城野美姫の地元では、彼女と友達の「呪いの儀式」の話を聞くこととなる。
一体、何が本当で何が嘘なのか？

最終回です。

「白ゆき姫殺人事件」　湊かなえ

第五章　当事者

＜城野美姫＞

あの日からずっと、古いビジネスホテルの一室で息をひそめて過ごしてきたが、そんな日々ももうすぐ終わる。

事件については近くのコンビニで買った『週刊太陽』で情報を得ることができた。
容疑者「Sさん」とは私のことだ。　私のことが書かれている。
果たしてこれが、城野美姫という人間なのだろうか。
自分のことが解らない。　解らないまま、ここを出るのが怖い。
そこで、私は私自身について書いてみようと思う。　手帳とペンは持っている。

ここを出るのは、それからでも遅くはないはずだ―――。

＊　＊　＊

レモンが香る永沢地区、そこが私の故郷です。
地方都市から電車で一時間かかる田舎町ではあるけれど、
狭いとも、古臭いとも息苦しいとも感じたことはありません。
しっかり者の母とのんびり屋の父と祖父母が建てた古い家に住んでいました。

毎朝ダイアナを迎えに行って学校に行っていました。　ダイアナの学校嫌いは同級生たちに意地悪をされるから。
それは同級生の八塚あかねが子供ながらに嫉妬心を募らせて、どうやって貶めてやろうかと考えた結果、
生じてしまったことでした。　夕子ちゃんは整った顔立ちをしていたからです。
でも、あかねだって可愛らしい顔をしていました。
人を貶めて上に立とうなどと思わなければ、あかねはあかねとして褒められていたはずなのに。

そういうところは、三木典子にそっくりだと思います。
私はダイアナの親友であることを誇りに思っていました。　お互いに名前について悩みを持っている。
それがいっそう彼女との友情を深めてくれることにもなったのです。

担任の東山先生は生徒の名前をからかうようなことを言う先生でした。
「次は、城野美姫ちゃん、お城に住む美しいお姫様はどんな子かな・・・・・」
東山先生は座席表を確認して私を探し、目が合うと。
「あら、あら、まあ、まあ」　小さく噴き出して目をそらし、次の子の名前を呼んだのです。

私がこんな目に遭うのは美姫と名付けた母のせいだし、ダイアナがこんな目に遭うのは
役所に間違えて届出をしたらしいダイアナのおじいちゃんのせいだ。
二人で強く生きていくしかないのだ。

二人の思い出の味はレモネード味でした。

ダイアナの家はレモン農家で、遊びに行くと、おばあちゃんがよく作ってくれていたからです。
ダイアナの家には世界自動文学全集が揃っていました。　おじいちゃんが入学祝いに買ってくれたそうです。
私もダイアナもおじいちゃんのことが結構好きでした。　よくドロップ食うか？と缶を差し出してくれました。
本を借りて帰りました。　『あしながおじさん』、『小公女』、『トム・ソーヤの冒険』・・・・
一番のお気に入りは『赤毛のアン』でした。

私が数ある文学作品の中で『赤毛のアン』を一番好きになったのは、
きっと自分とアンの姿が重なったからだと思います。
見た目は美しいとは言い難いけれど、想像力豊かな子、私も想像するのが大好きでした。
この世界には神様だって妖精だているし、本当にピンチの時には魔法が使えるとも信じていたのです。

ダイアナが死にたいと言い出したときは本当にショックでした。　なんとしてでも助けたい。
神様にすがる思いでいつも読んでいる雑誌を開き、似たような事例とそれに対応する魔法を調べたのです。
今から思えば、とても馬鹿げたことだと解ります。　でも、小学生の私は親友の為に必死だったのです。

魔法のことは、私が一人で暴走してしまっただけなんだろうか。　
ダイアナはただ優しい言葉をかけて欲しかっただけなんだろうか。　
それともまだ火事を起こしたことを気に病んでいて・・・・
確かなのは、あの火とともに、私たちの友情も燃え尽きてしまったということです。
永沢地区に私を受け入れてくれる人など、もう誰もいません。

父がスナックの女と浮気をしたことは、おぼろげながら記憶があります。
だけど、それほど我が家が大変な状況に陥っているという自覚はなかったような気がします。
大体、私はスナックの女の顔なんか一度も見たことがないのです。　
なのに、両親は私が三木典子を殺したのは二人の顔が似ていたからだ、なんて証言をして。
見当違いにもほどがあります。　スナックの女に恨みを抱いていたのは私ではなく、母です。
その恨みを娘に被せて他人に語り、いったいどうしたかったのでしょう。

