴方の忠告を無視してきてごめんなさい。

潔癖症の治療の為に病院に行けという忠告を無視してごめんなさい。

それによる巻き込みに子供たち含めて3人を付きあわせて

ごめんなさい。

当時、対戦ネットゲームに嵌ってたけど、負けこんだ時に

『負けてる時は大人しく寝て頭冷やしなさい』という有り難い

忠告を素直に聞けずに、且つ八つ当たりまでしてごめんなさい。

 

本当にごめんなさい。

ごめんなさいとこれだけ言っても決して許してもらえないだろうと

当時思ってたし、許してもらう資格も無いと考えていたのに

 

貴方は戻ってきてくれた。

 

本当にありがとう、ありがとう、本当にありがとう

どんなにありがとうと言っても言い足りないぐらいにありがとう。

 

二人三脚と言う言い方は割と陳腐だし古臭い気もするけど

そういう風にこれからも付き合ってほしいと心から

本当に心の底から願ってます。病める時も健やかなる時も

ずっとずっと心の底から一緒に居てほしいです。

 

一緒に暮らすということは決して綺麗事ばかりではないし

今までだって色々とこう悩ましい事もあったとは思うけども

 

いままで一緒に居てくれてありがとう

いつまでも一緒に居てほしいです。

 

面と向かって語るには凄く照れくさい言葉かも知れないですが

今でも、誰よりも、これまでも、これから先もずっと

 

 

大好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

随分と久しぶりにアメブロの管理画面を開いてみましたよ。

なんというか通常はTwitterでの呟きで概ね足りているので

こっちはあんまり使わないのだけど、とかくTwitterの方は

長文を書くのには全然向かない訳なんでそんな時は

こちらの方を利用するって流れになっているわけでありますね。

 

(正直、こっちに取りまとめるぐらいならnoteでもやったほうが

よりいいのではと思わなくもないのだけど、なんとなく面倒

なのでコッチをそのまま使っているのだけど、それはそれで

勿体なかったりするのかな?なんかこう無償で労力使って

るみたいな感じにもなったりするだろうし。でも自分の文章

とか実際売ったら買い手とか付くのかねえ?とか

少々思わなくもないのだけど、その辺はとりあえずあまり

深く考えずにやってみるというのもまぁ有りなんだろうなと)

 

で、前にも凸さんの言うところの4000字に纏めてこい

みたいな話の事をブログでもツラツラと書き連ねた事は

あったんだけども、今回もネタとしてはそういう話を

また持ってきている訳です。ええ。

 

で、件の凸さんのTwitterの内容を引用

 

>私が「4000字」と言うのは、一種のフィルタリングです。 

>ちょっとだけ物事を根拠付きで考えたら、その文字数では

>全然足りないだろうし、最低限、前後で矛盾がないかチェックできる>でしょう。 遅くて30分でサクッと書けないなら、その人はその問題に>ついて、思考が全然できていないとわかります。

 

とあったので、まぁ実際に戯れで本当に今やってみているのが

この当該記事な訳ですよ。そうして自分もただ書くだけなら

30分あれば余裕とかリプライでぶっこいてるんだけども

果たして本当にそうなのか、それを検証しようというのが

今回のこの記事な訳です。まぁ実は歯医者の予約があと1時間

半ほど後にあるんだけど、それまでの暇潰しって側面も

まぁあるんですけどねえ(´¬`)、これはこれで意外に楽しいw

 

で、現在のところこれを書き始めて12分ですが

この時点で既に840字弱でしかないのでペースと

しては凄く危ない状況だぞww

大丈夫か私www

 

出来なかったら自分で言っちまった手前ちょっと恥ずかしい

のですがそれはそれでネタとしては美味しいので

そのまま悪びれずに突っ切ろうと思いますので、どうか

皆様、よろしければそのままご静聴の程をよろしくお願いできれば

幸いでございます。

 

まぁ・・・30分でどうこうというのは煽りも多少あるとは

自分では思いますけどもねえ、それに正直に付き合ってみようと

考えた自分が馬鹿なのでしょうかw

今、丁度1000文字強で15分を費やしております。

予定してたペースの半分程度でしかない状況に少々

戦慄を覚えておりますw

 

さて、無駄に尺伸ばしを計っているばかりでは内容が

酷く空虚になる懸念がありますので、ここは少しばかり

実の有りそうな事をぶち撒けてみようでは有りませんか。

(既に空虚であるという感想は却下するからなw(何様))

 

まずこれは以前に凸さんも言っていた事なんですが

あくまでも4000字というのは一つの基準で、別に

2000字でも1400字でも構わないので、自分の

考えをある程度の文章量に纏める事が大事なこと

何ではないかと思います。ただTwitterにその場限りの

思い付きの事を書くというのは実に反射的で

且つ非生産的な時間の無駄になりがちな部分もありますし。

 

