昭和16年(1941年)12月1日。
日本は対米開戦を閣議決定しました。
これによって「大東亜戦争」が始まることになるのです。
開戦が閣議決定し、ハワイを目指していた大日本帝国海軍・連合艦隊に、山本五十六連合艦隊司令長官より作戦決行の日時が打電されました。
「ニイタカヤマノボレ 一二〇八」
12月8日、午前零時(東京時間)に開戦せよという命令です。
連合艦隊はハワイ沖に進行。日本海軍機動部隊がハワイの真珠湾を空襲し、大戦果をあげたのでした。
暗号電にあったニイタカヤマとは、当時富士山を凌いで日本の最高峰であった台湾の新高山(現、玉山)を指します。
アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは、真珠湾から航空母艦を避難させており、後にこの空母が戦争の中で重大な役割を持つようになります。
代わりに真珠湾に浮いていたのは、旧式の戦艦群であり(アリゾナやウエストバージニアなど)、日本の攻撃を誘って思惑通りに日本に最初の一撃を撃たせたのでした。
参戦の動機を作るため、日本を罠にはめたのです。
フランクリン・ルーズベルトの開戦演説のごく一部を抜粋してみます。
Members of the Senate. of the House of Representatives...
Yesterday,December 7th 1941
A date which will live in infamy...
上院、下院の議員諸氏...
昨日、1941年12月7日は、
恥辱の日として記憶されるでしょう...
The United States of America...
was suddenly and deliberately attacked...
by naval and air forces of the Empire of Japan...
アメリカ合衆国は何の予告も無く
日本帝国の海軍、空軍の計画的奇襲攻撃を受けたのです..。
※Call of Duty のworld at warで流れる字幕をそのまま引用しました。
開戦演説の日本語訳はネットで見れる為、一見することをお勧めします。
諸説ありますが、日本の宣戦布告は攻撃の1時間後にアメリカに通告されることになりました。
これによって日本の攻撃は、卑怯な騙し討ちだと宣伝されることになったのです。
しかしルーズベルトは、日本の奇襲攻撃を痛烈に非難しましたが、日本の攻撃が行われるだろうことを知らなかった、など在り得ません。
当時のアメリカは優れた暗号解読技術によって、日本の動向をほぼ正確に掴んでいました。
ワシントン駐在の日本大使から、東京の内閣に打電される外交暗号もアメリカは解読しており、日本側が次に何を提案してくるのか、それすらも把握していました。
日本がハルノートを受け取った時点で外交交渉を打ち切り、戦争に踏み切ったことさえも、アメリカは見抜いていたのです。
そして発達したレーダー技術によって日本海軍連合艦隊の動きも読まれていました。
にも拘らず、ハワイのキンメル司令官にさえ、日本海軍の攻撃が迫りつつあることは知らされていませんでした。
フランクリン・ルーズベルトは、日本のみならず自国民すら騙し、日本の攻撃を騙し討ちと宣伝。
これによってアメリカ国民は日本の攻撃に激怒します。
「卑劣な日本人を許すな!」 「日本を討伐しろ!」
という世論になり、
「真珠湾を忘れるな!」
「Remember pearl harbor!」
の合言葉のもと、アメリカ国民は一丸となって戦争支持をしました。
開戦に先立ち、永野修身・海軍軍令部総長は次のように述べています。
※意訳しています
「戦わざれば日本は滅ぶとのことだが、戦うも日本は滅ぶかもしれない。
しかし戦わずしての滅亡は、魂すら失う真の亡国である。
しかし、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活を見出し得る。
例え敗れたとしても、護国に徹した日本精神が残る限り、我らの子供達は何度でも起ち上がるであろう」
※10で終わります