昨年、母が亡くなり

そして先月、父が亡くなり

その手のことをネットでつい検索してしまう。


以前書いたが

人は誰もがいつか亡くなる、

人は誰もが親を持つ、

つまり、親が亡くなるというのは、世の常。


しかし、なんと辛いことだろう、

親を亡くした人は、山のようにいるだろうに

一体、どのようにやり過ごしているのだろうと

持って行き場のない自分の気持ちを持て余して、

気がつくと、いろいろ検索してしまう。


あぁそうだよねぇ、同じだわ〜とか

やっぱり時間薬だねぇ〜とか

やっぱり後悔するよねぇ〜とか

共感したり慰められたり励まされたり落ち着いたり。


昨夜も何気なく検索してたら、とあるサイトに行き当たり

なんとそこは、炎上(?)していた🔥😱


トピ主さんは、20代の頃に両親を亡くし

その後の子育てなど大変で、今も、周りで親の老介護の話を聞くのも辛い、と。

そして、親の死はいくつになっても悲しいものだね、と言われるのが

自分とは環境が違うから、その言葉が辛い、と。


そうだろうなぁ〜と思った。


ところが、炎上。

へ?


炎上ポイントは、こうだ。


質問者さんと、回答者さんのどちらが最初に書いたかは不明だが

(そこまで舐めるようには読んでないので…)


40歳と90歳では悲しみが違う、という所。


回答者でトピ主さんを叩く多くのコメントが

悲しみは同じです!トピ主さんは甘えてる!

トピ主さんは早くに亡くしたとか言ってるけど、成人後じゃないか。

子供の時に親を亡くす人もいる、自分だけ不幸と思うな!という論調。


トピ主さんは、こう書く。

40歳と90歳でも悲しみは同じと書く人がいることが信じられない、と。


さらに炎上🔥



こえー😱

めちゃくちゃ驚いた。


トピ主さんに寄り添うコメント、回答者さんも何人かいたが

私も同じように感じた。


辛くて辛くてたまらなくて

どこにも誰にも吐き出せなくて書いたのだろうに…。

ひーえー、世に言う炎上ってこういうことか〜と。

(日頃、炎上サイトを見ないし、自身がコメントすることも一度もないので…)


あと、40歳と90歳で同じか、いや違うか、と

やたらと文字通りのことで揉めてたが

悲しみなんて千差万別、

1リットルとか1キロとか量で計れるものでもないし。


トピ主さんの真意は分からないが

この方は、40歳と90歳とでは悲しみは同じじゃない、と言ってるだけで

何もどちらが悲しみの点数が高いとか言ってるわけでもないと思うのだが

叩いてる人々は、そのように受け取っているのかもなー。


この1年、私は立て続けに両親を亡くし

親を亡くすという辛さを初めて知った。

昨年、母が亡くなって、残りの家族(父と姉と私)の反応も様々。

先月、父が亡くなって、残りの家族(姉と私)の温度差。


私の中でも、母と父とでは、悲しみが違う。

どちらがより悲しいということではなく、量ではなく、悲しみが違うのだ。


母は平均寿命より若い70代で亡くなり

今でも母より年上に見える御老人が歩いているのを見れば

何歳なんだろう?母もこれくらいまで生きて欲しかったなと思うが

世間一般で言えば、70代といえば十分高齢の域で

ここまで生きてくれたことに感謝しようと自分を納得させようとする。


また、母も父も、病気知らずで趣味や旅行など結構楽しんだ人生と思うが

その分、歳を取り、以前のように楽しいことがないと嘆いたり

だんだんと弱っていく姿を見るのは辛かった。

いっそ、元気な毎日だった頃に亡くなっていた方が良かったのか?と考えてしまったり。


その時に、あぁ、それは違うなぁと気づいた。


最後の数年、数ヶ月、数日だけを切り取ってしまうと、寂しいものかもしれないが

その人の人生は、それが全てではない。


だんだんと以前の親ではなくなっていくのを近くで見るのは辛いし悲しい。

しかし、それは、そこまでの時を親として子として過ごさせてもらったが故のものだ。


そんな時間があった故の悲しさと

そんな時間すらなかった悲しさは

比べられるものではないし、比べるものでもないだろう。


トピ主さんの炎上サイトから7年経ったけれど

悲しみは消えるものではないけれど、

トピ主さんの時計の針が動き出しているといいのだけれど。