I was music

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ふと。ブログを再開。

だいぶ空いたなー。
まぁすでに別垢なんですが。

日常のなかでの気づきを書き留める場所が欲しくなって。

ボイスやTwitterのように、顔見知りを含む不特定多数に広げる感情の吐きだめにするのではなく

日々の生活のなかで感じる気づきや思い、幸せや不幸せ。

そんなことを綴っていこうと。

さてさて。
最近考えることとして。
まぁ今に始まったわけではないのだが。

自分はどんな人間か
自分がどうありたいか
どう思われたいか

人には役割意識というものがあるゆえに
TPOによって演じる自分が異なる

どういう自分でいるべきかを無意識にキャラクターチェンジするわけだ。

ふと、意識のなかで違和感を感じることがある。

この行動は、言動は、身の丈に合っているのだろうか。

それはきっと、自己を他覚的に捉えられていないからであろう。

人というのは難しいもので、自分に都合の悪いことは忘れてしまう、無意識のなかで万人に好かれるように演じてしまう

でも本当の自分はどうありたいか、そこの意識と演じてる自分の間に生じるずれで、なんか居心地が悪いだの、ここは楽だのを自分の尺度だけで決めつける。

ずっと問いかけてきた自分へのクエスチョン。

私はどんな人間か
どうして今この考え方を得たのか
どうしてそのような行動言動をとったのか
生きてきた環境やその時の感情変化を考えた上で
常にwhy?をつけて行く。
まぁ見方を変えれば言い訳を探しているのかもしれないんだけど。

でも、自分が自分のことをわからないと
人にわかってもらえないでしょう?

ただ、自己を認識するのはあくまで自覚の中だけである。

それがどう映るのか

他覚することは自分一人ではつかめない

だから人は対話をする。

会話の中で、人間関係の中で他覚される自分をつかんで行く。

これもTPOで変化するのだが。

もちろん、そんなことを常に考えながら誰かと一緒にいるわけではない。

人と付き合うなかで、自分へのメリットデメリットを考えて人間環境を選択するなんてこと出来ないしね。
それこそ身の丈にあってない考え方である。

たとえデメリットが生じようが、そこから逃げない。
そ逃げないことでしか得られないメリットもあるってもんでしょう。

社会適応うんぬんもそう。

自分から歯車を合わせにいく努力をしないままではいけない。

自分で歯車の回転数の設定やメンテナンスをしている前提で。


なんの話がしたいのやら。

でも書き留めておきたいのはこういうことなんだろう。

さて、雨ですね。
雨の匂いは嫌いではない。

雨の匂いをかぎがてら、ベランダに一服しにいこう。



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