「ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風」

第16話の感想です。

 

 

※ネタバレします。

 

◎「ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風」

 

 

☆第16話の感想。

 

ペッシ、収穫期。

・・・の話・・・でした?

 

 

この16話は、

ブチャラティが覚悟の末、

プロシュートを道連れに列車の外へ出たところから始まりました。

 

そこから色々なことがあって。

ブチャラティ、プロシュート、ペッシ、

それぞれの覚悟の決まりっぷりを見せつけられ、

凄いなー凄いなーと楽しんだ・・・んですが。

 

どうしてもペッシ関連がうまく理解出来ず・・・。

 

色々と面白いことはあったんですが・・・。

特にブチャラティとペッシの我慢大会は・・・。

あの覚悟の見せつけ合いは、

手に汗握る状態でどきどきしましたね。

まさか心臓まで割るとは・・・。

ペッシもミスタの時とは別人のような覚醒っぷり。

 

 

そう。

ペッシが覚醒したんですよ。

頼りにしていたプロシュート兄貴がやられ、

しかし瀕死の状態でもなおスタンドを解除しない兄貴の姿に

 

ペッシ「兄貴の覚悟が!言葉でなく、心で理解出来た!」

 

と、そこから超覚醒。

 

「ぶっ殺すと思ったときには既に行動は終わっている」。

ペッシが兄貴から散々注意された事柄。

それを思い出して、初めて人を殺すペッシ。

そして、「やってみたらなんてことない」と思うペッシ。

 

覚醒してる・・・んだけど、これはしていい覚醒なのだろうか(笑)

ギャングとしては正しいけれど、

人としてはむしろ退化している(笑)

 

それはそれとして。

そこから人が違ったようにブチャラティを追い詰めていくペッシ。

ブチャラティも「プロシュートより恐ろしい」や、

「10年も修羅場を潜り抜けてきたような凄み」などと

ペッシを認める発言を繰り返します。

 

そう。

あれだけ「マンモーニ」と言われ続けたペッシが、

今はブチャラティをも恐れさせるギャングに成長した・・・

した・・・んだよね??

 

この16話は、

ペッシのギャングとしての成長物語だと思って

観てたんですよ・・・。

 

けど、最後。

ペッシはブチャラティに言われるんですよね。

 

「ぶっ殺してやるってセリフは、終わってから言うもんだぜ、

俺たちギャングの世界ではな」

 

最後の最後にまた同じことを言われるペッシ。

それが敗因のひとつ?にも思われるペッシ。

 

・・・どういうことなんでしょう。

ペッシはギャングとして覚醒したはずじゃなかったんでしょうか。

未熟な「マンモーニ」から

兄貴やブチャラティも認める

ギャングの一員になったんじゃないんでしょうか。

なぜ、今、また覚醒前と同じことを言われてしまうんでしょうか。

これはペッシの覚醒物語じゃなかったんでしょうか。

 

それがうまく理解出来ず、

観てから今もまだ心に蟠っている感じがします。

 

話やバトルは面白かったけれど、

思い返すと、どうしてもそれが気になって・・・。

 

 

 

ペッシの覚醒物語・・・だったように見えたんだけど・・・。

未熟で青いパイナ・・・ペッシが

完熟で収穫期を迎えたけれど、

兄貴は既に期限切れで食べられず、

覚悟の決まったブチャラティによって

輪切り・・・乱切りで出荷よー!

あの世に向かって出荷よー!

って話・・・じゃなかったのかなあ?

本当はペッシ、まだ「マンモーニ」なの??

 

ああ、よく分からない。

 

 

それはともかく。

ブチャラティがペッシを「下衆」呼ばわりした件について。

あれは・・・ブチャラティには彼なりの

「線引き」「誇り」があるんでしょうが、

それはブチャラティだから言えることで、

別に下衆ではないのではないかと思いました。

ブチャラティ側の戦力を削いで、

ブチャラティ自身の精神力も削り、

後からくる仲間がトリッシュを得易い状態にする。

別に下衆でもなんでもないのではないでしょうか。

特に彼らはギャングだし、卑怯な手でもなんでも

目的を遂げれば正義なのでは。

いや、まあ、そりゃあブチャラティは

「天使でギャング」という「悪魔で執事」の対義語みたいな存在・・・

いや、そうか?・・・まあ、いいや、

そういう希少な存在だから言えるけどさ、

普通のギャングだったらあんなもんだって。

むしろまだペッシは清々しいよ、多分。

 

 

 

・・・そんな感じで。

面白かったけれど、

ペッシ関連が「心で」理解出来ずに

今も困っている16話でした。