そういうFLASHがあります。製作はていていた~という方で、少し前に製作されたようです。



本サイト様は既に閉鎖していますが、YOUTUBE等でも動画は上がっていて、本キーワードで検索すればリンクフリーのFLASHが見つかりますから、興味あれば一見することを勧めします。





私は、日本の近現代史を学び始めた頃に、本FLASHを見ました。

非常に分かりやすかったのを覚えています。






歴史を学ぶ際に、常に考えるのは理由です。

なぜ日本はこうしたのか、なぜ日本はこうしなかった、あるいはできなかったのか。



私が『日本という国は一体なんなのか?』を考えるきっかけとなったのが明治維新と、大東亜戦争でしたから、本FLASHはそれを考える際の助けになってくれました。

手っとり早く大戦前後のことを知りたい、という人にもお勧めですね。

学校で見せるにも足る出来であると個人的に思います。




『大日本帝国の最期』は全三幕に分割されていて、

第壱幕は戦争に至るまで

(なぜ、日本は大戦に巻きこまれていったのか)


第弐幕は戦争の経緯

(日本はどういう戦いをしたのか)


第参幕は戦後

(日本が戦った後、アジアはどうなっていったのか)

をそれぞれ取り上げており、全て合わせると50分を超える大作となっています。





今回取り上げさせて頂きますのは、第弐幕です。





第弐幕は、日本が戦った大東亜戦争(太平洋戦争)の始まりから終わりまでを収録。

特徴としては、常に地図を参照しつつFLASHが進行していく点で、日本がどのように動き、どう攻めたのかまた攻められていったのかが直感的に分かる仕様となっています。

作成したていていた~氏に感謝です。




また、音楽が良い味を出しており、情けない話ですが私はこのFLASHの後半部分から、いつも涙ぐんでしまいます。

同じ日本人が、ほんの少し前にこれほどの戦いをしたのかと考えると、様々な感情が込みあがってくるかもしれません。






開戦初期、日本軍の怒涛の勢いが勇ましいBGMとともに表現されています。




また、開戦からの破竹の快進撃は日本軍の力だけではなく、アジア解放の理想に賛同した現地民の協力あったからこそ成し得たことも描かれています。

日本軍は残虐だった、と喧伝する中韓の主張とは明らかに異なることが、資料からは読み取れるはずです。








運命のミッドウェー海戦。

この敗北によって徐々に戦況は米英に傾いていきます。おどろおどろしい音楽になっていく。



ミッドウェーはまさに痛恨の敗北で、私個人の意見としてはそもそもミッドウェー作戦自体が必要のないものであったと思います。


ミッドウェー島の占領、米機動部隊の殲滅。そのどちらかをなし得たとして、手負いの日本機動部隊が戦争を有利に進めることができたか?というと甚だ疑問でしかないからです。


Remembe the Pearl Harbor!のもとに意思を固めた米国を相手に、そうたやすく講和に持って行けたでしょうか?


『ミッドウェーで勝利すれば、米国は講和を申し出てくる』とは余りにも虫のよすぎる思考です。





ミッドウェー海戦の勝利で、攻勢の主導権を得たアメリカはガダルカナルへ侵攻してきます。

彼らはこれを、ウォッチタワー(望楼)作戦と呼びました。


日本側は米上陸部隊を小規模な先遣隊と侮った結果、大損害をこうむりました。

ガダルカナルの攻防は、餓島と呼ぶほどの凄惨な戦いとなったことで有名です。凄惨さはこののち、更に拡大していきました。







アリューシャン列島、アッツ島とキスカ島での攻防。

キスカ島の守備隊は無事撤退できましたが、アッツ島では、山崎保代司令官以下、守備隊は全滅。

初めて『玉砕』という言葉が使われます。










これ以降は、悲壮な音楽とともに追い込まれていく日本が描かれています。

アメリカの飛び石(Island Hopping)作戦に真正面から戦い、各個玉砕を繰り返す愚だったのではないでしょうか。



ミッドウェーで敗北し、ガダルカナルも失ったならば、マーシャル諸島やトラック諸島、カロリン諸島から撤退し、最終防衛線であるマリアナ諸島へ後退すべきだった、というのが私の見解です。





そのあとはどうするのか..というと困りますが、開戦初期に構想していた短期決着が不可能となったならば、地理的有利を活用し長期自給へ入る他なかったと思います。

いったん不利になってしまえば、艦船の建造競争でアメリカに勝てるはずはありませんし、そもそもパイロットの数も足りません。






大東亜会議。大東亜共同宣言は非常に画期的なものでした。

アジアの相互協力、相互発展を約束する条文が記載されています。

当時、アジアの中で唯一現状を変えうる力を持つ国は、日本だけでした。

日本が責任を持ってアジアを引っ張る、アジア人の為のアジアを取り戻すという意思も表します。


これはすなわち、アジア人のヨーロッパ人に対する大規模な反抗戦争であったということです。



ちなみに太平洋方面では劣勢でしたが、大陸方面とくに支那では日本軍は1943年末でもいまだ優勢でした。

というより、対支那では屈服させることはかなわずも終始優勢だったのです。

この時の日本軍の精強さを中国人は肌で覚えていますから、今も日本の復活をひたすらに恐れているのかもしれません。




大本営の戦略が愚策であったとしても、前線で勇敢にたたかいぬいた御先祖様たちへは深い敬意を表したいです。


太平洋方面での捕虜の少なさは、日本軍の戦いぶりを端的に表しています。

超大国アメリカに対し、一歩も引くことなくまた臆することなく戦った御先祖様の勇気と決意は、日本人ならば胸に響くものがあるでしょう。






ミッドウェー海戦で敗北した日本帝国海軍は、ほぼ2年後にマリアナ沖海戦で完全充足の米機動部隊にとどめを刺されます。この時点で、制海権の奪取は不可能となりました。


サイパン島が落ちたということはつまり、同島から戦略爆撃機が飛び立ち日本の空へやってくるということです。






補足として、YOUTUBEなどでは見ることはできませんがFLASH終了後に用語解説が閲覧することができます。






長くなったので(2)へ続きます