千年以上の時を超え、語り継がれ、愛され続ける貴人… 二上山に眠る、大津皇子(おおつのみこ)様  | Lime Tree ナチュラルセラピー スクール&サロン 日記

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こんにちは。

 

いや、暑いですね…メラメラ

 

皆様も、どうぞ、くれぐれも、

熱中症に、ご注意ください。

水出しハーブティーの出番が、

 増えておりますニコ

 

本日は、ブログ主が、

深く、深く、思いを寄せる、

二上山のお話を

させていただきます。

 

 

少し前のことになりますが、

 

ブログ主は、

30年以上も前から、

「絶対に訪れたい!」

と、願い続けていた、

 

奈良県の「二上山」

の麓に、たどり着きました。

この山には、

大津皇子(おおつのみこ)様

という皇子様が、

眠っておられるといいます。

 

大津皇子様は、

今から約1300年前に、

生きておられた方で、

どんな方であったかというと、

    ↓

「体はがっしりと大きくて、

器の大きい頼りになる性格。

 

文武両道で、

本をたくさん読み、

文章を書くのも上手。

 

武道の才能も高く、

強い力で自在に剣を操る。

 


性格は、

大らかで、自由奔放

細かいルールには縛られず、

 

また、誰に対しても優しく、

謙虚で、礼儀正しい。

 

誰からも愛され、

みんな大津皇子を、

大好きになってしまう

 

という、光輝く、皇子様

でした。

 

となれば、当然、

大津皇子様には、

輝かしい未来が

約束されていたはずでしたが、

 

とんでもない悲劇が、

皇子様を襲います。

 

父君の天武天皇が

亡くなられてすぐ、

 

大津皇子様は、

当時の政府に対して、

謀反を企てたとされ、

刑死を言い渡され、

ご自害(自刃)に、

追い込まれてしまうのです。

 

まだ、わずか24歳でした…

 

この悲劇の背景には、

 

大津皇子様が、

あまりにも、

素晴らしいお人で

あったがゆえに、

 

当時、皇太子であった

草壁皇子様よりも、

 

「大津皇子様の方が、

天皇に、ふさわしい」

 

という思いが、

多くの人々の中にあり、

 

これを危険視した、

草壁皇子様の周りの人々が、

先手を打って、

大津皇子様を、

葬り去ったわけです。

 

光輝く皇子様を

襲った悲劇に、

人々はショックを受け、

大変な悲しみに包まれます。

 

しかも、「謀反人」として、

亡くなられたために、

生前の名誉も汚され

 

「罪人」として粗末に葬られ、

その名を口にすることも、

許されず、

 

その存在を抹殺されようと

していました…

 

ですが、大津皇子様は、

その死から、

千年以上たった今も尚、

人々の記憶から消えては

おりません…

 

その理由は、まず、

正規の歴史書に、

この事件のあらましと、

大津皇子様の豊かな才能と、

素晴らしいお人柄が、

記述されていると、

 

そして、それとともに、

 

大津皇子様の姉上、

大伯皇女様のお歌が、

今も尚、人々の胸を

打つからでしょう

 

万葉集に残されている、

大伯皇女様のお歌は、

全て、大津皇子様を思って

歌われたものばかりです。

当時、大伯皇女様は、
伊勢神宮の斎宮
(神に仕える皇女)であり、
 
本来なら、斎宮様には、
例え、弟であろうと、男性は、
会えませんが、
 
父君の天皇の亡き後、
日に日に危うくなる、
自身の身の上を感じた
大津皇子様は、
 
その禁を破って、
奈良から伊勢(三重)まで、
たった一人の肉親であり、
母代わりでもあった、
最愛の大伯皇女様に、
(ご姉弟のお母様は、
お二人が幼い頃に、
亡くなっています)
会いに行きます。
 
いきなり目の前に現れた
弟君を見て、
大伯皇女様は、
どんな思いであられたのか…
 
「これが、今生の別れに
なるかもしれない…」
 
という思いも、当然、
よぎったことでしょう…
 
そして、ひと時の語らいの後、
最愛の弟君が、
伊勢から奈良に帰る時に、
見送った時のお歌が、
 
”二人行けど 
行きすぎ難き 秋山を
いかにか君が 
一人越ゆらん”
でした。
 
”あなた(大津皇子様)を、
そんな恐ろしい場所に、
一人で行かせたくない!
帰したくない!”
 
という、皇女様の想いが、
切々と、伝わってきます…・
 
そして、大津皇子様の処刑後、
大伯皇女様は、
一人、伊勢から奈良に
帰ってきます…
 
”見まく欲りわがする君も
あらなくに
なにしか来けん 馬疲るるに”
 
会いたいあなた(大津皇子様)
が、いないのに…
なぜ、かえって来たのだろう…
馬が疲れるだけなのに…
 
と、弟君がいない悲しさを、
歌います…
(どれほど、お辛かったか…)
 
 
ただ、悲劇は敵方の、
草壁皇子様の側にも
起きます…
 
大津皇子様の刑死後、
皇太子の草壁皇子様が、
病気となり、後に、
亡くなられます…
 
この事態を重く見て、
恐れた政府は、
その御霊を鎮めるために、
大津皇子様のご遺体を、
二上山に移します。
(※これには諸説あります)
”現身(うつそみ)の
人なる我や 明日よりは
二上山を 弟(いろせ)と
わが見ん”
 
大伯皇女様は
二上山を見て、
大津皇子様を、
思い続けておられた
のでは、と、推察されます…
 
皇女様の、その後については、
殆ど、記録に残ってはいませんが、
大津皇子様を思って、
歌われた御歌が、
6首、万葉集に記されています…
 
 
また、何とも言い難く、
やりきれないのが、
大津皇子様が、
「謀反を企てていたのか否か」
が、未だに、謎のまま
であることです…
※諸説は色々ありますが、
結局、事実はうやむやの
ままなのだとか…
 
 

ですが、

事実かどうかもわからない、

理不尽な汚名を

着せられたにも関わらず、

 

 
「長身でイケメン、
賢く、運動神経も抜群で、
自由闊達で爽やか、かつ、
心優しく、しかも謙虚で、
誰に対しても、
礼儀正しくふるまう」

という、

光輝くような皇子様で

あったということ、

それゆえ、

「誰からも信頼され、

愛された存在であった」

ことは、

 

確かな事実として、

今に伝わっています…

 

そして、その死が、

余りにも理不尽で、

 

耐えがたい悲しみを

人々に与えたことも、

 

姉君の大伯皇女様が

詠まれたお歌によって、

 

千年以上たった今でも、

私たちは、その事実を

知ることができます…

 

 

ブログ主が歴史が好きなのは、

 

過去に起きた、

様々な出来事を省みて、

 

その悲しみを

推し量るとともに、

それを乗り越え、

勇気を持って、

語り継いできた、

多くの人々の「熱い想い」

 

を受け取り、それを、

自身の生きる糧

できるからです…

 

特に、この1年は、

「二上山を近くで見て、

手を合わせたい」

という思いが、とても強くなり、

 

少し前に、その願いが叶い、

大津皇子様に祈りながら、

二上山に手を合わせて

まいりました…

 

叡福寺から見た二上山。

清々しい風が、吹いていて、

心が洗われました…

 

 

※大津皇子様に関しては、

こちらもご参照ください

→ 

 

 

 

 

 

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