実際作ってみた方も多いはず・・・。
攻撃力と防御力に特化した重戦車・・・
地上における機動戦力として独自の戦術を編出し、
ヨーロッパ、ロシア、そして北アフリカの各戦場で・・・と
この戦車は進撃する部隊の楔として、
あるいは撤退時の殿(しんがり)として存分に暴れたようです。
そのような中で、特徴的なマーキング 『倒福』 が記されている
これはマニアにはあまりにも有名?で
その『倒福』はTAMIYAのモデルキットにも、
デカールメーカーの専用デカールにも用意されています。

また、この戦車をモチーフにした小林源文氏の
ハッピータイガーという漫画もあります。
なぜドイツの戦車にマーキングされていたのか・・・?
ということの由来(あくまで推測)はここでは記しませんが、
このマーキングを施していたティーガー戦車は
第2SS装甲師団の重戦車中隊(第8中隊)所属の
ターレット・ナンバーS33というのが通説のようです。
実際S33に『倒福』がマーキングされている戦場でのフォトもあります。
↓画像クリックして拡大して見てくださいね。」
S33の1桁目のSはドイツ語のシューバー(重戦車中隊の意)、
2桁目の3は第3中隊、
3桁目の3は3号車の意味です。
通説に従ってS33号車が唯一の『倒福』をマーキングされていると
理解していたのですが・・・
ところが最近、ブンデス・アーカイブの写真を偶然見つけて、
ああ例の『倒福』マーキングのS33号車か・・・
と思ってよく目を凝らして見てみると・・・
そのターレット・ナンバーはS22・・・。
なにっ・・・・?!
↑赤の□囲いのS以降の数字は22!!黄の□囲いは『倒福』マーク
撮影は1943年秋
S33でなくS22なのか・・・!!
ここで湧いた疑問は
・・・S33号車以外にも『倒福』をマーキングした車両があった?
ということなのか?
いやいやよく考えてみよう・・・
S22号車のブンデス・アーカイブの写真は1943年の秋の撮影・・・
『倒福』のマーキングがはじめてされたのは恐らく1943年のハリコフ戦
(1943年春以降・・・1943年7月のクルスク戦の時期)
ふむ・・・ここで勝手に戦史万考・・・(^_^;)
色々想定されることを整理して、
勝手に想像(いや妄想)して仮説立てを・・・!!
仮説1:『倒福』のマーキングを施されたのはS22にもマーキングがされていることから
通説のS33の1台だけではなく、実は複数あった・・・。
仮説2:S22号車は実はS33号車と同一車両であってターレットナンバーが変わっただけ・・・
(戦闘による破損の関係、あるいは稼働できる車両の入れ替え等が
重戦車中隊内で行われ採番し直した・・・)
仮説3:S・・・いわゆるターレットナンバーS○○・・・1943年のこの時期
当該師団の重戦車中隊の全ての車両には『倒福』マークが施されていた・・・。
すなわち重戦車中隊(第8中隊)の14台の車両
中隊本部 S01 S02
第1中隊 S11 S12 S13 S14
第2中隊 S21 S22 S23 S24
第3中隊 S31 S32 S33 S34
の全車に・・・『倒福』マークが・・・!!。
仮説4:その他の理由・・・の存在
うーーん。
この疑問(謎?)・・・解けません。
当時の記録を探すしかありません。
ご存じの方がいらっしゃいましたら、是非教えて下さい。
<戦史万考(せんしばんこう)2013 その1 ターレットナンバーS33の秘密>