要は何かを書き記すというのはある程度纏まった

文章量が必要ですから、そもそもが140字の束ぐらいでは

どうしようもないという部分が大きいのです。

例えば、何かの理論体型をそれこそ3行に要約して

話せって言われても無理でしょう。物事にはそれを

書き記すのに最低限必要な量の記号が必要なのです。

その辺は『本当に頭のいい人は難しい事を簡単に説明できる』

っていうまぁ下らない話に関して、凸さんの著書で明確に

反論している話でよく分かるかと思います。

 

って、その辺は多少の論理的な思考が出来る人間であれば

別に自然と身につくものであるかと自分は考えるのですが

まぁ、実際に分からないのではあれば、それについて

明確に書いてある本を読んでみるのも宜しいのではない

のでしょうか。わからない人の為に以下の本をオススメ

しておきます。アマゾンでさくっとポチってやってください。

 

 

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とまぁ、凸さんへのご機嫌取り(w)も兼ねた書き込みで

少しばかり尺を稼いでみた段階で既にほぼ30分が

経過し、自分の吐いた言葉が完全に大口と化す未来が

確定しました(´¬`)(ちーん

まだ半分程度しか書けてないやんけwww

 

とりあえずまぁ、そこはこれを書き上げた後に

凸さんの当該ツィートで行う予定の土下座ネタで

許してもらうとして、そもそもなぜ4000字なのか

という部分について、前回同じ主題で書いた記事と

半ば内容が被る部分が出てきますが、その辺を

少し説明したいと思います。

 

まず4000字という量についてですが、これは原稿用紙10枚分

に相当する内容で、超短編小説(所謂ショートショート)一編相当の

文章量とほぼ同等です。

この量を実際にやってみれば分かるのですが、この中に

起承転結を上手く混ぜ込むのって本当に難しいです。

 

逆に長くしたほうがかかる時間の事は置いといたとしても

ある意味ではずっと楽だったりします。記述するための記号を

入れる余地が本当に少ない。特に小説の場合は情景描写の為に

色々な婉曲的な書き回しで盛る事も多いために、この制約が

本当に辛い足枷になります。あー長々と書きてぇよぉぉっw

このジャンルの第一人者であった星新一先生の偉大さが

偲ばれますね。

 

だからまぁかかる時間の事を置いといたとしても

本当に何かをそれなりに考えてるのだとしたら4000字程度

ってすぐ使い切って当然なんですよ。確実に尺足らずに

なってしまいます。むしろ10000字以上あっても全然足りません。

 

前も話しましたがここで何も出てこなくなるようなら

そもそもがインプット不足な気がします。だからアウトプットの

の方も自然と貧弱になる。むしろある程度以上の人生を

生きている人ならばそれ相応の何かを溜めているってのが

当然なんじゃないかと思うのですけども、案外世の中そういう

ものでもないってのは軽い失望感を覚えたりします。

 

で、4000字がフィルタリングとして機能する理由も

その部分に尽きるんだと思うのですよね。

世の中の人の大半がそうなのだとすれば、これで大半の

どうしようもない人は弾けてしまうのですよ。つまるところ

ここで残る人間は少なからず、最低限の知識、判断力

分析力、あと思慮深さが見込めるというわけです。

 

人の一生は有限なので、使える時間に限りがあります。

だからこういうフィルタリングは生きていく中で必須な

戦略であると私程度のボンクラ(w)でも理解できますわ。

このボンクラ以下しか頭がまわらないというのは

非常に問題があります。まずはせめて私がなぞってる

程度の事は出来るようになりましょう(すごく傲慢な物言い)

 

こういうと、私自身の言い訳も兼ねている様に

取られるかも知れませんが(ってか言い訳なんだけどww)

実際のところは時間をかけたっていいと思います。

問題は自分の考え方を文章として体系的に纏めて

それを提示するという姿勢そのものなんです。

別に4000字に4時間も5時間もかけたって構いません。

それだけ書けば自分が書いたことを改めて見直す

いいキッカケになりますし、そこから推敲し直すことも

良い勉強になると思います。

 

で、これも凄く凸さんの意見と被るのですが

自分の書いたものをドンドン衆目の中に晒していきましょう。

別にみっともなくてもいいし間違ってても構いはしないのです。

そもそもそれを恥だと考えて躊躇するほうが勿体ない。

 

どうせ人間は皆弱い存在に過ぎません、強そうに見える

人間もそういうハッタリをかましているだけに過ぎないのです。

本当に強くなりたいのならば、まず弱い自分そのものを

自分の一部だと受け入れて許す事が大切だと私は考えています。

 

みっともなかったり、頭悪かったり、人が怖かったりする

そんな自分だって自分自身なんです。それを要らないって

放り出すなんてそんなの可愛そう過ぎます。正直これ

書いてるときもその事を思うと少し涙ぐんでしまうぐらい

皆さん、自分の大事な一部を嫌っている人が多すぎる。

 

