学校から帰れば、今日も230セドリックが停まっていた。
・・・・また来てんのか・・・・
別に、親が離婚するのはなんとも思わない。
・・・ましてや、父の、あの酒を飲んで狂ってしまってる姿・・・・長年、母の顔の青痣を見せられてきたボクは・・・・父が暴れた後には、その証拠のように母の顔に青痣が残った。・・・・さっさと離婚すりゃあいいのにと思ってたくらいだ。
・・・・青痣のついた顔じゃあ、外を歩けない。
そんな時は、ボクが母に代わって買い物に行った。
「食べたいものを買ってこい」
・・・・そう言われたところで、小学校3年生のボクにはわからない。・・・・父が酒を飲んで母に暴力をふるっていたのは、昨日今日始まった話じゃない。ボクの記憶の中では、まったくの日常だった。・・・・初めて買い物に行かされたのは小学校3年生だった。
「何を買うたらええんやろ・・・?」
困ったボクは、近所の食料品店で、パンを買った。・・・アンパン、クリームパン・・・そして、前から食べてみたかったケーキのような菓子パンを買った。・・・干ブドウの入ったデニッシュに、飴状になった砂糖がふんだんにかかっていたパンだった。田舎の小学校3年生には、それが、すごく都会的なケーキに見えた。
家に帰って、買い物袋を見た母は烈火のごとく怒った。
母曰く、「夕食」を買ってこいと言ったのに、なんでパンを買ってくるのか・・・・当時は、パンは夕飯に成り得なかった・・・・さらには、お菓子を買ってくるとは何事か。
・・・こうしてボクは、一番食べたかった「菓子パン」を食料品店に返品に行かされた。
真っ暗な夜道を、トボトボと・・・・トボトボと泣きながら歩いた光景は、今でもはっきり憶えている。
家に入れば、父と母が向かい合っていた・・・弟が抱かれている。
・・・そして、父の隣には叔母がいた。
この前の時も叔母が一緒だった・・・・
父は4人兄弟妹だった。家を継いだ父が長男、下に弟が2人・・・そして末っ子が妹。
叔母は、6年前に隣の愛媛県の老舗料亭に嫁いでいた。・・・加藤清正と加藤嘉明の会談の場になったとかの、由緒正しい老舗料亭だ。
実家に顔を出すたびに・・・つまりウチ・・・・松山の洒落たお菓子なんかを持ってきてくれた。・・・・松山は四国の中の都会だ。
・・・・が、ボクは叔母を、あんまり好きじゃなかった。
どうにも「女っぽい」んだった。
そりゃ、女だから、当然だ・・・なんというか、男に対しての「媚」を感じた。
叔母は男3兄弟の末っ子妹だ。
そんなことからか、なんでもかんでも「兄」たちを頼っていた。・・・また、兄である「叔父」たちも、なんでもかんでも言うことを聞いていた・・・・・のみならず、まわりの男、全てに媚を売り、意のままに操ってるような感じが見えた。・・・・裏で舌を出してるような。
ボクに対しても、どうにも、流行りの玩具や、流行りのお菓子で媚を売ろうとしているように感じた。
・・・・もちろん、可愛い女性だった。甥っ子であるボクから見ても「叔母さん」というより、歳の離れた「可愛い従姉」といった方がいいくらいだ。
・・・・ただ、どこかで「嫌な感じ」を抱いていた。好きになれなかった。
「公園行っといで」
母がいつものように200円を手渡した。
いつものように、お砂場セットを持って、弟の手を引いた・・・・
・・・・なんで叔母さんが来んねやろ・・・・離婚するんやったら叔母さんは関係ないやろ・・・なんでや・・・
・・・・陽が暮れていく・・・・ブランコに座って砂場の弟を見ていた。
細かい雨が降ってきた・・・・
夜になっていた。
部屋の中。・・・湿気・・・息がつまる空気だった。
弟は二段ベッドの下の段・・・弟の寝床で眠っていた。
父がいた。叔母がいた。
・・・母は俯いていた。
そして、ボクは泣いていた・・・・
叔母の嫁ぎ先は、松山の老舗料亭だ。
結婚して6年・・・未だに子供ができなかった。・・・妊娠すらしたことがない。
・・・・しかし、子供がないということは、嫁ぎ先の老舗料亭・・・代々続く老舗にとっては大問題だった。
・・・家が途絶えてしまう・・・・・
弟が松山へと養子に出されることが決まった。
「カァくんも大変やろ?毎日毎日、学校からまっすぐ帰って弟の面倒みて・・・」
叔母が言った。
・・・・そうか・・・・そうかもな・・・確かに大変や・・・毎日毎日、学校終わったら真っすぐ帰って・・・お砂場セット持って公園行って・・・・
弟が松山行ったらプラモデルを作る時間も、宿題をする時間も、友達と遊ぶ時間もできるよなぁ・・・
そうかもな・・・そのほうがええんかもな・・・
弟も、ひとりで家でお留守番させとくわけにもいかんわな・・・
・・・・頭では、最良かもしれんとは思う・・・・・
でも・・・んでも・・・んでもな!!
・・・・そんなん嫌やわ・・・嫌や!!
「離れて暮らしても兄弟であることに変わりはないんやで」
父が言う。
そんな言葉、慰めにもならへんわ!
父は、威厳を保つようにか、床の間らしきところを背中に、えらそーにほざいていた。
父が力説している。
「家」が大事だと。「家」を絶やしたらアカンと。
家長のワシが決めたことや。
可愛い妹のために、ひと肌脱いだろうと力説していた。
・・・・その隣の叔母に、なんとも汚らしい「媚」を感じた。
ボクは泣いていた。
涙が、これでもかと、こんなにも泣けるもんなんかと涙が零れた・・・・・
人はこんなにも泣けるもんなんか・・・・人間には何リットルの涙があるねん。拭いても拭いても涙が流れた。
どれだけ、泣いたら止まるんじゃ・・・・アホたれ。
・・・・弟は眠っていた。・・・弟は何も知らずに眠っていた。
・・・遊び疲れたかなぁ・・・・今日も、砂場で、いっぱい遊んだもんなぁ・・・・
泣き声が、これでもかと口をついた。
しゃくりあげる嗚咽をガマンすることすらできずに泣いた。
間違いなく、生きてて一番泣いた。
いつまでも、いつまでも泣いた。泣き続けた。
笑う、泣く・・・全ての感情をなくしていたボクが泣いた。
どれだけ泣いても涙は止まらない。