褒めることの弊害


一般的に叱るより褒めろとか、褒めて伸ばすとか言われているが自分は100%OKとは言えない。


確かにできたことを褒めたり、してはいけないことをしたら叱るのは悪いことではない。


正しいからこそそこで思考が止まることも多いのだが、よく考えてみるとみえてくることがある。


まずは、褒めるというのは相手の行動をコントロールする。つまり依存させる。


できたら褒める。できなかったら褒めない。これはペットの躾に似ていると思わないだろうか。


できるようになればなるほど、主人に依存する。


会社組織でもこの心理を使った人事制度は本当によくできた風土を築くことができる。自分にとっては非常に容易くできる。相手(社員の)承認をベースにしているから悪い気はしないし、何をすれば喜ばれ、認められるから頑張る。とても健全にみえる。


それは本当か。

本当に幸せを感じているか。認められるために頑張ってるだけではないのか。できなかったときの恐怖に怖れているだけではないのか。


自分にはそういう人たちは主体性を失い、コントロールされることに安心を感じて流されているように見えてしまう。


人は自分で決めて自分で動くときに本当の力を発揮し、生きがいを感じるものであると思う。ときに人に背中を押してもらったりはするが。


今、自分の教室の子供たちがそのまま大人になって社会に出たら、それこそ上記のような人事制度のしっかりした、世間ではいい会社と言われているところでは基準外もいいところだろう。例外でその子はできなくてもよい、となるかもしれないがなんにも嬉しくはない。

ここに今の会社組織マネジメントのまやかしと限界を感じる。


指示命令もしない、コントロールもしない、褒めもしない、しかし人が満たされ感溢れて生き生きと志事をするマネジメントがある。

子育ても人材育成も基幹はおんなじ。

この新しいマネジメントが増えていけばいいけど期待はしない。

目覚めて気づいた人からやっていけばいい。いつだって門戸はひらいている。


どうやってシフトしていくのか。そのためのヒントになるかも。


無償の愛って知ってるかい。


勉強できなくたって、運動できなくたって、言葉がしゃべれなくたって、手足がなくたってただ存在してくれるだけで嬉しいと我が子に言ってるお母さんやお父さんのことだよ。


条件でしばっているのは嘘の証拠さ。


何を感じましたか。感じたままでOKですよ。