復活したオーストリア=ハンガリー二重帝国。
ハプスブルクの権威が復活し、名実ともにドイツ領邦の盟主としての地位を取り戻しつつあります。
列強の地位にあったころには及ばないまでも、南欧~中欧にまたがる地域大国と言えるでしょう。
また、スペイン内戦はフランコのファシスト政権が勝利。
同時にフランコはジブラルタルの奪還を試み、それを引き金としてスペインはイギリスとの戦争状態になりました。
オーストリアを支援していたイタリア王国、ドイツ側になびき、もはや仮想敵国となりました。
これは大変危険です。
北にナチス・ドイツ。南にイタリア王国とあっては、挟み撃ちにあう可能性があります。
オーストリアにおけるナチズムの台頭は、国民投票の強硬でこれを排除します。
ハプスブルクを嫌悪するヒトラーのにとって、復活した二重帝国は邪魔以外の何物でもないのでしょう。
二重帝国の立場として、ナチス・ドイツの主張する大ドイツ形成に関しては、完全に否定します。
ミュンヘン会談。
イギリス、フランスはチェコスロバキアを見捨てる決定をしました。
これに対し、チェコスロバキアはオーストリアに支援を要請します。支援に対する見返りとして、ボヘミアにおける王位を承認する、
すなわち、オーストリア皇帝=ハンガリー国王=ボヘミア国王の三重帝国を承認することを申し出てきました。
チェコスロバキアと攻守同盟を結び、ドイツに抗するのも良いですが、今回は軍備が間に合っていなかったため、
支援を断ります。
そして今度はドイツが、二重帝国に対し取引を申し出てきます。
ズデーデンラントの領有権がドイツにあることを認めれば、スロヴァキアを二重帝国領にするための支援をする、とのことです。
ズデーデンもボヘミアも、いずれもオーストリア帝国の領土に間違いありません。
したがって、ドイツの領土であると認めるなど論外。これを門前払いします。
また、ミュンヘン協定の結果、危機感を持った北欧は軍事同盟を締結。
かつてのカルマル同盟のように、北欧が団結しました。
1939年9月、ドイツはポーランドを侵略。
連合国はドイツに宣戦布告し、世界大戦がはじまりました。
危機感を持ったフィンランドは、北欧軍事同盟に参加。
ポーランド侵攻と呼応し、ドイツはオーストリアに服従を求めました。
二重帝国はこれを断固拒否する旨、回答。
ドイツの返事は、宣戦布告でした。
この時のドイツは、ポーランド侵攻途上かつ西欧でフランスとにらみ合いをしているため、
二重帝国に差し向けてくる戦力は、さして大きくありません。
機甲師団で一挙に北上し、ドイツの主要都市を占領することで優位に戦争を運ぶことができます。
ひとまずはミュンヘンが目前にあるため、守備が固くなる前に占領。
バイエルン地方を完全に制圧します。
そして、西欧に展開されている兵力と、ベルリンからの補給路を寸断できれば、ドイツ軍は大きく弱体化します。
こうまでくれば、ドイツのポーランド侵攻は完全にとん挫し、ポーランドは逆に戦線を押し上げてくるのです。
ベルリンの攻防。
死守部隊は大半が民兵なので、正規軍であればいくら市街戦とはいえ墜とせないことはないでしょう。
首都ベルリンの陥落とともに、自殺したヒトラー。
変わって総統に就任したのは、宣伝相ゲッペルス。
新総統ゲッペルスは、劣勢の状況を立て直すためポーランドと講和。
東プロイセンをポーランドに割譲するという屈辱的条件をのんだ模様です。
しかし首都を抑えられているドイツに最早反撃する力は残されておらず、二重帝国に対し降伏の申し入れをしてきました。
普墺戦争以来の復仇を成し遂げた二重帝国。ドイツの処遇を決めることができます。
ホーエンツォレルン家、すなわちドイツ帝国の復活を後押しすることもできれば、南部ドイツを二重帝国として、北部を北ドイツ連邦として存続させることもできるし、あるいは、二重帝国による大ドイツ主義も可能です。
最初は帝政復古..と思ったものの、ドイツ圏の皇帝は1人でよいと思ったので、全てを二重帝国領にしました。
ボヘミアも、二重帝国に回帰。
オーストリア第1共和国のころと比べ、とても巨大になったハプスブルク帝国。
北海、バルト海にも面することで内陸国でもなくなりました。