後悔のない介護はない、という。

むしろ介護に多くを費やした人ほど、後悔も強く感じる、という。


私は、介護期間も質も大変過ぎるものではなかったが

それでも、あのとき、ああしていれば…と思うことは多々ある。


たらればを考えても仕方ないのだが

逆のたらればを考えてみるのは、たまに、ありかもしれない。


もし、あのとき、ああしていなかったならば…


その一つが、父の運転をタクシー利用するように説得したこと。

もし、あのとき、説得を諦めていたら…


父は運転が好きで、安全運転だし、上手くもあった。

首都圏郊外の自宅で、両親とも日常的に車を使う。


昨年、母の病状が進むと、時期を同じくして

父は眩暈がすると言い出していた。

なにかとメールや電話でも、ゆーらゆーらする、と。


しかし、母の入院先や自身の通院で

父は運転することをやめない。

運転しているときは、眩暈はしないし、大丈夫なんだ!と。

タクシーは酔うから嫌なんだ!と。


後に、この眩暈の要因は、不安・ストレスから来ていたと推測され

父にとって運転は自信があり安心する時間であっただろうから

運転中に眩暈は起きない!と言ってたことは本当だったのだろう。


また、自分が運転好きな人は、他人の運転やタクシーだと

不快感、酔いやすいというのも、なんとなく気持ちは分かる。


とはいえ、80歳を超えた老人が

日頃ゆーらゆーら眩暈がすると騒いでて

かつ、嘆きまくり情緒不安定な状態の人が

運転は大丈夫!と言っても、なんとも心もとない。


入院先の母も、父が運転して来るのを心配していた。


父は、数年前から、たまに世の中の高齢者の事故の話をしても

自分は大丈夫だ!と聞く耳を持たず、しまいには癇癪💢


まともに話しても余計意固地になりそうなので

慎重に慎重に、タクシーを使ってみたら?と促した。


しかし、ものすごーく丁寧に柔らかく電話で伝えても

怒られてる気がする、と言い出して、聞く耳を持たず…


それでも私は諦めなかった。


昨年5月に母が最後の入院してからは

とにかく母に全ての時間を使いたかった。

もし今、父が事故でも起こしたら、

もう取り返しのつかない大変な大変な事態になる、と思い

父の運転をなんとしてでもタクシーに切り替えさせたかった。


遠からず、母は旅立つだろう。

その時に、病院からの連絡を受けて、父は大慌て気が動転した状態で運転するだろう。

その時に、初めてタクシーを自宅に呼ぶこと自体が、不器用な父には出来ないだろう。


父には、いつでもタクシーを利用できるよう、練習が必要だ、

と私は強く強く感じていた。


父は、ゆーらゆーら眩暈がする!と大騒ぎするくせに

だったら日頃かかっている大学病院に診てもらえ!と言っても病院に行かず

運転も大丈夫!と言ってやめない。


やっとこさ、大学病院への診察までこぎつけ

一人で運転して診察をしてもらった。

そのとき、父は自分の症状履歴をパソコンでA4にまとめて持参したところ

高齢なのにしっかりしてますねーと医者から褒められたらしい。

それが大層嬉しかったようで、嬉々としてメールしてきた。


私は、これをチャンス!とばかりに、以下のように返信した。


タクシーを2,3回利用して、どんなときでも即利用できるよう実体験を持っといてください。

そういうことを想定して準備することのほうが

高齢なのにしっかりしてますね!ということだと私は思うし

お母さんも安心すると思います。

いますぐ運転をやめてと言ってるわけではないです。

いつでも即利用できるように事前に何度か試してください。

もうこれ以上は言いません。


この返信が効いたようで、翌日に初めてデマンドタクシーを使ってくれた。

ここからが、いかにもアスペルガーっぽいのだが

車酔いもせず往復できたことに安心感を持ったのか、

以降、おそらく全てタクシー利用となり、行った先でもタクシー待機させた!と

鼻息荒く言っていた。

えぇ〜そこは、帰る時にすぐにタクシー拾える場所なんだから…と

内心思ったが、そこで数千円かかっても安い話だ…と黙って流した😅


ともあれ、父のタクシー利用作戦は

私にとっては、結構な心労、時間的労力だったが

やっとこさ実を結んだ。

母が亡くなる1週間前のことだった。


たらればの話。


もしあの時、私が諦めてしまっていたら、どうだっただろう。

たかがタクシー利用させることに、なんでこんなに大変なんだ!と

何度も何度も思ったが、


自分の不安と直感、信念に従って、諦めずに説得し続けて良かったと思う。


何事も結果的に問題が起きないと

その予防措置の成果や効果は感じられにくいが、そうではない。


車に関して、その後の父に大きな失敗をさせることなく過ごすことができたのは

私は自分を褒めたいと思ってることの一つである。