瀬田の母との別れ
6月4日
瀬田の母が亡くなった
危篤の知らせに駆けつけた時には既に意識は無く脈も計れなかったが
耳元で歌うとしっかり聴いてくれていた
感謝を込めて「母」を贈った
姉のように慕うクニコさんと私の到着を待ってくれていたようで
私達が出掛けた直後に眠ったまま息を引き取った
享年82歳
穏やかな美しいお顔は
闘い抜いた生涯を物語っていた
本当に綺麗だ
ここ数日は連日瀬田に通っていたが
今日出棺を見送り
仕事に向かいながら
なんとなく久しぶりにアメブロを書こうと思った
瀬田の母とは
以前住んでいた家の大家さんの奥様である
当時から、今時こんなに温かい人間関係を都心で築けるのかと思うほど
娘のように可愛がって頂いた
私があの家に入居したきっかけは
一人になり、愛猫カヤの夜鳴きが晩年酷くなったことで賃貸の近所が気になり出したからだった
瀬田の母も黒猫を飼っていたので
どうぞ猫ごといらっしゃい、と瀬田の父と快く迎えてくれた
お陰で、カヤも私もストレスを溜めることなく
最期まで安心して暮らすことができた
カヤの見送りの際も一緒に泣いて寄り添ってくれていた
◯◯作り過ぎたから降りておいで〜
と連絡があると階下に鍋を持って降りて行く
時間がある時は一緒にご飯を食べて他愛無い話をする
時々ガールズトークになるととても可愛らしくて沢山笑った
私がコロナ禍に頭を打って半年寝たきりになっていた期間も
瀬田の母がマメに食事を差入れてくれていたお陰で他の臓器を壊さずに済んだ
なんといっても
凛生LIVEの際にはいつも
楽屋おにぎりを何十個も握ってくれて(その為だけに大きい炊飯器を一台買ってくれていたのだ)
手作りのお漬物と愛情が有り難かった
凛生さんのLIVEはいつも美味しいお袋の味を味わえるから今日も食べて来てません!
と、バンドメンバーやスタッフさんたちも楽しみにしていた
それもそのはず
瀬田の母は薬科大卒業の元薬剤師さんでとても賢い
そして身体に良い物に敏感だ
食事も素材の味を活かすシンプルな味付けで私好み
味覚が近いことでも距離が縮まった気がする
瀬田の母曰く
前世で私はあなたにとてもお世話になったから今世でお返しをする機会をもらった気がするの
いつもそう言ってくれた
私が両親の介護で瀬田を離れ
突然赤ん坊の子育てが始まった中での引越時には
ちょっと30分ばかり預かってほしい、と
何を預かるの?と言う母に
赤ん坊を手渡した時の驚いた顔は今でも忘れない笑
あの頃は色んなことが急激に重なって
1から伝えている間も無かったのだ
以来、ウチの子は
瀬田のばあばと呼び、本当にお世話になり可愛がって頂いた
来年小学生になった時にランドセルを見せに行くことを楽しみにしていたけれど
空の上から見てくれてるね
そんな面倒見の良い瀬田の母は波瀾万丈の人生を乗り越えてきた苦労人だった
若い時に最初のご主人を亡くされ
息子さんも早くに亡くした
ご自身の癌は未だに体中に残っていたはずだが奇跡的に生かされていた
晩年は次々と病に倒れ、思うように体が動かなくなった矢先
2年前には娘さんまでをも先に亡くし
以降寝たきりになってしまった
会いに行くたびに言われた
あなたは忙しいのだから私に時間を使わなくて良いの、さっさと帰りなさい
それでもしぶとく私がいるものだから、観念して弱音を吐き出す
寝たきりになる辛さがわかるだけに
2人で弱音を言い合って最後に励まし合って笑う
いつも誰かの瀬田の母だったのだと思う
私お節介なのよ、って笑いながら
誰かのことを想い、誰かのために尽くす人だった
あの笑顔に
私を含めどれだけの人が救われただろう
ありがとう
本当にありがとうございました
大好きな瀬田の母
来世でまた会いましょう