高速道路のど真ん中で、突然クルマが止まった。いま通っているこの橋は、日本のODA(政府開発援助)によって架けられた。そう聞いて、車窓を撮影しようとカメラを取り出したときのことだ。
いくら交通量がさほど多くないとはいえ、有料道路の真ん中で、写真を撮るためにクルマから降りたことなどこれまでない。しかしドライバーのココさんは「だいじょうぶ、だいじょうぶ。後ろから他の車両が追い抜くときには知らせますから」と、無邪気な笑顔を見せる。
川の名前はポッダ川。いくつかの大きな川により国土が分断されたバングラデシュでは、橋は重要な役割を担っている。
上流に目をやると、現代的なアスファルトの橋と平行して架かった古めかしい鉄橋を、ガタンゴトンと心地よい音を響かせながら、列車がのんびり通り過ぎていった。ハーディング橋。イギリスが植民地支配した時代の置き土産だ。英語名がそのまま残っている。
新しい橋は、親しみをこめて「ラロン・シャハ橋」と呼ばれている。ラロン・シャハとは19世紀に生きた「バウル」の聖人の名前。「バウル」とは、ベンガル地方を旅しながら、ベンガル語で信仰の歌を歌う吟遊詩人のこと。ラロン・シャハンは「バウル」のなかで、もっとも崇拝されている。「日本は橋をくれました。そしてベンガル人が尊敬する聖人の名前をつけることができたのです」。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140305/trd14030503190001-n1.htm
日本が出したODAに対して、このような意識を持ってくれる国があることに感謝ですね。
というより、お隣から恨みしか返ってこないことが異常なのでしょう。
日本が莫大なODAを出し続けていること、そのお金が経済発展の基盤になっていること、それを国民にひた隠しにして反日を繰り返している現状には呆れることしかできません。
感謝しろ!とは言いませんが援助を受けている側として、それなりの態度はあるはずです。
特に韓国は、「日本の援助は余計だった」「日本は出し惜しみしている」とか、一体何様のつもりなんでしょうか?日本国民はもっと怒っていいと思います。
安部首相は、かつて首相対談のTV番組の中で、
「外交とは仲良くすることではなく国益を守ること」と述べました。
これは全くの正論で、仲良くすることは国益を守る一つの手段にすぎないのです。
国家間に真の友人はいないとも言います。
これは、自らの国を蔑ろにして他国を助ける国など決して存在しないからです。
戦後の日本の政治家にはこの観点が実に欠落しており、頭を下げて仲良くすることが国益だと勘違いした者が首相になったりしています。
中国や韓国がひたすらに靖国参拝を非難したり、従軍慰安婦を持ち出すのは、突き詰めれば
「現状ではそれが国益にかなうから」と言うだけにすぎません。
日本に罪悪感を持たせ、「困った時の日本」というふうに、いつでも経済援助を引き出せるようにするのが彼らの真の狙いです。
この観点を忘れ、日本人でありながら靖国参拝を忌避したり軍国主義と繋げるのは恥を知るべきではないでしょうか?
ただひたすら日韓友好を!日中友好を!と叫び、日本から歩み寄るべきという声は日本の中からも大勢ありますが、この2国と、原状の問題を棚に上げて歩み寄ることが果たして国益に叶うか?という問題から考えるべきであると思います。