本来ならば既に桂林での生活が始まっているはずであ~る、が!しかし、未だ神戸で地べたを這いずり回っておるので御座る。

その理由は何故、まぁ~家庭の諸事情故、としておこう。
で、何をしておるのか、ん?

好い年をして又仕事に就いたのですよ、しかもフルタイムで。
還暦過ぎのオジさんのする事ではないね!

不幸中の幸いは18時になれば三宮でも家でも一杯やれるってことかも。

みなさ~ん!
飲もーっ!

昨今、無理矢理こじつけイベントが多すぎる。
TVもラジオも3分間スピーチも、一年365日すべて何か特別な日でなければならないかのようだ。

天気予報で二十四節気を持ち出すのは可としても、バカバカしい語呂合わせの日 { 耳の日(3月3日)、いい歯の日(11月8日 } などと聞いても何のこっちゃ、屁の突っ張りにもならない。

この時期、マスコミの話題になるのが「ボジョレヌーボー解禁」。
これは、フランス版節分の恵方巻き、土用の丑の鰻である。商売に乗せられる事も必要だとは思うが、わざわざ他国の商売に乗せられ、また自ら乗ろうとする者が多いのは何故か。

誰かがお膳立てしてくれた生活に慣れすぎ、なんでも自分本位でありながら、その実、自分自身の生活を自分で決められず、決めようともしないカンチガイが多いのよネ。

ワタクシ自身も四半世紀前、ボジョレヌーボーの流行に乗ってしまったこともある、しかし今は反省しておるのである。

このワイン、毎年キャッチフレーズをつけ、それをマスコミが喜んで宣伝する。
その年だけ見れば、何となく納得するのですよ、これが。
しか~しである、並べて一覧するとその胡散臭さが一目瞭然。

95年「ここ数年で一番出来が良い」
96年「10年に1度の逸品」
97年「1976年以来の品質」
98年「10年に1度の当たり年」
99年「品質は昨年より良い」
00年「出来は上々で申し分の無い仕上がり」
01年「ここ10年で最高」
02年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄え」「1995年以来の出来」
03年「100年に1度の出来」「近年にない良い出来」
04年「香りが強く中々の出来栄え」
05年「ここ数年で最高」
06年「昨年同様良い出来栄え」
07年「柔らかく果実味が豊かで上質な味わい」
08年「豊かな果実味と程よい酸味が調和した味」
09年「50年に1度の出来栄え」
10年「今年は天候が良かった為、昨年並みの仕上がり。爽やかでバランスが良い」 
11年「出来が良く、豊満で絹のように滑らかな味わい」

ま~苦労は分からぬでもないが。



ハイファイセットが歌った『海辺の避暑地に』の原曲はミッシェル・ジョナスの『Les vacances au bord de la mer』 

Stacey Kent の歌唱も曲にぴったり。

遠い夏に想いを馳せて。  
もうすぐ夏
でも、被災地、肉親を失った方々の想いは・・・



政治は対策を急げ
頑張るのは被災者ではなく、我々だ

自分自身の悲しみさえ、時とともに人は忘れる
いわんや他人の悲しみをや
日本中が切実に復興を願う今、この時期を逃すな
タイトルなんのこっちゃ、とお思いでしょうが分かる人は分かる。

平成三陸大津波のショックを引き摺りながら、私生活では親戚の結婚式があったり、還暦を迎えたり、エレキベースを始めたり、パソコンに向かいすぎて首、肩、背中に変調を来したり、旨い焼酎「七窪」日本酒「黒牛」を飲んだり、近くのブックオフが店じまい半額セールでチャンス到来、気になりつつも読めなかった本をここぞと買い込んみ片っ端から読破(本当に破いてオリマス)したり、代わり映えのない日々の生活を送っていたのではありました。

そんな中、ワタクシの最近の行動範囲内に、原発事故による水道水放射能汚染を好機と見てミネラルウォーターを大量に仕入れ、一儲けを企む輩がおりました。

人の弱みにつけ込むような商売を考えるヤツとは即刻縁を切りましたハイ。
米騒動を忘れたか! 水騒動が起きてもおかしくないゾ!

建築資材も買い占めにより、品薄、値上がりしているとか、も~紀伊国屋文左衛門か!奈良屋茂左衛門か!
震災後、辛うじて残った資材を無料で提供なさる立派な方もいらっしゃるのは救いではありますデス。



八つ当り小言幸兵衛、復活します。