正直、少々臭い物言いかも知れませんが真剣に

自分を愛してあげて下さい。そうして身近な他人も

尊重して愛してあげて下さい。そうすれば幸せに

近づけるのではないかとそんな事は想ったりします。

 

って、少々感極まり過ぎて本題から逸れた気がしますが

この時点で既に1時間が経過してしまいました。で

現状3600文字弱です。全然駄目ですね(´¬`)w

 

で、話を戻しますが文章を衆目に晒すことに恐怖はある

と思います。それを無くせとはいいません。自分も正直いって

その恐怖はずっと持ち続けています。でもほんの少しの

勇気をだして、その恐怖を友として寄り添いながら

一歩前に踏み出して欲しいと私は皆様に切に思います。

(まぁ、恐怖が無いという人はそれはそれで得なんで

そのまま突き進んで下さいw)

 

まぁ、晒したら自分の考えが色んな人に叩かれるかも

知れません。しかしまぁやり慣れない人間の文章が

ある程度稚拙になるのはソレはしょうがない。一部の超天才

意外はどうせ最初はそんなものなんで気にしないで

ドンドンやっていきましょう。明確に間違ってても

謝って次に活かせばいいんです。まぁ不遜でないのに

文句言ってくる人がいるようならそれは無視してしまいましょうww

そうやって徐々に自身の知識や持論をブラッシュアップして

いけばいいのではないかと思います。

 

ちなみに自分も段々、こう『思います』って言葉が段々

増えているのは少しやってるうちに煮詰まってきている

のがあったりする可能性大w

小学生の作文みたいになってきそうな部分をなんとか

押さえながらやってたらまぁ、あっという間に4100文字弱です。

(1時間8分かかったけどあっという間ということにしておけw)

 

ま、自分ですらそんな感じなんで別にそんなに気負う必要は

なにもないんですよ皆さん。もっとこうおおらかに生きましょう?

まぁ・・・おおらかに生きましょうと言ったところでそれが

簡単にできるような苦労はしねえよと思う人もいるかも

知れませんが、もし良ければ私なんかで良ければ、いくらでも

相談に乗りますよ。為になるかどうかは保証はできかねますが

私自身は人の相談に乗るのはとても好きなんで是非

貴方の悩み(?)とか聞かせてほしいかと思います。

 

そんなこんなで歯医者の時間が近づいてきたので

このへんで締めとさせていただきます。

あー、いい暇つぶしにはなったなあ(´¬`)w

 

ってか虫歯の根管治療とか、もう9本か10本目だけど

未だに慣れねえよぅ、別に痛いことは少ないんだけど

ドリルの音がどうやっても生理的に慣れねえwww

 

そんな訳で皆さん、ここまでご静聴ありがとうございました

アデューwww

 

目黒女児衰弱死事件での優愛ちゃんの父親の裁判にて

今月の15日、一審で懲役13年の実刑判決

(ちなみに母親は懲役8年だったか)が出たのだが、

社会秩序を保つために重罪を与えるべきだとは

私も思うのだが、感情的な所で言えば実はさほど

どうこうという気持ちは湧かない。

 

別に子供が可哀相じゃない訳ではない。

自分も同じ様な歳の娘がいるので

それに重なるような感じがして居た堪れない

気持ちになるというのも本音としてある。

 

ただ、本件に関して憤りを覚える先は寧ろ、親当人達よりも

この国の行政の在り方である。

 

少し話は脱線するけども、私が昔、母親から言われた事で

未だに嫌いな言葉がある。

 

『あんたは感謝のしみちも知らん(貴方は感謝の仕方も知らん)』

 

感謝は強制されてやるものではない。人に感謝するという行為

そのものは崇高なものだと私自身は思う。ただそれは強制して

しまった瞬間にその輝きは腐り果て地に堕ちるとも思っている。

 

感謝・愛情・慈愛・・・・そのようなものは誰かに押し付けられて

やるようなものではない。そもそもそう感じていない人間に

それを強要したところで、表面上は取り繕えたとしても

そんなものはまやかしに過ぎない。

 

故に仮に子供に愛情を感じていない親というものが

いれば然るべき施設が取り上げて、そこで育てるのが

子供にとっても幸せなのでかないかと考える。

 

自分が児童相談所等の施設の増加や、連絡網の充実

児童福祉司等の職員数の増加等を望むのは

親の愛情を受けられない子供達の幸福にそれが

適うからとの考えからである。

 

優愛ちゃんの親が子にとって酷い両親であったという事は

酷いことかもしれないが、その親の感情そのものはもう

どうしようもないと思っている。でも行政がもう少ししっかり

していれば優愛ちゃんをしっかり保護できて、より幸せな

道に近づけることが出来たのではないか?

 

そんな風に思っている。