育歴1
Presidentでジャーナリスト 吉田典史さんは育歴の重要性を語っている。学歴が全てとされてきた約20年前からは段々と、資格社会となり、資格が重要となっている。東大をでて、社会に出て、頭脳明晰であろうと、臨機応変さに欠け柔軟性に欠けていては仕事や仕事における人間関係が円滑に進むとは考え難い。この育歴という言葉を聞いて、自分自身の育歴を振り返った。私の家族は解散している。その後、再結成とまでは行かないが、母とは友人という立場で和解した。モノゴコロがつく頃から、周囲の友人の話す家族とかけ離れていることに気がついた。小学校から兄にはあり、私にはないものがあった。小遣いや誕生日の祝いの言葉、クリスマスなどプレゼント、お年玉。これについては、男女差があるからであると、納得させていた。私が、女として生まれた時点で負けたと思っている。だからこそ、この強い性格となったのではないかと考える。スポーツができた兄に勝とうと、必死に勉強をし成績はオール5、3は取ったことがなかった。でも、私への関心や声掛けはなかったので私は迷走した。事実、中学から白髪になり、自傷行為。高校では落ち着かない情緒さをコントロールできず、もがいていた。感情をぶつけるのもおかしい、相談しようものならすぐさま保護者へ、となる。あってない保護者に相談されるのは嫌だった。そこで自己コントロール方法を見出した。今ではもうしないが、自傷行為で腕に張りを刺した状態で上からセロハンテープを貼るのだ。引っかかることはないが、苦痛を伴う。ただ苦痛よりも、安楽があった。おそらく、脳からアドレナリンやドーパミンという脳内麻薬がでていたのではないか、と考える。自宅に帰り、万が一家族が揃うと物は飛び、罵声が響くような環境で、今でも思い出すと吐き気がする。高校後半からは、母の祖父母の家から学校へ通ったため、すこしはストレスから逃れられた。実質、実家には子どもは寄り付かなくなった。そのきっかけは、当時拠り所となっていた彼氏当時34歳くらい、との交際だけでなく、重なる劣悪な環境であった。1年半のアプローチを受け、交際し2年半経つ頃妻子持ちとの告白をうけ、離婚するから内赤したとのことであった。私が愚かだと思う両親がしているような事を、私は加害者的存在になったことも相重なり、自殺を図った。一回目の自殺は眠剤の服用をし山林奥地で凍死でもなんでもしようとしたが、当時の彼氏の必死の捜索で一命を取り留めた。自殺行為は数回あったが、ODして上肢、腹部、下肢を血まみれにして放課後、飛び降りようとしていた。意識は朦朧としてまっすぐあるけず、立っているのも困難だったため、這いずりながら階段を登っているところを発見され、警察に通報された。命を取り留めたわけだが、両親に通報したら私は本日中に死ぬと教員を脅した。詳細は明かされなかったようだが、平然と装い話す私に母は、なんだよ大事に。と一言いい、車で帰った。その後、「そういうことするような基地外は産んだ覚えないしな。てか、基地外の母とか想われたくないから辞めて」といわれた。これは人生でパンチラインのある言葉であった。それに私は「ああ、もちろん。せんこうの言うことはよくわかんねえは。大袈裟だなw」と普通に返した。精神科受診しなければ登校させないといわれたので、一応いったが私は元気に話をし、異常無しと診断をもらい午後には学校に行った。色々ショックを受けて、死のうとしばらく思えなかったのは確かだった。その後別居していても両親と会うことがあり、会えば「あいつ(母/父)は浮気してるんだよ」と聞かされていた。それはおとなになり、そうだろうなと察するところは多かったけれど。。。自由恋愛だと納得させていた。私が大学にいくため、奨学金で通っていたが奨学金があるにも関わらず、学費未納の話を出され除籍されると話された。父は家族という紙面上の関係だけであり、何年もあっていない。つまり、扶養されている状況ではなかった。そのため、貧しさにより奨学金もすこしいいものを借りることができた。利子なしとかね。額はおおよそ学費がまかなえるほどであるが、このようになったのは使い込みがあったからである。大学でも両親の愚痴や、嫌々行ったいとこの結婚式では嫌いな祖父母に会わざるをえず、避けていたが祖母が私を呼び出し、話をしてきた。「お前のような人間が看護師になれるわけがない。そもそも成人式で1万やったのに、実家に菓子でも持って来るのが礼儀ではないか。」という言葉であった。私は祖母には敬語で目を合わせられない。「はい、すいません。」とだけいって、式では平然とやり過ごした。よく笑い話にするのだが、、そんな家族が嫌で兄は中学から友人のところへ逃げた。私は逃げる場所がなかったため、自宅へ帰宅したがいずれにせよ、祖父母はパチンコ、母はご飯をつくったら出て行く、父は返ってこない。なので一人で過ごしてきた。夕食に皆が集まることはないのだが、「本日は祖父の誕生日だから全員18:30に帰って来なさい。私が主催で焼き肉をします。ごちそうしますから。」と祖母から命令があり、集合した。「おじいさん、お誕生日おめでとうございます。」と葬式のような焼き肉が始まった。兄貴は牛、私は豚、両親は牛タン、自分たちは上カルビやらなんやら。もちろん野菜は用意はこちらで、焼く。そもそも夕食を各々別々なものを食べていた。兄は肉、私は魚、とかいまさら別々に対して、そういえば当たり前かとも考えたが、一緒に焼き肉を囲む意味があるのだろうか。とも思いながら、焼き肉ってこんなんだっけ?って思いながら、本当に葬式のような会をした。大学からの話はまたしようか。とりあえず。育歴こんな感じや