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丹生川上神社[中社]で造形作家、
細見氏の作品を展示するため東吉野に向かう。
天気予報は雨。
いつもなら「俺、晴れ男なんで」と言ってしまうタイミングだが、
絶対何か言われそうなのでやめとく。
9月22日予報に反して快晴。
かなり重量のある作品の設置に手間取るものの、
現場でのスタッフや知らないおじさんだったりのアイデアがひとつひとつ形になり、
やがて光を浴び体を翻しながら天に昇る白き龍が出現。

壮大な自然の営みの中で翻弄される小さな生き物たち。

どれも脚立を使った高い場所での作業のため、
何も出来なかったオレ。

雨が降らなかったので予定内に全作業が終了して社務所にあいさつ。
荷物をまとめて車に乗り込んだのが16時半、
帰りに丹生の真井から滾々と湧き出ていると御神水をお土産にとの提案に
笑顔で対応。これからの行程を考えて躊躇する。
ここから60キロ離れた洞川温泉方面まで送ってもらう。
途中で丹生川上神社[下社]にお参りして、一路大峰山へ。
 
母子堂到着。

初めて女人結界と刻まれた石碑を見た時は不思議な思いで山を
見た記憶がある。
大峰山、女人結界が現存する場所、そして世界遺産。
今なお結界の張られている領域で9月23日未明に行われる戸閉式を見るために
山頂上の大峰山寺を目指す。
女人結界は母子堂からだと思っていたので挨拶を交わしていると、
居合わせた行者さんに昭和45年に母子堂から1.5キロ大峰山寄りの清浄大橋に
結界門は移動してることを教えてもらい、みんなにもう少し先まで付き合ってもらった。
そう言われたら母子堂に門は無いか。
登山口近くの駐車場にて
「なかなか見られない世界と夜の森の息遣いを楽しんで」と送り出され、
柿の葉寿司を片手に清浄大橋を渡って登山口へ向かう。

下山してこられた行者さんに山頂までの所要時間をたずねると
2時間半から3時間らしい、急いでも2時間半。
「今からですかと」言われ結界門の向こうに広がる薄闇を透かし見る。

預かった宿坊へのお土産を片手にと言うわけにもいかなさそうなので、
ザックに詰め、ライトを準備。
しばらくすると陽が落ちてあたりが暗闇に満ちた。
ライトを点灯、接触が悪いのか時折消えそうになる。
100均の商品に不安を覚えつつ、ヘッドランプも装着、
これまた光量が弱い。
まごついていると冷たいものが顔に落ちてきた。
雨じゃない可能性を模索するが現実を受け止めざるを得ない粒が顔に当たる。
合羽を着て、ショルダーを調節、ヒップベルトを締め、酒で体を清める。
晴れ男じゃなかったと思いながら奥深い大峰山の懐へ溶け込んでいく。
合羽を叩く雨の音で森の息遣いは聞こえない、自分の足音にビビッて振り返る。

まず一ノ瀬茶屋には到着。
木々は雨風を和らげてくれ、闇は照らせば見える。行ける。
ライトが壊れなければだけど。
少し落ち着いてきた。
二番目の茶屋、一本松茶屋を通過して、湧き水が出てるお助け水に到着。

お社の中の役行者の像が持ち去られたらしく、返してほしいと書かれていた。

持ってく奴とはどんな人間だろうか?
三番目の茶屋。
洞辻茶屋で初めて行者の集団に出会う、
「こんばんは」と声をかけるが無言で会釈が返ってくる、
しゃべったらダメなのか?
追い抜く。調子に乗ってきた、2時間切れる気がする。
気持ち小走りになる。四番目の茶屋、陀羅尼助茶屋でおじさんが二人いたので
宿坊までの時間を尋ねたら40分ぐらいと言われたから30分きれば、
ちょうど2時間で到着できるはず。
茶屋を出ると案内板が立っていて、左に行けば行者道、右手を選べば平成新道。
調子に乗ってるんで「行くなら昔からの参詣道で」ということで昔ながらの参道へ。
これが世界遺産ルート。
油こぼしなど名前の付いた鎖場をのぼりながら、キノコの写真を撮ったり、はしゃぎ過ぎ。

いよいよ鐘掛岩の石碑の前に出る。
ライトに照らされ白っぽく浮かビ上がる岩に銀色に光る鎖が張り付くように下がっている。
行場を選択しなければ案外早くゴール出来ると思ったがそう簡単には行かせてもらえないらしい。
まだ調子に乗っているので、取り急ぎ鎖にとりつき垂直に近い岩場を登っていく。
雨で滑らないように鎖を握りしめる、70リッターのザックが左右にふれ肩に食い込む。
2本目の鎖を手繰り寄せ一気に駆け上がり岩場の上に立つ、
いきなり開けた景色を見て完全にやらかした事に気づく。危険極まりない場所に立つ。
一気に気持ちがしぼむ。
真っ暗な緑がはるか眼下に広がる中にだらにすけ茶屋の小さな明かりが灯る。
広くない鐘掛岩の頂上には、役行者の像と錆びて曲がった手すりしかなく、

