「planetarian ~星の人~」の感想です。

 

 

※ネタバレします。

 

◎「planetarian ~星の人~」

 

 

 

「planetarian ~ちいさなほしのゆめ~」を間に挟みながら、

「その後」の、老境の屑屋を描いたストーリー。

 

視聴前は、「~ちいさなほしのゆめ~」を序盤で軽くまとめ、

中盤からは老年になった屑屋の物語を展開するのかと

思っていましたが、

どちらかというと「~ちいさなほしのゆめ~」の方に

比重のおかれている作品でした。

 

 

 

作品の内容は、

 

「~ちいさなほしのゆめ~」の後、

プラネタリウムを見せる人として世界中を回っていた屑屋。

戦争によって崩壊し、本物の星空も見えなくなった世界で

偽物の星を見せて回る彼は、

いつしか「星の人」と呼ばれるようになっていた。

その彼の最晩年。

若い男性がいなくなり、滅びを待つだけの居住区を訪れた

「星の人」は、そこで三人の子供に出会う。

 

・・・というような始まりで、

星の人と、レビ、ルツ、ヨブの三人の子供の交流があり、

その合間合間に回想で「~ちいさなほしのゆめ~」が

挿入されるという形でした。

 

 

上記の通り、どちらかというと「~ちいさなほしのゆめ~」の方に

内容も尺も割かれていたので、

後日談の方の、星の人と、レビ、ルツ、ヨブの交流は、

わりとすんなりというか、

星の人の人生に沿うようにストレートに描かれ、

それ自体はさほど感動するものではありませんでした。

 

しかし。

「星の人」になりたいと願うレビ、ルツ、ヨブに対し、

目の前の生活を重視する大人たちの決定、

それに対する子供たちの反抗。

この対立の姿には少し考えさせられました。

一見すると、大人たちの方が

合理的な選択をしているように感じられるこの図。

例え滅びを待つだけだとしても、

いや、滅びに近く、資源も人材も未来も有限だからこそ、

目の前の生活を最重要視することは当然です。

子供たちのふわふわとした夢を守ってやる暇はありません。

大人の決定は至極当然で自然です。

・・・ですが。

滅びを待つだけの絶望の時期だからこそ、

頼りなくとも希望が必要なのかもしれない。

いつであっても人は希望なしには生きられない。

実際はどちらが人間らしいのか、未来を生むのか分からない。

そんなことを、大人と子供の対立から考えさせられました。

 

・・・まあ、しかし。

滅びを待つだけの居住区で、

大切な食糧と資源を分捕りつつ、

僅かな希望となる子供たちを心を掴んで

「星の人になりたい!」とかあやふやな未来を望ませるように

した星の人は・・・・・・わりと鬼畜・・・屑の所業。

屑屋だけに。

・・・なんでもない。

 

 

それはともかく。

この作品で一番感動した部分は、

「星の人」の人生が無益で無意味なものではなかった、

と描写されるところでした。

 

・・・レビ、ルツ、ヨブもそのために存在した感が

若干なきにしもあらず(笑)

というのはいいとして。

 

食料や資源や子孫を繋ぐことだけに価値のおかれる時代。

有形の物質だけが重視される時代に、

星空を見せるという、何の役にも立たない行動を

ひたすら繰り返して生きた「星の人」。

普通に生きている人々から見れば、

彼の生き方は狂気の沙汰だったでしょう。

無意味なことに人生を費やしている。

その人生は無駄だ。

と思う人も多かったと思います。

 

それでも。

彼が人生を全うした後に見た光景。

それが天国なのか、幻なのかは分かりませんが、

そこにはゆめみがいて、プラネタリウムがあって、

沢山の客がいて、彼を待っているというものでした。

そして、ゆめみから彼に感謝の言葉が送られます。

 

ゆめみ「星を、星のことを、多くの人達に伝えて下さって

     本当にありがとうございます」

 

その言葉に、

 

「報われた、その一言で、全て」

 

と泣く屑屋がとても印象的で感動的でした。

この作品はこの瞬間のためにあったのだと思いました。

その場面だけで、この作品の意味があると思いました。

 

 

 

「ちいさなほしのゆめ」を経た屑屋、

「星の人」の人生の結実。

ひいては「ちいさなほしのゆめ」のバッドエンドからの救済。

それがこの作品だったと思います。

正直、内容的にはそんなに濃くはないのですが、

それでも、ゆめみと屑屋の人生に切なさとやりきれなさを

感じた身としては、この作品で二人が少しでも救われて

良かったと思いました。