わたし、母のこと
「かわいそうなひと」だと思っていて
昔よりはその思いは減って来たけど
未だに「母には頼れない」と思ってた
だから母を
守ろうとしたし
助けようとして来た
***
30歳の時に妊娠した時も
遠回しに
「男と別れたけど
生理が遅れている」
としか言えなくて
その時の母の
「相手に金銭的に
責任を取ってもらわねば」
のセリフに
何でお金の話をするの?
怖い!
産めって言ってくれないの?
わたしの味方をしてくれないの?
と悲しくなった
ほんとはあの時
「あさみはどうしたいの?」
と聞いて欲しかったんだと思う
それすらも自覚できない
他者を信頼できない30歳の頃でした
***
母を守らねば
母の役に立たないと
とずーっと思っていて
敵はよく怒る養父だと思ってた
でもカウンセリングを学んで
母にもモヤモヤして
「ありのままのわたしを愛して欲しい」
と気付いて
その気持ちをヒステリックにぶつけて
ギクシャクした時もあった
母は兄が1番大事で
わたしよりも
ほかの兄弟が大切だと
そう見えていた
31歳になる前に
自分のサロン経営が上手くいかなくて
性感エステというジャンルの
風俗で働くことを決めた時も
「サロンが上手くいってないんだ」と
親兄弟に相談する事もなかった
まぁ、サロンと近所の整体とで
かけもちして働いていたから
それなりにうまくいってないのは
知ってたけど
風俗で働くほどとは
思ってなかったと思う
まぁ
働いてみたかったから
反対されたく
なかった訳で(笑)
人見知りで
男性恐怖もあって
恐怖麻痺反射が強くて
触られるのが苦手で
体を見られるのが苦手で
でも女の体ひとつで
がっつり稼ぐことに
憧れのようなものがあった
そーゆーのってありません?
***
なので母を、他者を頼れなくて
サロンには客が来ないし
サロンの家賃はあるし
リースの支払いもあるし
かけもちの整体でなんとか
自転車操業だったけど
「一人で全部なんとかしないと!」
という思い込みで
ここまで来たけど
今こうやって
ギックリ腰になって
ヘルニアからの坐骨神経痛になって
母にやっと
「足が痛くて辛い」と泣きついた
「国保を滞納してる」とゲロった
母は心配してたけど
頼られて嬉しそうだった
兄にお金を工面できないか
聞いてもくれた
兄からは「息子の修学旅行の積立があるから
10万くらいは融通できるけど」
って言われたけど
この体が不便な状況で
いつ返せるかわかんないのに
甥っ子の修学旅行の積立とか
手をつけられんわ
でも兄の気持ちも嬉しかった
***
ひとりでちゃんとしなくちゃ!
とやって来たけど
すでにいろんな人に助けられていたし
手を伸ばせば
母だって助けてくれた
それを知るための
今回の体の痛みだったのかな
って気付いたから
速攻で治ってwww