暗闇の中なか必死に道を探すが谷底に向かって垂れる鎖しか見つける事ができない。

こんな危険な場所コースなわけない、どこで間違った?
昔からの参詣道が行場道だという事は考えるまでもないことだった、避けて登ってるつもりが、
暗闇の中、修行しながら進んでいる。
鐘掛岩の頂上から道を尋ねようと宿坊に連絡を試みるも電波は届かない。
平成新道と参詣道の分岐点までもどるか?それとも腹を決めて下りるか?
下りたら道はあるのか?動揺して思考は要領を得ない。
下の方にテラスらしきのが見える。

危険回避を選択する決断もできない。
結局少しでも早く宿坊に着きたいなら降りるしかなく、そっと下を覗く。
暗くて下までの距離が判りづらい、決断。
とりあえずバンジージャンプの踏み切りに似た感覚で垂直に切り立った岩壁に体を投げ出す。
一層強く鎖を握りしめ、雨で滑らないように慎重に取っ掛かりの少ない岩場に足を置くいく。
一本目の鎖が終わり、二本目の鎖に手を伸ばす。
ここまでは暗くてはっきり見えないことが幸いして足場だけに集中し、
停滞することなく下りられた。
二本目の鎖も終わり三本目の鎖に移ろうとライトを向けるが
それらしきものがどこにも見当たらない!無い、無い、無い!
右手でぶら下がりしつこく左手で岩肌を探ってみる、探ってみるがやはり無いものはない。
鎖が無いとはどういうことか緊張で体が固まる。
頂上に戻るか岩に張り付き下るか、いい加減決めないと握力が・・・
見た感じ足場は確保しやすそうなので滑らないように慎重に岩にしがみつき体を移動させる。
ザックが揺れ体が振れて姿勢が安定しない、荷が重い、足場の確認が覚束ない。
風がなくてよかった。
ザックを落とすか?下を覗き込む。
張り出した岩があるのできっちりテラスに落とせるか疑問に思う。
暗くてはっきりと足場が確認できない上に合羽で動きづらく、岩に張り付いた状態で
ザックを背中からおろすのも心もとない。
このままいく。
ふっと視線を上げる、
暗い森の中の茶屋の灯りのせいで宙に浮かんでるような錯覚を覚える。
シャレにならない体感高度に動きが鈍る。
どんな体勢なのか足元が見えない。
見切りで足を延ばす、動かない体を、ゆっくりと、少しずつ。
何とかテラスにたどり着き、雨の中に切り立つ鐘掛岩を仰ぎ見る。

