読んでいる最中には色々と考えたりもしていたような

気がしないでもないんですが、読み終わったらさっぱ

り分からなくなりました。

今すぐに考えがまとまることはなさそうなので、単純に

思ったことだけ書きます。



◎「丕緒の鳥 十二国記」

 (「yom yom vol.6」掲載)


すごく簡単に言うと、慶国で儀式用の陶鵲(とうしゃく)を

作る丕緒(ひしょ)さんの話です。陶鵲は、鳥の形をした

陶製の的で、これを弓で射ることが儀式になるようです。



まず始めに思いました。

私、年をとったと・・・。

十二国記特有の漢字満載の文章がなかなか頭に入ら

ない。人物、物の名前が何度も前に戻って確認しないと

読めない。

ああ・・・老化現象・・・。

十二国記にこんな使用法があるなんて・・・。

陽子もびっくりだ・・・。


まあ、それはともかく。

今回は、官といえども雲海の下の人物、王や高官達とは

関わりのないような人物、それらの人々が「雲の上の存在」

である人物が主人公だったので、王について少し考えさ

せられました。

主人公の丕緒は、王の性格も容姿も個人的なことは何も

知りませんし、分かる術もありません。が、彼にとって「王」

という存在はひどく大きなものです。職務が王に関係が

あるからという部分も大きいでしょうが、それ以上に「王」と

いう存在は影響力のあるものなのだと、読んでいて思いま

した。顔すらも知らなくても、王の一言だけで全てが動いて

いく。きっと丕緒だけではなく、国の全ての人がそうなので

しょう。

ということは裏返せば、王は顔すらも知らない多くの人々

の人生を手に握っているということで・・・。

うわあ・・・。大変・・・。架空のことで胃が痛い・・・。

現実の私は老化げんしょ・・・駄目だ、思い出しちゃ。


丕緒は「王」という存在のために、そして国のために民の

ためにと、様々なことを思いながら陶鵲のアイデアを出し

ていきます。その気持ちと思考の変遷が、分かるような

分からないような気がしました。共感できる部分と、でき

ない部分が混ざり合っているというか。

そして、丕緒とは生き方の違う蕭蘭の思考にも、共感でき

る部分と出来ない部分がありました。

どちらの生き方が正しいというわけではなく、ただ世界へ

の向き合い方が違うというだけなのでしょう。

けれど、当然ですが、主人公である丕緒の思いの方が

詳しく書かれていて、蕭蘭の考えていたことがはっきり

とは分からないので、私はもう少し蕭蘭の思想を知りたい

と思いました。

森になるほど梨を投げ続ける、ちょっとサイコ気質の

女性というものには興味があります。変態です。


二人の生き方の違いには、はっきりと言葉で説明はでき

なくても、感覚的に理解が及ぶところが多かった・・・ような

・・・気がするのですが・・・。

しかし、最後に何故あの陶鵲に至ったのかが、まだ分か

りません。

これは・・・まあそのうち分かればいいかな・・・と思って

今は思考を放棄します。

ただ最後の陶鵲が舞う風景は単純に見てみたいと思い

ました。綺麗だろうなあ。




うーん・・・。

思ったことはこれ位かなあ・・・。

何か本当に感じたことだけ・・・。まあいいか。