どうして両親はあっけなく私をマスコミに売るようなことをしたのでしょう。
私は両親を困らせたことなどないはずです。　お手伝いだってよくしました。
その本家の、私の曾祖母は本当に人殺しなのでしょうか。
地元の古老というのは、松田さんちのおばあちゃんのことだと思います。
千歳さんによう似とる、と笑いながら言ってくれていたけど、心の中では人殺しの家の子と思われていたのかも。

永沢地区とは、故郷とは、私にとって何だったのでしょう。
もう二度と、帰りたいとは思わないけれど。

初恋は３つの町から生徒が集まる中学に入ってからでした。　
江藤慎吾くんは、他の男子たちとは醸し出す空気がまるで違っていました。
サッカーがものすごく上手で、あの頃からプロになれるのではないかと言われていました。
だけど、江藤くんの彼女になりたい、とかそういう高望みをしたことはありません。
私は彼の宿題係でした。　そんなささやかな繋がりを大切に温めていたのに。

ある日の掃除時間、急に背後から頭の上に何かが載った感触がしたのです。
雑巾だと気づいた瞬間、カッと火が付いたように頬が熱くなりました。

「ゴメン、悪い」
目の前が真っ赤になるような怒りが込み上げてきて、私は震えながら叫びました。
「許さない！」
江藤くんがポカンと驚いたような顔で私を見ていました。
普段の私なら江藤くんを認識した途端、恥ずかしくて俯いてしまうところだけど、
そのときはどういうわけか、さらにもう一度毅然と言い放つことができたのです。
「こんな酷いことをするなんて、許せない」
感情の赴くままにワンワン泣きました。　今の私は何かに似ていると思いました。

赤毛のアンだ！　にんじんとからかったギルバードに力いっぱい石板を叩きつけた、アンみたいじゃないか。

江藤くんは本当に申し訳なさそうに、ゴメン、と言ってくれたけど私は何も答えませんでした。
アンだってギルバードを簡単には許していない。　だけど、それがきっかけで
最後には深い愛情で結ばれるのだ。　そんな思いがあったからです。
スポーツマンの江藤くんはギルバードのように誠実で、翌朝も私の席まできて、
ゴメンと言ってくれました。　アンとギルバードのような関係。
私はそれをみんなに知らしめるように、江藤くんに向かって言いました。
「許さない」
彼は何度も謝ってくれました。　
私が「許さない」というたびに、彼は少しずつ元気をなくしていくようで、
一週間だけにしようと心の底から誓ったのです。　試合が近いのに支障が出ては困ります。
しかし、「許す」というはずだった日の朝、いつまで待っても教室に江藤くんは現れませんでした。
代わりに、担任が前日の下校途中、江藤くんが交通事故に遭って右足に大怪我したことを説明しました。

そうだ。　お見舞いに行こう。
サッカーボールの形のクッキーを焼いていこうか。　喜んでくれる江藤くん。
そんな空想に浸っているあいだ、私は笑みを浮かべていたのでしょう。
江藤くんのケガを幸せな空想に変えてしまったのは、責められても、不気味がられても仕方ありません。

呪いの力―――。

高校に入って、あかねがちらちらと私の方を見ながら他の中学出身の子達と言っていたのはこの言葉だったのか。
人生において出会ってしまったのが運の尽き、という人物がいるとすれば、あかねだったのかもしれません。
その証拠に、あかねと離れると、私の人生はとても楽しいものになったのだから。

私は自分ほど「普通」という言葉が似合う人間はいないと思っていました。
母からは「おもしろみのない子」とよく言われていました。
なのに、自分と似た子を探すのは難しかった。　趣味の合う子もいませんでした。
しかし、ついに巡り逢えたのです。　自分と同じ感性を持つ人たちに。

大学の学生課で紹介されたアパート＜なでしこ荘＞に足を一歩踏み入れたとき、
ふと懐かしいという思いに駆られました。
迎えてくれた同じ大学に通うアパートの住人たちは皆温かく、その中でも同じ新入生のみのりと麻澄とは
生き別れた三つ子の姉妹と再会したかのように、会った瞬間から同じ匂いの人だ、と感じるものがあったんです。

