東京~京都は理由がわかるだろうが
横浜からアメリカ経由でヨーロッパに行ったのではなく
敦賀からウラジオストック経由でヨーロッパに行ったようだ

鉄道が東京から敦賀まで開通すると大陸連絡列車を走らせていたようだ


当時のパンフレットにもヨーロッパへといううたい文句がある


このルートをとおり、あのナチスから逃れたユダヤ人たちがアメリカへ、上海へ、オーストラリアへと旅だっていった


当時の人たちの証言が集めてあり
素直にユダヤ人たちを敦賀市民が受け入れたわけでなく
不安と助けたいという人道上の気持ちが葛藤していたことがわかる


アメリカなどに無事に逃れたユダヤ人たちの証言は岐阜県八百津にある人道の丘杉原千畝記念館に展示されている


あわせて見学して立体的に理解できた


そんなを見ていたら2時になりまた昼食タイムを逸する


さすがにこの時間からお腹いっぱい食べてしまうと眠くなるのでコーヒーとパンを走りながら食す


帰りは国道303を通り揖斐川から岐阜市内に入った


帰着は5時半


ごめんなさい写真もないけど
現実逃避の一日でした