※夜中に勢いで書いたから、いつにも増してまとまっていないです。ご了承ください※
高校の部活仲間と会った。
2人は、一緒にいるような仲でもなかったけど、部活に関係なく、私自身の考え方を認めてくれる人だ。
2人とも面白い価値観を持ってる人だ。
倫理的におかしい、とかじゃなくて、世間一般の常識に囚われずに、自分なりの意見を持って生きているなという感じがする。
普段から素行が悪かったり、社会に楯突くような風でもない、むしろ真っ当に生きているけど、どこか世間を懐疑的に、核心を探すように見ている感じがする。
部活こそ同じだったけど、今はそれぞれ全く違う環境で、違うことを学んで過ごしている。
久々に会って近況を聞くと、知らない世界を生きている感じがして、すごく面白い。
そして何より、この3人で集まったときは、哲学的な話や、考え方の話をする。これがどの集まりよりも深くできるから、好きだ。
普段なんとなく感じたことでも、自分では言葉にしきれなくて、鮮明に意思として残せないことがある。
でも2人には、それを言語化できる能力があって、話を聞いていると「それだ」と爽快感があることがある。
逆も然りで、私が概念的なことを伝えたいとき、多くの人は難しい顔をするけど、2人は上手く汲み取ってくれる。
だから、少し難しい、深い話ができる。
大人数でわいわいするより、少人数で深い話をする方が好きな私にとっては、ありがたい存在だ。
今日も、面白い話を沢山した。
ペットをどれだけ人間に近く扱うか(葬式するのか)
教師は世の中を知らない
親の頭が堅い
神様の鹿を食べる奈良県民
幸せとは
etc...
今こうして部活の仲間と会えているのは、私にとっては結構奇跡だ。
というのも、部活で私は、初めての挫折を経験している。
毎日何も上手く出来なくて、苦しかった。
役立たずで、人格も否定された気分で、ずっと辞めたかった。辞める気でいた。
でも、辞める勇気が出なくて、ずるずる引きずって、引退まで居たけど、そんな訳でやり切ったという気持ちになれなかった。
何もできない自分が完全に嫌になって、仲間といるのも嫌になっていたから、引退したら誰とももう関わらないと思っていた。
実際、部活が一緒だった一番の親友とは、卒業以来もう会っていない。
「部活辞めたら、友達辞めようと思ってた」
その元親友に言われた言葉。
その子の性格や考え方は、ひとつも嫌じゃなかったけど、この言葉だけは、私のなかで認められなかった。ショックだった。
たしかに、その頃の私たちにとっては部活が生活のほぼ全てだった。お互い辛いときも一緒に頑張ってきた。部活として戦うときもあったし、個人として喧嘩もしたけど、それでもやってきた。
だからこそ自分だけ逃げるのが、許せなかったんだと思う。
部活の仲間が一番の仲だったから、卒業してから会える友達がいなくなるのが嫌で、最後まで続けた。でも結局、自ら塞ぎ込んでしまったから、ほぼ誰にも会えなかった。集まりにも参加しなかった。
受験勉強の時間も足りなかったし、こんなことなら、辞めて良かったのかもしれない。正直そう思っていた。
昨日会った2人には、私が辞めていても卒業後会えていたと思う、と言われた。部活から離れて4年が経って、最後までやり切るのが全てじゃないと分かったからかもしれない。でもこの2人は、それを高校の時にわかっていた気もする。
能力的に劣っていることと、友達でいられることは別だと、考えられなかった。だから辛かった。
それを自分も出来なかったし、親友もそうだったんだと思う。
上手く言えないけど、救われた。
2人が居てくれたとしても、辞めてたら私が遠ざけてただろうから、結局、辞めないでよかったのかもしれない。
部活仲間じゃなくなっても、友達であって欲しかった。
でもそれは、出来なかった。
あの頃の私たちは、部活が全てだったから。
辞めようが辞めなかろうが、離れる人はいた。
でも、友達で居てくれる人もいた。
久々に思い出した。
つらかった感情まで思い出して苦しくなったけど、4年越しに考えると色々と整理ができて、いい時間になった。
また会いたい。