テンちゃん、という呼び名も心地よかった。
３人で別々に行動しているのに、同じところで鰯を買ってきて、おしゃべりしながら料理を作ったことがありました。
理想の彼氏の話になり、幸せな報告は全部し合おうねと約束をしなした。

それを、みのりは週刊誌の記者に話すなんて、どういう神経をしているのか。
しかも、自分から手紙を出したとは。

週刊誌の記事がほとんど捏造じゃないか、と言い切ることができたらどんなに幸せでしょう。
だけど、篠山係長が足の中指と薬指の間を舐められるのが好きだということを話したのは、みのりにだけです。
そんな細かいことまで話すつもりはなかったけど、しつこく聞いてくるからポツリポツリと答えてあげたのに。
私に恋人がいたことが許せなかったのでしょうか。　みのりは告白してよくふられていました。
「私の気持ちを解ってくれるのはテンちゃんだけ。　麻澄には内緒だからね」
あの頃は嬉しかったけど、だけ、というのは私のことを見下していたということではないでしょうか。

では、麻澄はどうなのか。　
週刊誌には出てきてないけれど、マンマローで私のフルネームを出して情報を集めている
「グリーン・リバー」は、緑川麻澄に間違いないはずです。

もちろん、最初にネット上に名前を挙げたのは別の人物だけど、苗字とフルネームでは重さがまったく違います。
しかも書き方が卑怯です。
擁護するように見せかけて、フルネームをさらし、さらに個人情報を書き連ねていくなんて。
ほんのひと月前までは、もし人生をもう一度繰り返すことができるとしたら、
大学時代、と迷わず答えていたはずです。　人生で一番キラキラ輝いている４年間でした。
でも、今は戻りたいとは思わない。

私は私の過去がわからなくなってきました。
私はいじめられっ子だったのか。　執念深く、気持ちの悪い女だったのか。　呪いの力があるのか。
学校中の子達から嫌われていたのか。　親友なんて存在しなかったのか。

大体において、この人とだけは一緒になりたくないなと思ったら、一緒になるものだと思います。
＜日の出酒造＞の入社試験、グループ面接で私は三木典子と一緒になりました。

今思えば、あんな会社に入らなければ悲劇は起こらなかったはずなのに。
グループ面接は３人ずつで行われ、真ん中に三木典子が座っていました。私が彼女を苦手だと感じたのは、
自分の前に答えた人を否定するような返答をしていたからでした。
美しい顔に上品な笑みを湛えて語るので、
面接官のおじさんたちに彼女のいやらしさが伝わったのかはわかりません。

そんな彼女とまさか一緒に働くことになるとは思っていませんでした。
最初の感覚は間違っていませんでした。　三木典子は皆の前でこんな自己紹介をしたのです。

「三木典子です。　お城に住む美しいお姫様の城野美姫さんには名前で負けちゃってますが、仕事は負けないように頑張ろうと思いますので、どうぞよろしくお願いします」

小学生の頃に受けた屈辱を、まさか同じかたちで味わうことになるとは、予想していませんでした。
しかし対処法は心得ていました。　このタイプには正面から向き合わなければいいのです。
そのうえ、私はパートナーに恵まれました。
「パートナーが城野さんでよかったわ。　三木さんの自己紹介を聞いただけで、昔嫌いだった子を思い出しちゃったもん。　余計なお世話かもしれないけど、彼女みたいな人に自分の一番大切なものを教えちゃだめよ」
間山先輩はそうアドバイスしてくれて、私は安堵したものです。
大切なものを胸の内にとどめておくことはまったく苦ではありませんでした。
それでも、目に見える嗜好は隠すことができないものです。

間山先輩は洋服をフランス製のセレクトショップで買っていました。
通勤服でも手を抜かないのがポリシーなのだと、教えてくれました。
毎日着る服を自分のブログにアップして、そこにコメントがつくのが嬉しい、と
生き生きとした表情で語ってくれました。

そこの服を、三木典子が来てくるようになりました。
そう広くない町に住んでいるのだから、同じ店で服を買うこともあるかもしれません。
だけど、私にはそれが偶然だとは思えませんでした。　
先輩の考えたコーディネートにひと味足した着こなしこするのがその証拠です。
三木典子が同じものを着ていると、先輩には少し似合わないのではないかというふうに見えてくる。
私の名前と同じようなものです。

