「超訳百人一首 うた恋い。」第十話の感想です。
※ネタバレします。
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☆第十話「名古曽の滝 大納言公任」の感想です。
「滝の音は たえて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ」
この公任の歌に全てがこめられていたような、
そんな十話でした。
始まりは実方から。
清少納言のことを気に掛けつつ、陸奥へ赴任して
いった実方。
京へ戻ってきた時に少納言が宮中で花開いて
いるのを楽しみしていた彼だが、赴任から数年、
現地で急死。
その後、実方から清少納言のことを頼まれていた
公任は、少納言を訪ね、二人で思い出話をします。
しみじみと、今は亡き実方の思い出を語り合う二人。
今はもういない人が残した言葉や思いを辿り、
亡き人の面影を偲ぶ。
人の命の儚さ。
思い出の饒舌さ。
静かで、少し悲しくも温かい、残された者の心情。
そんな雰囲気を、こちらもしみじみと感じました。
その、「一時は宮廷の寵児と謳われた」実方の名も、
すっかり聞かなくなった頃。
公任は流れの途絶えた滝の後を眺め、
道長と歌を詠むことになっていました。
折しも時代の流れは転換期。
後ろ盾を亡くした定子の立場は危うくなり、
今度は道長の娘が帝に入内するという話が
出ていました。
定子を寵愛する帝は入内を承諾しない。
けれど、道長がいないと政治が回らない。
その板挟みの中で、蔵人頭である行成は、
帝を諌める役目を負っていました。
しかし、自らも私情と責務の間で揺れる行成。
結局、国のために責務を全うした行成。
娘を「中宮」として無理矢理入内させた道長は
栄華を誇り、政治も滞りなく回るようになりました。
一方、その道長の繁栄の影で、定子の立場は
崩壊の坂を下り続け、ついに御子の出産時に
定子は逝去。
定子側の権力は完全に失われます。
一時は権勢を極めた定子側。
しかし、それももう見る影もなく今は昔。
権力と栄華の儚さ。
定子に付き従っていた清少納言も宮中を去り、
ひっそりと摂津に下ろうとしていました。
それを知った行成。
罪悪感と愛情の間で揺れつつも、
少納言に会いに行きます。
昔とは立場も思いも変わってしまったけれど、
「昔のように話したい」という行成。
清少納言が望むなら、出仕を手伝うし、
必ず守ると言いますが、清少納言はそれを断ります。
「私にはまだやることがある」と「枕草子」を見せる
清少納言。
今は定子もこの世から去り、何もかもが失われて
しまったけれど、思い出は残っている。
美しく聡明に生きていた定子の姿を、
その頃の明るく輝かしい日常を、
「枕草子」に綴って後世に残していきたい。
それが自らの勤め。
そう行成に告げる清少納言。
「楽しかった思い出は、戻りたいと今を嘆くものでは
なくて、前向きに今を頑張るためにあるのよ」
「昔を思い出すたびに悲しくなったりしないように、
私たち、強く真っ直ぐ生きて、きっと豊かな人生を
送りましょうね」
一時は「宮廷の寵児」と持て囃されても、
亡くなればすぐにその名は人の口から消える。
一時は帝の寵姫として自分も家も栄華を極めても、
権力が流れ移っていけば、皆散り散りになる。
人の命は儚くて、栄華も脆く弱い。
それでも、失われた後にも、思いは残る。
それを歌や書物にこめ、後世に残すことは出来る。
それもいつかは失われていくかもしれないけれど、
もしかしたら残っていくこともあるかもしれない。
人生の虚しさ。
命の儚さ。
世の無常。
それに対する人の絶望的な無力さ。
そして僅かな希望。
いつの世も変わらない人の営みと心情。
それを常になくしみじみと感じさせられた十話でした。
とても良い回だったと思います。