世界最大の経済大国とその同盟国に戦いを挑んだ日本は、開戦4年後に敗北した。

国土は荒廃し、国民は疲弊し、アジア随一の先進工業国であった面影はない。

Hearts of Iron 2 某MODより抜粋



引き続き、ていていた~氏が製作された【大日本帝国の最期】です。

今回は第参幕を取り上げさせて頂きます。

参幕は、日本降伏後のアジアの独立運動から始まり、東京裁判とその後について描かれています。





1945(昭和20)年8月15日、ポツダム宣言受諾、そして9月2日降伏文書調印をもって、大日本帝国の戦いは終わりました。

4年半、支那事変を入れるならば8年間も続いていた戦いです。








日本は米国に敗れさえしましたが、オランダ軍には完勝し、英仏中相手では優勢を保っていました。

その東南アジア各地の日本軍も、本国の降伏に合わせて銃を降ろしています。



そうすると、植民地を取り戻そうと、日本に追い出されていた白人が東南アジアへ戻ってきました。

日本によって独立志向、民族的機運の高まった東南アジアを再び支配下に置こうとしますが、アジアの植民地は、これに強い抵抗を示します。




先陣を斬ったのが、インドネシア

近世よりこの地はオランダ領東インドという名の、オランダの植民地でした。

豊富な天然資源によって、オランダにとっては手放しがたい場所でもあった反面、オランダ人はインドネシア人を徹底的に疎外し、弾圧を加えていました。


1945年8月17日、インドネシア独立宣言が出されています。

インドネシアはインドネシア人の国だ、もうオランダには従わない!という意思表示です。



インドネシア独立の先頭に立ったのは、オランダの手によって幽閉され日本軍に解放されたスカルノハッタ。スカルノは知っている人も多いのではないでしょうか?デヴィ婦人の亡き夫です。



インドネシア独立宣言書の日付は、西暦ではなく日本の皇紀が使用されたのは有名な話。

皇紀とは、初代天皇である神武天皇より続く日本独自の暦です。




日本がインドネシア統治をしている際に蒔いた独立の種は、ここに芽を出しました。

日本軍が創設して訓練した義勇軍(PETA)は、後のインドネシア正規軍となっています。




オランダはあくまでインドネシアの独立を許すつもりはなく、インドネシア独立戦争が勃発します。

インドネシア人にとって大規模な戦いとなったこの戦争を助けたのは、現地に残っていた日本軍将兵。本国が降伏している以上は日本軍と名乗るわけにはいかず、日本義勇兵として戦いに参加し、インドネシア独立のために戦い抜いています。








独立への動きは、インドネシアに限りません。

他の植民地でも、独立に向けた戦いまたは交渉が始まりました。




現在、東南アジアにある国々は、このとき独立への動きを一気に加速させています。

たまに日本人自身が『日本のおかげで東南アジアは独立した』という論調を見せますが、これは聊か傲慢な考えで、日本人は独立の為の手助けをしたにすぎない、というのが本当のところだと私は思います。





大東亜戦争とアジア独立の関係へは、植民地体制は衰退に向かっていた。日本が戦わずともいずれアジアは独立していただろう、といった意見がありますが、これはそのとおりだと思います。

当時、帝国主義は完全に衰退しており、遠からず植民地体制は崩壊していたでしょう。



しかし、日本の戦いが、アジアの民族主義に火をつけ燃え上がらせたのは紛れもない事実で、

すなわちアジアの独立を急速に早めたのが日本の大東亜戦争だった、というのが私の見解です。









アジアの植民地だった国々が、自らの戦いを始める中、日本はどうだったか?

参幕では、東京裁判がいかに可笑しなものであったかが簡潔に理解できます。




東京裁判とは、裁判の名を冠する戦勝国による復讐だったのです。

ナチスドイツはともかく、日本はアメリカの原子爆弾投下や民間空襲に代表されるような大虐殺がありませんでした。そうすると、アメリカとしても困ります。


①戦勝国の正当性を誇示する

②日本を裁く正当性をつくる

③日本は悪、戦勝国は正義という図式をつくる


このために、いわゆる『平和に対する罪』だとか『人道に対する罪』といったものが即興で作り上げられたのです。



原子爆弾を投下したアメリカが人道に対する罪だとか、片腹痛いと思いませんか?





近衛文麿元首相は、逮捕前に自決しています。


また東條英樹元首相も自決を図りますが、失敗に終わりました。

即死にはならず、占領軍の必死の蘇生によって命を取り留めています。







東條氏は日本の無罪を主張するつもりだったのでしょうが、しかし東京裁判では一切が許されませんでした。東京裁判は、『日本が悪い』という前提で進行し、日本への弁明あるいは戦勝国にとって不利になる証拠や書類なども一切が拒否されています。


まったく、裁判の名を冠するにはおこがましいものでした。


また、新聞の検閲など明らかにポツダム宣言に反しており、『日本が無条件降伏した』という意識と誤解、嘘はこの時期に蔓延して今に至っています。

教科書ですら無条件降伏と書いてあるのですから、目を疑います。




国旗掲揚禁止など、占領軍の残した価値の最たるものです。

今の時代、国旗を掲げている家など稀有ではないでしょうか?

また、それに対する偏見などは、まだ存在します。


これは占領時代に植え付けられたもので、アメリカによって禁止され強引に変えられた意識だということを、偏見を持つ人々は理解しているのでしょうか?



なぜ、戦後70年たった今もアメリカの価値に従う必要があるんですか?と問いたい。




そして、東京裁判開廷。

日本を裁くための、1年4か月にも渡る壮大な茶番劇です。

裁判官が戦勝国の人間で固められている時点で、察するべきでしょう。



私たち日本国民は、このときの東京裁判の価値観をいい加減捨てるべきです。

盲信的に信じ、日本が悪かったと考えているならば、歴史家より作家になった方がよいでしょう。








満州事変、ましてや日清日露戦争にまで遡って裁くなど、明らかにおかしいことです。

ポツダム宣言にすら違反しているものは当然、弁護団より指摘されますが、これは即時却下されました。

キーナン氏の主張は『日本が悪い。それは絶対に間違いない。これに異を唱えるは非文明国である』ということです。ちゃんちゃらおかしい。


南京大虐殺というものは、この時いきなり出てきました。

現在証拠として挙がっている写真は、中国軍による日本捕虜虐殺などのものが相当数混じっており、あてになりません。私はエルビス社より出ている『写真集 南京大虐殺』を購入していますが、全てが日本軍だと断定できるものではありません。


当時の資料を読み解いていけば、人口の推移等を見て明らかに『大虐殺』と呼ぶようなものはなかったと結論づけることができます。






東京裁判の進行に合わせ、動いていく世界も簡潔に挙げられています。