先輩はそこの服を着てこなくなったし、ブログも更新しなくなりました。
量販店で売っているものを何の工夫もなしに身に付けるだけ。
ブログの存在を三木典子に教えたのは私だと思われたのか、先輩がプライベートな話をしてくれることはなくなりました。

入社当初、彼女は私という人間にあまり興味を抱いていなかった。
あかねが私ちょっかいを出し続けたのはあかねより私の方が勉強ができた腹いせだと思います。
だけど職場では、仕事のノルマもなく、私と三木典子さんが比べられるのは外見くらいで、
それは試合前から勝負がついていたので、張り合う気にもならなかったはずです。

三木典子が私のことを探るようになったのは、私自身のせいです。　余計なことを言ってしまったのです。
同期入社のメンバーで飲み会をした際、三木典子は二次会のカラオケの席で椅子に座ったまま寝てしまいました。
普段からグラス一杯のビールで寝てしまうことが度々ありました。
そこで、同期の小沢くんが三木典子の寝顔を見ながらこんなことを言ったのです。
「ホント、きれいだよな。多分、オレの人生で出会った人の中で、一番の美人かもしれない」
男性陣は大いに納得し、女性陣はまあ、顔はね、と同意していました。

「あれ、城野さんは？」
私の反応など見逃してくれればいいものを、小沢くんは気がついてわざわざ確認してきたのです。
私も適当に同意すればよかったのに、三木典子が寝ているという安心感もあり、本心を口にしてしまいました。

「ううん、一番きれいなのは、幼なじみの夕子ちゃんよ」

そう言って私は夕子ちゃん―――ダイアナがどんな子だったのかを説明しました。
黒くつややかな長い髪、透き通るような白い肌、赤いバラの花びらのような唇、
まるで童話の『白雪姫』から出てきたような女の子。
三木典子など比べ物にならないくらい、美しい女性なのだと。

あのとき、三木典子は目は閉じていたけれど意識はあって私の話を聞いていたのではないかと思います。
だからプライドを傷つけられた腹いせをするために私の観察を始めたのです。
そんな時に私は恋をしてしまったのだから、三木典子は笑いをこらえられないほど喜んだに違いありません。

素敵だなと感じた人はいても、心の底から好きになったのは江藤くんくらいです。
そして、同じ部署の篠山係長は右斜め後ろから見た姿が江藤くんによく似ていました。
江藤くんのことを考えながら、篠山係長のことを時折目で追うことはあったかもしれません。
けど、圧倒的に女性社員が多い日の出化粧品の中で、かなり人気の高い人が私のことなど
好きになってくれるはずはない、と最初から期待は抱かないようにしていました。

そもそも、そんなことを考える余裕もないほどその頃は忙しかったのです。
自動車通勤をしているため、終電の時間を気にしなくていい私は、
ほぼ毎晩のように深夜２時、３時を過ぎるまで残業していました。
そして、独身で近くに住んでいる篠山係長も残業組の常連でした。
ただ、あまりに忙しすぎて、たとえ二人で残っていても、帰りの挨拶をするまで一言も口を利かなかったくらいです。

ある晩、二人で残業をしているとき、パソコンに向かっていた篠山係長が立ち上がった瞬間、
足をふらつかせて倒れてしまったのです。
慌てて駆け寄ると、篠山係長は、栄養不足かな、と作り笑いをしました。
そして、私はとっさに「明日、お弁当を作ってきます」と言ったのです。
「悪いね。　頼むよ」　耳に心地よい言葉が響きました。

翌日、弁当を篠山係長に渡すと、やはり現実なのだという感動がわきあがり、恋を奏でる音楽が流れ始めたのです。
それからは毎日お弁当を作って、冷蔵庫の２段目に入れておくことになりました。
大好きな人のために毎日食事を作る。　これほど幸せなことはありません。

そのうち、係長は休日の食事はどうしているのだろうと気になり、お惣菜をつめてマンションまで届けてみることにしました。
住所などとっくに調べていたし、留守の場合はタッパーを入れておくことが可能なポストであることも確認済みでした。

