「さらざんまい」
第11話、最終話の感想です。
なんかツイッターで
死亡説派と生存説派がどうとか言ってて怖かったんですが、
私はナチュラルに生存説派ですケロ。
※ネタバレします。
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☆第11話の感想
最終話の感想を一言で表すと、
さらーさらーさらーさらざんまい!!!
でした。
なんのこっちゃ。
でも、観終わるとそれだけが頭に響いて、
すかっと爽やかで、後はいいかな!という気持ちになる。
そんな最終回でした。
予想以上に、というより、
予想外にハッピーエンドで驚きました。
これまでの「ピンドラ」や「ユリ熊」も
完全にバッドエンドというわけではなく、
キャラクターたちは、
それぞれ望むものや大切なものを手に入れてはいました。
しかし、それには常に犠牲がつきものでした。
大切な何かを手に入れるためには
大切な何か・・・大抵は命や自分を捨てなければならない。
手に入れても自分は失われたり、
手に入れても生は失われたりする。
獲得した喜びよりも、喪失した痛みや悲しみが強く漂う。
そんな悲観的な雰囲気が作品の終わりを彩っていました。
しかし。
この「さらざんまい」では。
どこまでも明るい青空が続く。
三人は並んで走っていく。
喪失はあっても、
また得ればいい。
つながりは切れても、
またつなげばいい。
絶望があっても希望もある。
いつだって僕らは未来に続いている。
そんな、まっさらな希望に満ちた終わりで、
観た後に爽やかな風が胸を吹き抜けていきました。
なんという・・・
なんという・・・光!?
正直、最初は驚愕というか困惑というか、
混乱しました(笑)
ただ、この作品の背景に、
震災のことや、いくつもの災害、社会の変化、
表面的には「つながり」だらけだけど、
その「つながり」は、いつ何によって切れるか分からない、
酷く脆いものである、今の社会があるのではないかと思うと、
この終わりが祈りのようなものに見えてきました。
この作品の一番の核となるセリフは、
サラ「忘れないで。
喪失の痛みを抱えてもなお
欲望をつなぐものだけが未来を手に出来る」
と、これに続く春河のセリフだと思います。
突然や、日常の中で当たり前に起きる、喪失。
大切なものや、大切な人が、
ある日突然、当たり前に、失われる。
喪失はとても暴力的で強大で、
私たちは時に、過去も未来も全て失われたと思ってしまう。
けれど、それでも、
喪失したものは戻らなくても、
私たちは新たにつながりあって先へ進んでいくことは出来る。
悠のように、
全てを犠牲にしてつながりたいと思った唯一の兄を失っても、
少年刑務所に入り「社会」から外れても、
生まれ育った家に帰れなくなっても、
「俺の人生は全部終わってる」と思っても、
「それがどうした!!」
なんですよ。
一稀と燕太が迎えに来てくれるんですよ。
新たなつながりの中に生まれ直すことが出来るんですよ。
ここから未来につながるんですよ。
いつか見た未来に困難や衝突や別離や絶望があっても、
それでも、いつでもつながれるんですよ・・・・・・。
いつも、どんな時でも、
絶望の先の希望を信じる。
それはもう祈りのように、願いのように、見えませんか・・・。
願い叶え、さらざんまい、じゃないですか・・・。
どうですか・・・。
なんか段々何書いてるか分からなくなってきましたが。
ともかく。
私は、この作品は絶望の先の希望を信じる、
儚くも強い思いのこめられたものだと思いました。
良かったです・・・。
ただ。
どうしてレオさんとマブさんが生き返ったのかは
ちょっと・・・よく分からないです・・・。
彼ら、悠以上に殺人とか犯してるのに、
あっさりさらっと戻ってきちゃってましたが・・・・・・。
いや、別に罪には必ず罰の描写を、とは思ってませんが、
そうじゃなくて重みとか意義とかそういうあれが・・・・・・。
いいのか?それで?
あと、ケッピ完全体がイケメンではなかった・・・。
ウッソー・・・ではなかった・・・。
特にとても見たかったわけではないですが、
なんだろう、見た瞬間の「微妙」感(笑)
などと、色々、情熱、考察、妄想、暴走入り乱れて
書いてきましたが、
1クール、楽しかったです。
ありがとうございました。