潰瘍性大腸炎。自分は約一ヶ月半の入院で寛解して退院した。その後、病気の症状は一度も出ていない。新聞配達中に突然の腹痛で、動けなくなったことが二回あった。二回目の痛みの時に、永寿総合病院の救急外来へ販売店の先輩に、クルマで連れて行っていってもらった。症状は腹痛と下血。診察を受けてすぐに入院となった。入院をして数日は腹痛との戦いだった。あまりにも痛み止めが効かなくて、モルヒネを何回か打ってもらった記憶がある。
痛みが引いて、やっと大腸ファイバースコープで検査。潰瘍性大腸炎と確定診断。その後IVHで栄養をとり、口に入れるのは水と薬だけの生活が半月くらい続いたと思う。他人から見れば悲惨な入院生活に見えたのかもしれない。でも、その時、自分はとても充実した時間を過ごしていた。
二年間、新聞販売店の仕事をしながら専門学校に通っていた。罹患したのは卒業が決まってからだったので、精神的にも、肉体的にもゆっくり休むことが出来る時間が与えられたのだから、嬉しくないはずが無い。ほぼ毎日、従姉妹が病院まで来てくれて、食べることが出来ない自分をネタにして沢山冗談を言いあって、楽しい時間を過ごせた。看護師さん(当時はまだ看護婦さんと呼んでいた頃でした。)は自分より少し年上くらいのキレイな人ばかりでした。食事後の検温の時に、何も食事が出されていない自分に「食事は食べられましたか?」と食欲チェックをしてしまう人がいて、大体は「あ、ごめん、食止めだったね」となる。たまに、その質問が来たときに「はい、全部食べました。」といたずらで答えたこともある。あとから…「食止めだったよね?なに食べたの?」とか慌てて再確認に来る看護婦さんもいた。その時は薬の袋とか、シートとかを見せて「ごちそうさまでした(笑)」とふざけてみたりもしていた。
入院するまでの新聞配達の業務と学校の両立は、肉体的よりも精神的にきつかった。朝刊・夕刊の配達・チラシ入れ・集金…など。やる事が沢山ありすぎて自分の時間などほとんど持てなかった。特に毎月の集金は、もの凄いプレッシャーだった。今でいう「反社会的勢力」のお客さんもいて、毎月集金に行って絡まれることは当たり前だった。一部、何度訪ねても払ってくれないお客さんもいた。新聞配達は毎日。雨が降っても、雪が降っても、新聞が店に届けば自転車で配達に出る。こんな生活していれば、体調を崩すのも時間の問題だったんだと思います。さらに、学校にも電車で片道40分かけて通学。授業を受けて帰ってくると、休む間もなく、いつもみんなから30分遅れで配達に出かける。集金があれば、配達のあと、また出かける。それでも、まだ一日の仕事は終わらない。次の日の朝刊のチラシ入れが待っている。ほぼ毎日こんな生活。
この生活のツケが卒業前に出た。それが潰瘍性大腸炎だったのかもしれない。しかし、ここで身体にストップがかかって入院したことで、生活がガラッと変わった。その生活は「何もしなくていい」という病院での入院生活。ここで、心も身体もリフレッシュ出来たというか、マイナスが大きかった分、入院生活はプラスしかなかった。その反動の大きさで未だに寛解状態を維持している。一生、入退院の繰り返しになるかもしれない…とか、医師から話があったような気もするが、ハッキリとは憶えていない。もう完全に過去のことになっている感じです。
しかし、あの日の、朝刊配達中のもの凄い腹痛と下血の恐怖は、未だに忘れられない。
あくまでも、これは私個人の場合。同じ病気で苦しんでいる人は、沢山いらっしゃる。そして、お一人お一人に、ちがう潰瘍性大腸炎というストーリーがある。
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