思い出したくないのか、どうやって下りてきたのか記憶がない。
しばらくは冷静な判断もできず、脇道にそれるばかりでなかなか参詣道に戻れない。
下ったり上ったりしていると雨の音に交じって声が聞こえてくる、
それは洞辻茶屋で休憩されてた行者さん達の声だった。
やっと抜け出せる安堵感にほっと胸をなでおろす。
すると突然こむら返りを起こし痛みで動けなくなる。
じっとしてると見失ってしまう。転がるように追いかける。
踏ん張れずに足がもつれ、つんのめる感じで行者さんたちに追いつく。
まるで急いでる感じに見えたのだろう。次の瞬間、
足元をライトで照らしてくれ先頭に向かって通してあげてと合図が送られる。
別にかっこつけるわけではないが厚意は頂く、他に選択無し。
笑顔で「ありがとうございます」と即答。
「喋っていいんだ!」足を叩きながら追い抜いていく。
確実に最短で到着するには、後方の集団を確認しながら間違ってないか慎重に進んでいくコト。
もう調子に乗らない。迷わない。
追い越されるわけにもいかず足場の悪い岩場を転ぶように確実に進む。
宿坊の灯りが見えてきた。
時刻は20時50分、大峰山の戸閉式まであと6時間。
喜蔵院に到着したのは21時少し前、
とてつもなく長く感じたが鐘掛岩での出来事はたった30分間だった。
まず柿の葉寿司を渡し、お風呂をいただく。
この時間だから冷めていたけど冷えた体には十分。
ただ掛け湯をしないようにと注意書きがあってどうしたらいいか分からなかった。
自分用の柿の葉寿司を出して食べてたらお味噌汁を出して頂いた。
柿の葉寿司だらけの荷物が少し軽くなる。
反省のため鐘掛岩の地形を尋ね、そこでの出来事を話すが反応は無い。
多分、明るければ思うより困難な行場ではないのだろう。
疲労困憊だが柿の葉寿司なら食べられた。米が食べたい。
ストーブが心地よく布団がすげぇ気持ちいい、この瞬間をなんど思い描いたか!
だがストレスにさらされた神経はなかなか眠りに落としてくれない。
4時間ほど寝たり起きたりを繰り返し、2時に鐘?が鳴ったので準備を始める。
雨が激しく窓を叩く。
式が始まる前にフラッシュ禁止などの注意事項が述べられた。
式の途中でフラッシュ焚く人もいるんだ!と思ったが俺もやってしまった。
多分操作ミスでやってしまうんだなこれ。
でもフラッシュ焚いてなくても怒られてたけどね、モニターが明るすぎて。
写真は式を邪魔したくないので諦める。
完全に撮影禁止にしたらいいと思うけど。
午前3時、鍵渡し式始まる。雨が弱くなってきた。
今回初めてNHKのテレビカメラが入り儀式の様子が撮影されていた。
昭和45年、結界門の移動がやむを得なかった様に事情があるのだろう。
鍵渡し式が終わり本堂前を掛け声激しく、提灯掲げて騎馬で練り廻る、
そして堂内に入り、ご本尊(蔵王権現)と役行者尊の前で祈る。
戸開、戸閉の儀式には「秘仏 秘密行者尊」が御開帳される。
その後、本堂脇で護摩が焚かれ、国家安寧・五穀豊穣・世界平和の祈願がされる。
順番を待って本堂内へ、古い仏像が並ぶ回廊を進む。
ご本尊の前で祈祷していただき、次に、役行者尊の部屋に通される。
そこでは周りを山伏装束の人達にかこまれ錫杖の音と読経が響くき、
心地よい感覚が広がっていく。
表に出ると雨がまた少し強くなった。
目の前で護摩壇の炎が激しく燃え盛る。山伏が祈りカメラがその様子を追いかける。
 
式が終わってそのまま山を下りる人もいるのだろう宿坊の玄関口が慌ただしい。
わりと気軽な格好の方が多く、 ザックが大きいと大峰奥駆と間違われる。
宿坊に戻り布団の中に潜り込んだ。
今日は宿坊の閉めを手伝って明日の朝、山を下りる。今度はちゃんと景色を見ながら。
朝食を終えた泊り客が雨の中、山を下りていく。
午前中に布団を一部屋に集め、雨戸を閉め、
畳を上げたりと分かりやすい仕事だけ手伝うものの、
布団を積み間違えたり、床を踏み抜いたりと邪魔をする。
午後から雨が上がったので山頂のお花畑まで散策、小雨がぱらつく。

頂上に湯出岩と書かれた磐座と思しき岩がある。帰ったら調べてみよう。
悪かった天気が夕方に晴れ間を見せた。
ここで働いてる方が初めて見たと言うぐらい見事な雲海が広がる。

どこかで響く法螺貝の音を聞きながら刻々と変化していく様子を、
大峰山系が見渡せる岩場の上で眺めた。

なぜか相撲甚句?まで聞こえる。
昨日の夜と同時刻、
あそこで奮闘していた自分を思い返しながら小雨の中、反省と感謝を。
この近くで行方不明になられてた方が発見されたと情報が入ってくる。
翌朝宿坊を閉めて山を下りる。

宿坊の方に送ってもらう途中に立ち寄ったお店で鐘掛岩の写真が飾ってあったから、
どのルートが正しかったのか尋ねると、かなり驚かれた。
岩壁を下りたとは思わなかったみたいで、通常ガイドが必要だとの事。
あの時、下に見えたテラスに荷物を置いて岩壁を登るのが正規ルートになっていて、
行場を逆に回ったと言う話は25年間で二人目らしい。
そしてどちらも岡山の人間という笑えない話で、
その後、人に会う度に夜雨の中鐘掛岩を逆に下りた人と紹介される。
吉野山の中腹にある喜蔵院に大峰山の喜蔵院で働いた方々一堂に会しての慰労会。
同席させてもらい振舞われたご馳走、とてもおいしく頂きました。

山が開いてる時期には護摩壇の前に安置されている仏像は山を閉めたら
吉野の喜蔵院に移されます。

帰る前にそのお手伝いです。
仏像を抱きかかえる状態なんて無い事なのでかなり気が張り、
なんかシャンとしました。その時だけは!    
以上が奈良での出来事、忘れない様に。