近々、昨年亡くなった母と、今夏亡くなった父の納骨。


危篤の知らせにも、亡くなった日にも来ないような姉が

果たして参加するのだろうか?と思いつつも

知らせないわけにもいかないだろう…と

父が亡くなって、1月ほど経ったときに

姉に希望候補日をメールで聞いてみた。

候補日を言ってこなければ、参加しないということだろうし

聞き方としても角が立たない。


候補日をいくつか挙げてきた。

そして、長々と続く文面。


パッと見で、私への非難であることが分かった。


父が私のことを、このように悪く言っていた、とか

母が私のことを、このように悪く言っていた、とか。


それ今、書く必要あります?🤷‍♀️


姉がこのようなことを書いてくるのは

今に始まったことではなく、

今夏の父の容態が悪化した連絡LINEのときも

長々とそう言ったことを書いてきたので

不愉快であるが、大して気にもならなかった。


この数年、母の病状が進む中で

父と私、母と私、父と母と私で過ごした日々、

やり取りしたメールや、励ましたり笑いあった時間、

私には、それが全てなのだ。


姉が何を妄想しようが、どうでもよいことだ。

おそらく姉が両親と交わした言葉の量は、

1/100、いや、1/1000にも満たないのかもしれない。


ほとんど子供の、お前のかーちゃん、でーべーそ!

みたいなことを言ってるレベルにも感じる😆


その長々と続くメールは、候補日さえ分かれば十分で

あとは不快なので、途中で読むのをやめたのだが

ちらっとマクドナルド、という言葉があったような気がした。


近々、納骨で姉に会うことに強いストレスを感じている。

マクドナルドというのは、あの2月の日のことだろう。

色々と私への非難を書き連ねているが

あの時のことは、ありがとう、と書いてきていたのだろうか。

もしそうなら、ちゃんと姉からの返信は全て読んだ上で

会ったほうが良いのだろうなぁ、と

一昨日、途中で読むのをやめてフォルダに突っ込んでいたメールを開いた。


チラ見の通り、やはりマクドナルドの文字があり

あの2月の日のことを書いていた。


「マクドナルドでも上から視線で凄い言い方で責めてきた時、周りにいた男性客達がビックリして貴方を異様な目で見てたの気づいていました?」


えぇーーーー😵


あの日、姉は、ほとんどうつむいた状態で、ボソボソ話す状態だった。

当然ながら、私も同じトーンで小さな声で話していた。


あんなに大丈夫だよと励ましたり、なんとかなるよと心配したりしたのは

どこいっちゃったのー。

それを上から目線とか、責められてると受け取るのは

聞いてる側の問題なので、私がどうこうというより

姉はそう受け取ったのかもしれないが

どう考えても、おそらく周りに聞こえる声の大きさではなかっただろう。

人が少ない端の席だったしねぇ。

姉は終始うつむいていたが、そんなに周りを観察してたんかーい。

大した演技派女優だ。


姉の文面自体の真偽は、どうでもよい。


そんなことではない。なんという虚しさ。


そして、だんだんと、だんだんと、

悔しさが込み上げてきて、込み上げてきて、泣けて泣けて、仕方なかった。


私は、あの日、父を残すという苦渋の選択をして、

決死の思いで、姉の駅に行ったのだなぁ。

なんと愚かな選択をしてしまったのだろう。

なんと自分は馬鹿だったんだろう。


あの日、父がソファから立ち上がることなく

ここで失礼するよ、玄関の鍵閉めて帰るね、と交わし

寒い冬だったからリビングのドアを閉めて、

ガラス越しに父が軽く手を挙げてるのが見えた。


あの日、姉の所になど行くのではなかった。

あのまま、もう少しだけ、私と旦那さんで実家で過ごし

話でもしながら夕飯を食べられたのに。

実家で父と食事をするラストチャンスだったのになぁ。


私は何を血迷って、父より姉のほうがフォロが必要だ、などと

判断してしまったのだろう。


悔やみきれない後悔、自分の愚かさへの憤り、奥歯を強く噛み締めていた。

そうでもしないと、姉への憎悪の気持ちをコントロールできなかった。

怒りに震えるとは、本当に文字通り震えるのだなぁ。


2日経って、今こうやって吐き出して書くことで

少し自分の気持ちも落ち着いている。

奥歯も欠けなくて良かった😅


今も後悔の気持ちはあるが、他人と過去は変えられない。

もし今、父がこれを知っても、まぁいいよ、と言う気がする。

なので、遺影に向かって、あの時ごめんね、チーン🙏で終わらせることにした。


姉は、こうやって後日、歪んだ記憶にすり替えられてしまうのかもなぁ。

なんだか別の星の人のように思える。つまりは、宇宙人👽


今度の納骨で会うのは最期にしよう、絶縁しよう。

そう思い切るには、それ相応の葛藤があったが

踏ん切りがついた。