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晴れた日だった。
腹を空かせて、マンションを出た。
部屋の前の駐輪場にはCBRがカバーを被せて停めてある。

跨ろうかとも思ったけれど、俺は歩いてランチをやっている店を選びに歩き始める。

そもそも実家があった街だ。
想い入れがある訳では無いので、一度は出たが、実家が引っ越してしまって30年。
なんとなく舞い戻った。

街は豹変して、知った顔も無い。
有るのかもしれないけれど、気付かないのかもしれない。

そもそも俺は整形したし、今はげっそりと痩せている。
絞った身体はボクサー程では無いけど、食べないせいで余分な脂肪は消費されてしまっている。

駅前のカフェに入り、パニーニとコーヒーを注文する。
これをゆっくり40分以上かけて食べる。
ゆっくり食事を味わえるようになってどれくらいだろうか。
以前は、流し込む事が食べる事の楽しみだったけれど。

無精髭にチーズの匂いがまとわりつく。
コーヒーで洗い流すことが出来ない。

満たされた腹は少し膨れている。
腹をなでながら今日の予定に意識を向ける。

若い頃は休みとなればいてもたってもいられず、そして寂しさを正当化して出会いを貪った。
相手はこだわらなかったし、困らなかった。
100kg以上の巨漢か、酷く臭う女でなければ大抵は寝た。
あれ程がっついていたにも関わらず、まぁ相手が見つかったものだと懐かしい。

今は、部屋には誰もあげる事は無い。
必要が無い訳では無いが、貴重な時間を出会いに裂く事は煩わしく、酷く面倒だった。

トラウマのように時折思い出が思考を支配して、そして思い出が下半身を熱くさせる事が有る。
そんな時は、その時々の極力有効な処理で済ませる。
浪費だ。

取り残された中年には、ツールの有効な使い方が分からなかった。
LINEはもとより、スマートホンさえ感覚的につかめ得ない。
しかし、アナログと称せる程、それを魅力に還元は出来ていない。
若かりし頃、すでにITは縁遠い存在では無かったから。
スマートフォンは通話とSMSしか使わないのにもかかわらず高い月額を払っている。

今では、趣味に費やす時間こそが貴重であり、存在の理由でもあった。
なんの生産性の無い行為こそ尊いものと思い込んでいた事も有る。

明日も休みだ。
いつも通り、山へ向かう事にした。
殆どの休日はそうして過ごしていた。
時にはそこで、いくらかの出会いや交流があったりもした。
いずれにしても、星降るとはいえ薄明りの中で、相手の顔はうる覚えであり、素性をただしたりもしない。
翌日合う事も無いだろうが、会っても気付かないだろう。

そこにはテントと寝袋と焚火の明かりがあるだけで、時折気付けば月の明かりや星の光が振りそそぎ、よどんだものを浄化させてくれるようだった。

そんな夜が救いであり、数少ない趣味であったりした。

カフェのソファから腰をあげ、最小限のキャンプ道具をCBRへ括り付けた。
あまり荷物が多くなれば道中の感動が薄れる。
持って行くのはテントと寝袋であり、ポットとカップ、キャンプナイフとファイアーストーブだけだ。
それだけでも、バイクは挙動を制限される。
いくら強力に括り付けようと、いつものようなバンク角や突っ込みは望めない。
それでも、木の根で寝てしまうよりは安全で健全である以上、譲れない線かもしれない。

道が空くまでは、高速でひた走る。

半分に減った所でインターを下りて、ワインディングを楽しむのだ。
殆どすれ違う事も無い道をいくつか用意し、その道の先でキャンプを張る。
そこには誰もいない事もあるし、いくつかのテントが既に張られている事もある。
日が沈む迄はひたすらワインディングを楽しみ、夕陽を眺めてからキャンプ場へ向かう。

そうそう、途中でいつもの通り、ミネラルウォータとカップ麺、白秋の小瓶を仕入れるのを忘れてはいけない。
また、これらを自宅マンションから持って来てもいけない。
これは、しがない中年の美学だ。
わからねぇだろうな。

今日は、すこし澱んだ空模様だったけれど、籠ってしまっている気分を吹き飛ばすには丁度の塩梅だ。
俺がバイクに乗り始めたのはFiなってからだから、キャブのバイクは知らない。
暖気はしない。
ほんのメットとグローブをゆったりと身に着ける数分。
それだけで充分な気がしているし、それで今まで問題も無かった。

少し入れずらい1速にギアを叩き込む。
前後を確認したらスタートだ。
さすがに幹線道路迄はのんびり走ろう。
はやる気持ちにブレーキをかける。

走り辛い一車線の道を、たらたら走る軽の後ろで辛抱する。
幹線道路へ合流すればすぐそこはインターだ。
上半身を伏せ気味に、合流車線を駆け上がる。
時速100kmで走るその道は広々として自由だ。
目の前になんら障害物は無く空が広い。
アクセルをあけつつレブの手前でギアを上げていく。
4速→5速→6速

俺のマシンは250ccなので、めいっぱいアクセルを絞り上げてもそうそうは速度が上がらない。
あがったつもりで限界を楽しむ。
一緒に走るのなら同じ250ccが望ましい。
でなければ少しばかりの劣等感が邪魔をするから、楽しくない。
バイクはそう言う乗り物だろうと思う。
自分が楽しめなければ乗ってはいけないのだ。

だからいつも独りで走る。
自分の走りと、マシンの限界を楽しみながら、自己満足を得る事こそ俺のバイクに乗る意味だった。
時速100kmで走る時、視界が狭まり景色が吹き飛んで行く。
ワインディングとは全く異なる楽しみであり、快感でもある。
しかし、夜の首都高は恐くて走れないと言った常識的な感性も持ち合わせている。
そう言った所が、俺の程度の限界なのかもしれない。

高速を走っていると、夕陽が背から射す時がある。
シルエットが前方を駆けて行く。
それを追いかける様は、17歳の自分を、あの頃の"憧れ"を追うようで甘くすっぱい気分に浸れた。
バイクの魅力。
独りで駆る魅力。

ねぐらを確保したら、湯を沸かす。
そこかしこの乾いた枯れ枝が今日の暖を確保させてくれる。
熱めの湯を注ぎ、3分が待ち遠しい。
腹を満たしたら、後はいつものように酔いがまわるか星が降り注ぐかの競争だ。
夜の匂い。
焚火の揺れ。
一番星を肴に、ロックからホットへ。
今日はまどろみに勝てそうもない。