「91Days」7.5話を観て、少し。

 

総集編だったので、

感想は特にないですが、

振り返ってみて思ったことなど少し。

 

 

※ネタバレっていうか、まあ

 

◎「91Days」

 

小説 91Days 上小説 91Days 上
1,404円
Amazon

 

☆第7.5話「短いローソク」の感想というか。

 

キャラが分からない。

組織が分からない。

キャラと組織の関係が分からない。

5W1Hが分からない。

 

そんな人のために、ほら、今までの総集編だよ!

今まで見てなかった人も見るといいよ!

 

・・・という総集編かと思ったけれど、

正直、よく知らない人が見ても分からないと思・・・。

 

ま、まあ、復讐って大事だし、あ、復習ね、

クライマックスに向けて、ここでざっと

振り返っておくのもいいんじゃないかしら!?

・・・というような総集編だったのだろうか。

 

しかし、1~7話を20分程度にまとめるのは

大変だったらしく、あっちこっちが

ザックザック容赦なく切られてるのが笑えました。

 

突入してきた次の瞬間に火だるまになってる

ファンゴさんとかw

しかしドMファンゴさんは

この扱いに大喜びしそう・・・。

消えたドン・オルコとか・・・。

せめて一瞬ラザニアを映して欲しかった。

いや、待てよ、サブリミナル的に入ってるかも・・・。

 

 

うーん・・・。

それにしても。

こうやって一気に見ると、

どことなく根底に虚無感を覚えますね、この作品。

 

この総集編のサブタイトルが

「短いローソク」

なんですが、

これは以前予告でアヴィリオが引用していた

マクベスの有名な一節にあるもののようです。

 

「消えろ、消えろ、短い蝋燭!

人生はただの影法師の歩み。

ただ一刻、舞台の上で見栄を切ったりわめいたり。

そして、その後は、ただ消えるだけの哀れな役者」

 

とかなんとか。

 

マクベスもシェイクスピアも知らないんで、

見当違いのことを書いたら申し訳ないんですが、

でも書く。

 

えーと。

そう。

上の一節にはシェイクスピアの死生観、人生観が

表れているとかなんとか・・・。

 

人生は舞台の上の役者のようなもの。

一時騒いで消えていくだけの無意味な物語。

消えてしまえ、儚い命。

 

というような感じなんですかね・・・。

今、ちょっとネット上で調べただけだから、

分かんないけど!

 

しかし、「短い蝋燭」というのは

イコール「人の一生」「人の儚い命」ということらしいです。

 

それが総集編のサブタイトル。

20分ほどに凝縮された1~7話で、

マフィアの抗争やら内輪揉めやらで

次々と人が退場していく、この回のサブタイトル。

・・・しっくりくる。

 

この作品、基本的に上の一節のような世界観で

作られているのかなと、この回を観ていて思いました。

 

 

また。

蝋燭=人の命とすると、

1話で幼いアヴィリオが自分の手で

ぱっと蝋燭の火を消す描写が・・・

なんとも言えないですね。

そして、アヴィリオはいいとして、

その後に幼いコルテオも

蝋燭の火を手で消していましたよね・・・。

・・・何かあるのだろうか。

やはりコルテオには何かが・・・。

でも、総集編ではその場面はカットされてたんですよね。

ということは、そんなに重要じゃないのかな。

気にし過ぎか。

気にし過ぎだといいな。

コルテオはアヴィリオみたいにゲスじゃないといいな。

あ、アヴィリオ君はゲス道突っ走って下さい。

 

 

あと。

人生が舞台の上の役者のようなもの、

台本通りに操られる人形のようなもの・・・

そう捉えると、

この作品の人物たちはまさにその通りだなとも

思いました。

 

ガラッシアに操られるヴァネッティ。

ガラッシアに操られるロナルド。

ロナルドに操られるフラテ。

ファミリーに振り回される人々。

アヴィリオに操られるネロ。

手紙の差出人に操られるアヴィリオ。

 

・・・誰もが「哀れな役者」のようなもの・・・。

虚無感・・・。

 

 

 

 

今までアヴィリオがどう破滅するかばっかりに

心ときめかせていましたが、

誰もが誰かに操られるばかりの人生を送っている

この無常観。

この心が虚しくなる無常観も魅力だなと、

総集編で思いました。

 

 

 

そんな感じ。