コリア旅日記 ①
【七人の侍+ONE】
“石原杯”というコンペは川崎市立四谷小学校の昭和44年度卒の何人かが集って、10年
ほど前に始まったが、職業もそれぞれだから幹事役は大変である。
今年はなぜか二泊三日の『韓国ゴルフツアー』だったが、それでも“石原先生”をいれ8名
2組のコンペが“外国”でやれたのだからすごい(笑)
特筆すべきは『石原先生も年だし外国でゴルフをするのも今回が最後かも知れないから、
参加した方が良いぞ・・・・』と勧誘したのが幹事役のS・KONNOで、『そう言うことなら、
何が何でも行くよ』と勤務先からは有給休暇と、奥方からはお小遣いの前借りをして久々
に参加したK・SATOHだったが、出発の朝のあまりにも元気そうな“石原先生”を観て
落胆したことだろうが、なにはともあれ川崎市立四谷小学校、昭和41年度卒の『七人
の侍』が打ち揃っての“韓国打ち入りの旅”となった。
もっとも『七人の侍』のなかでK・SUZUKIだけは、四谷小学校の卒業生ではなく、彼等
の高校時代の親友なのだが、出来の良い“教え子”のような顔をしながらこの仲間に加わ
って34~5年が経つ。
ニックネームは今に至るまで小生命名の『眠狂四郎』だがそのいわれは後述しよう。
ASIANA航空を利用したのも、羽田空港なら“石原先生”も迷子になるまいという親切
心だったらしいが、空港の片隅にある“国際線”まで行くのに駐車場に連結する“ターミ
ナル2”から、循環バスでパッケージを引きずり、ゴルフバックを担いでのアプローチはな
かなか大変だった。
金浦国際空港に着いたときには、明日のゴルフが心配になるほどの雨降り・・・・それでも
みんなの顔は、給食前のあの時の顔に似て明るい。
その夜も雨は降り続けたが、S・KONNOの知人の美人ガイドさんがチョイスしてくれた
食事もショウパブも、その後で5000ウオンの折りたたみ傘を差して訪れた深夜の南大門
市場にも感動した・・・・10年ぶりだった。
小学生の頃からお調子者のT・NAKAJIMAは、ショウパプで観た男性ストリッパーの
踊りに「おれにもあのくらいは踊れるよオ!」と豪語していたが、チラリと見せた“男”ぶり
のあまりの見事さに「あれには参った・・・・」と、それ以後は意気消チンの態。
雨の南大門市場
翌日はソウル郊外(車で1時間半ほど)の名門【FUNHWASAM CC】で “石原杯”
のコンペ。昨日とは打って変わっての好天気で、ゴルフ場も素晴らしかったし、キャディさ
んもなかなかの美人であった。
一緒のパーティM・YOKOTAの、華麗なる“鶏の引きつり脚ショット”には、みんな感動
し涙を浮かべながら笑いをこらえたものだ。
後で聞いたのだが後続のパーティだったK・SATOHは二日酔いで体調が悪く、チョロリ
チョロリと刻み打ちしている間に、カートはさっさと前に走り去ってしまい、息も絶え絶えの
残酷きわまりないプレーだったという。
かくして
優勝:T・NAKAJIMA
準優勝:“石原先生”
三位:S・ISHIWATA
渋いゴルフで三位に食い込んだS・ISHIWATAは“石原杯”参加二回目だが『今日は
ダメだア・・・・大タタキばっかりですよぉ~』と、周囲に泣きまくりながらのプレーだったが
この健闘ぶりに“頭を大タタキ”して泣かせたくなった。
何という鳥だろう?
その風貌が中嶋常幸プロによく似ているY・OKAは、前夜から入れ込んでいたものだか
ら、気負いが過ぎて今ひとつ実力が出せなかったと言うことらしい。
その日、【FUNHWASAM CC】でプレーが出来たのは幹事役S・KONNOの友人
である“丘(KWOO)”さん等のコンペに、我々が便乗した形をとって実現したものだっ
た。
プレー後の焼き肉パーティも彼等と一緒だったが、やがて“カムサミニダ”の連発で
“丘さん”のお友達とお別れして、一路ソウルへ・・・・と思いの外“丘さん”の運転する車
が向かった先は、彼の会社ちかくの海鮮料理屋だったのだが、なんとそこに一時間半
前に別れた“丘さん”のゴルフ仲間が集まってくれたのだ。
時刻は午後10時を廻っているというのにそれが不思議だった。