ライナスのブログ

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本日バングラディシュ大使館へ行った。


目黒駅から徒歩10分ぐらい。以前ゴキブリ展をしていた寄生虫博物館のもうちょい先の住宅街に溶け込んでいる。


9時半ぐらいに行くと、前には約5人くらいが手続き待ちであった。



ビザの申請には下記の3点が必要。

①申請用紙

②3.7cmの写真3枚

③パスポート


あっさりと申請を受理された。ビザは翌日発行だが、仕事のため2週間後に受け取りに来ることを英語で伝えると…何とその人には英語も日本語も通じない。


拙い日本語で『明日』を連呼。


なんなんだこの人は。


電話対応していたもう一人は英語が通じたため、無事に確認できました。


やっぱり面白いなー

さてあっという間にインド最終日。


 デリーには深夜に到着。宿が空いているかわからないけど、とりあえず初日に泊まった宿を目指す。宿に着くが、対応は冷たかった。『no room』の一言。


 さらに奥へと歩くと、リキシャのおっちゃんが勧誘してきた。ここでも良いかなと思ったけど、話を聞いてみると、少し距離があるから乗っていきなよと言ってきた。どのくらいかかるか聞いても案内するから大丈夫だ。連れて行くから乗っていけの一点張り。めんどうになってきたから、振り切ってさらに奥へと歩いていく。


 無事に宿も見つかり(一泊200円)、就寝。

朝7時くらいに起きて、行動開始。ガンジーの墓と記念館に行ってきました。


 そしてもう一つ大事な使命が。それはお土産。職場等にお土産を買わなくちゃと思い、再度メインバザールへ。迷った挙句に、チャイにしました。ベタですね。

 

 少し離れたところに政府系のお土産屋があると、教えてもらっていたので、残りの時間はそこで過ごしました。チェスセットに一目ぼれ。何度も言ったり来たりして、意を決して購入。値段はもの凄く高かった。でも欲しかったし、記念にはなるし、後悔するぐらいならと思って買っちゃった。


インドは暑かったし、きついこともあったけど、最高でした。

またいつか必ず行きたいと思う。



さて7日目 体重いが、気合いの観光。

 
 一夜明け、体は重いが、改善の徴候はあったため、観光へ出かける。今日は金曜日。タージマハルはお休み。タージマハルにも休みがあるのです。そんなわけでアグラ・フォート(城壁があって結構広い)へ行く。

 アグラフォートは、まー時間つぶしみたいな感じでした。面白かったけど、正直、アグラはタージマハルを見たら、日帰りで十分なくらいの印象でした。
 
 ただ時間はあるため、アグラの町をぶらぶら歩き回りました。地元の民に混じって観光客がほとんどいないような場所を歩いたり、知らない間にバザールにたどり着いていたり、イスラムのモスク(礼拝堂)であるジャマー・マスジットへの入り口がわからなかったり…。なんか面白いことないかなーと探し回りました。
 
 宿に戻り、最後に屋上レストランからタージを眺め、夕食を食べていると、日本人2人と、その女性ガイドが来ました。日本の方はなんだかあまり英語も喋れないようでしたが、ガイドの日本語が達者で驚きました。

 日本人がさらなる屋上へ行ってる間に、ガイドに話しかけると、話が盛り上がり、最終的には携帯の番号を訊かれ、携帯番号まで教えてくれた。バラナシでの青年、アグラでの女性ガイド、あまり電話帳が増えない私にとって、たった2~3日でかつ異国の人が2人も電話帳に増えるなんて素晴らしいです。

 さてアグラ→デリー18時発の電車のため、余裕を持って一時間前に到着。ホームで電車を待っているとまた日本人のりょうに再会。いやーなんだか1人で待つのも暇なので、ほっとしました。


 二人で旅の話をしながら待っていると、電光掲示板には19時到着と一時間遅れの表示が…。今まで乗った寝台は、目的地到着が遅れただけだったので、初です。やっぱりインドは電車が遅れるのですね。


 さーさらに話をしていると、物乞いの子ども達が寄ってきます。おそらく動かない私達は言い方は悪いですが良いカモでしょう。しかし全員にあげれば、こっちの懐がもたない(実際には1~10ルピーと2~20円の世界なので払えるが、インドに来ると、その10円を値切ったり、実際にはもっと小額の値切りさえしてきた)。だから子ども達にも全員にあげるわけにはいきませんでした。自分の気が向いたら1ルピーをあげたり、日本の10円をあげたりしていました。りょうは日本の飴を持ってきていて、それをあげたりしていました。訊くと、日本の飴は美味しいらしく、別の町であげたところ好評だったとのこと。
 
 子ども達に接していると、周囲の人の中にも、微笑みながら眺めている人、露骨に険しい顔をする人、私たちに話しかけてくる人など様々な反応でした。おそらく外国人である私たちに向けているのもありますが、カーストによるものもあったように感じます。インドに来て、駅のベンチに座ってたときに一番カーストを意識しました。   

 ホームで寝る人、それを当然として通り過ぎる人、物乞いの子、物乞いの子のすぐ横で親にねだってお菓子を買う子。本当にどういう気持ちなのでしょうか。法律上は廃止となっているカーストが根強く残っていて、それが普通なのでしょうか。ただ日本にも差別はあり、その差別とはどう違うのでしょうか。結構考えました。

カースト制という生まれながらにして身分・人生が決まっている場合、どうすれば皆平等にリハビリを受けられるのかな等と、職業柄考えたりもしました。
 
 はーこんな感じで話をしたりして時間を潰すこと…6時間!!列車に乗ると、同席には遊行者の方々。夜23時過ぎ、やたら話しかけてくれるが、英語で話すと、ヒンディー語しかわからんとのこと。うーん、やっぱり地元の言葉も知らなくちゃなー。すいませんでした、遊行者の方々。

午前2時、デリーに着いたときには、爆睡していたのですが、しっかり遊行者の方が起こしてくれました。ありがとうございます、遊行者の方々。良い方たちでした。足の指輪がかっこいい。
この遊行者の服装かっこよかったな。来年の夏は、わたしも足の指に指輪をつけます!!


 結局列車は5時間遅れでデリーに到着。すげー疲れた。何なんだ、インドの電車は!そして地元民はあんまり問題視していない様子。日本ならニュースだよ。『何万人に影響』みたいな感じでトップだよ、トップ!