とんでもない記事 見つけました。
フォーサイト日本語版(あの新潮社)です。
血を流さないで すむ 戦争を語ってるのか?
無人航空機を使って戦闘をすることは、アフガニスタン、パキスタン、イランなどで展開する米軍にとっては一般的なことになりつつあります。
たとえば、代表的なUAV(Unmanned Air Veehicle)である「プレデーター」は偵察や対地攻撃に使われ、ターリバーンやアルカーイダ幹部の殺害にも使われました。
しかし、いま使われている無人航空機も、どこか別の場所にいるとはいえ、操縦士が運転している点は、有人機と同じです。
ところが、いまや、英米やイスラエル、韓国などでは、自分で判断して自分で攻撃を加えられるような「自律性」をもつ軍用ロボットが開発されつつあるとも言われています。
はたして、そのような兵器を使って戦争することは人類にどのような意味をもつことになるのでしょうか。
やられる側からは「卑怯者!」と批判されてもおかしくないし、お互いにそのような兵器を使って戦争したら、それは戦争ではなく、お金のかかるだけのゲームのようにも思えます。これらの兵器の是非について、皆様のご意見を拝聴したい。
コメント1
卑怯ではないが、AIの人権が問われるのでは
まず、卑怯か否かという問題については、ノーだと思います。
素手の相手に対して間合いの外からこん棒や石槍を振るっていた時代から、兵器テクノロジーの不平等はありました。
「安全な位置から一方的に攻撃できる武器」としての軍用ロボットがなくても戦争の条件は不平等ですし、それが登場しても変わりはありません。
そもそも、心技体を磨くスポーツの試合ではないのですから、不平等なのは卑怯でも何でもありません。
ですが、現在使われているようなリモコンドローンではなく自律性を持つロボットが開発実用され、そしてその判断力が人間レベルだとしたら
(そこまで性能が発達したら)、話は変わります。SFめいた考えになりますが、AI(人工知能)をヒトとして認めるかどうかが問題になるでしょう。
人間レベルの判断力を持ち実際に役に立つAIは、知性の面でも社会貢献の面でも、人間の軍人に劣りません。
それを対等の存在として認めないのは、異教徒や異人種を「同じ人間」とは認めていなかった昔の偏見と同じだという考えができるのです。
高性能AIをヒトとして認めるか、モノとして扱い続けるか。あるいはジレンマを避けるため、技術的優位にもかかわらずあえて開発しないか。長期的にはそこが問題になると思います。