ゆく砂の流れはやがて絶え、しかも元の大地にもどる。
掌に残る温もりは、久しくとどまることはなし。
世の中にある人と、栖とまたかくのごとし。
方丈記になぞらえてみました。
さらさらと
流れ落ちる砂の感触に、何を感じるのか
残っている砂の重みや温もりに、何を感じるのか
どちらに対する想いが強いのか
自分のことに置き換えて、どう感じるか?
深い深い問いかけです。
これに
こぼれ落ちた地球のすべての砂を感じること
を加えれば、3つの事象を捉えられます。
手に残っている砂。
流れて行く砂。
山になって地球に戻る砂・・・
手に残っている砂が、自分自身。
流れて行く砂が、無常なる物・・・
山になって地球に戻る砂が、常なる物・・・
常なる物の一部である私たちは
それを意識することによって
流れる砂のように
キラキラと輝くことができると思います。
自我(エゴ)の殻の中に留まっていては
砂の一粒のように流れることが出来ません。
ダマになって「ボテッ」っと落ちてしまいます。
私は減って行く砂を感じるより
溜まっていく砂を眺めるより
手からこぼれ落ちる砂を感じるのが好きです。
それは今!この一瞬を感じることだと思います。
減って行くことを案じても
それは無常です。
溜まっていく砂は
溜まっているのでは無く
元に戻っているのです。
手のひらから砂が失くなったら
又すくえばいい。
そして今度は
さらに輝きながら流れられるように
自然体で永遠に変わらない常なる物を
意識して生きたいと思います。