ある日、篠山係長は在宅でラーメン屋に私を連れて行ってくれたのです。
人生、初のデートでした。　どんな話をしたのか、鮮明に思い出すことができます。

篠山係長は何がお好きなんですか？　トン汁？　お弁当には入れられないですよね。
係長のお宅で作ってもいいんですか？　そんな、お部屋に上がるなんて。　え、今日？

・・・・・・指と指のあいだをですか。　中指と薬指のあいだをもう一度？

すごくごつごつしてるけど、何かスポーツをしてたんですか？　サッカー？
やっぱりそうだと思ってました。　この足でボールを蹴っていたんですね。

この足は、この人は私のもの・・・・・。

だけど春先に始まった恋は半年もたずに終わってしまったのです。
篠山係長に、もう弁当はいらないと言われました。　彼女が嫌がるから、と。
彼女と言われただけで、私にはそれが三木典子だと解りました。
ついに彼女に見つかってしまったのだ。　いや、もっと前から気づかれていたけど、
私が幸せの階段を上り詰めるまでじっと待っていたのかもしれない。

―――どうして？　あなたは私を選んでくれたんじゃなかったの？

あのままなら、三木典子を雑木林に連れ込み、包丁で滅多刺しにしていたかもしれません。
灯油をかけ、火を放っていたかもしれません。

だけど、私にはまだ大切なものがあったのです。
篠山係長に恋をする前からずっとずっとだいすきだったものが。

芹沢ブラザース――音楽の神様たちが奏でる奇跡のバイオリンが、
どろどろに汚れた私の心を優しく浄化してくれたのです。

三木典子に全てを奪われたわけではない。　私には、彼らがいる。
芹沢ブラザーズとの出会いは、大学を卒業する間際でした。
クラシックのコンサートに行こうと駅前のチケットプラザに行くと、
ガラスの壁に見慣れない二人組のポスターが貼ってありました。

ダイアナ・・・・・。芹沢ブラザーズの弟、雅也の黒目がちの瞳はダイアナを彷彿とさせ、
私は吸い込まれるように雅也の顔を眺めた後、芹沢ブラザーズのコンサートチケットを買いました。
小さな会場で行われたコンサートに、私の心はすべて奪われてしまったのです。
彼らの紡ぐ音に魅了されない人などいないのではないか。
その証拠に、昨年辺りから急激にファンが増え、ファンクラブ会員ですらチケットを取りにくい状態になっています。
だけど、彼らは皆の音楽の神様であり、私の神様でもあることに変わりはありませんでした。

なのに、三木典子は芹沢ブラザーズさえも、私から奪おうとしたのです。

同期の小沢くんの結婚祝いに三木典子と連名で芹沢ブラザーズプロデュースのペアカップを選んだのが間違いでした。
三木典子は私が篠山係長に振られたのに、何事もなかったように過ごしていたのが、
気に入らなかったに違いありません。　だから、まだ大切なものがあるはずだ、と探っていたのでしょう。
三木典子は篠山係長と年内には別れました。　そして、年が明けると、ファンクラブのあいだで、
雅也が新しく会員になった「ミキノリコ」という女と付き合っている、という噂が流れだしたのです。

三木典子に恐る恐る訊ねると、あっけなく認められてしまいました。
信じられずにいたけど、三木典子から、手に入れにくい初日のチケットやレアグッズを見せびらかされると、
あきらめざるをえなくなってしまいました。
私が芹沢ブラザーズへの思いを断ち切れていれば、今回の悲劇は起こらなかったはずです。
だけど、ダイアナと同じ瞳をした雅也を、嫌いになることはできませんでした。
そして、あの日がやってきたのです。
始まりは、３月３日の給湯室でした。

「城野さん、芹沢ブラザーズの初日のコンサートに行ってみたいって言ってたわよね。　実は私、明後日の初日のチケットを雅也にもらってるんだけど、風邪気味で東京まで行くのは辛いから代わりに行かない？　最前列よ」

お茶を淹れている最中にそう言われたのです。

「いいの？」
出てきたのは歓喜の声でした。　この時、新曲発表のチケットを取ることが出来なかったのです。
雅也が奏でる新しいメロディを初日に最前列で聴くことができるなんて。
「お願い！」　私は両手を合わせて頭を下げました。
「じゃあ、明日持ってくるわね」
三木典子に得意げにそう言われ、私は会社帰りに早速駅の窓口へと寄ったのです。
一泊分の荷物を車の中に置いておき、車は会社に置いて、駅まで歩いていく予定でした。

雅也に会える。　彼の奏でる新曲が聴ける。

興奮して夜はまったく眠れず、スキップしたいほど軽やかな気分で出社して、更衣室で着替えていると、
三木典子がやってきました。　かつては間山先輩が着こなしていたセレクトショップの服を着て。
先輩の送別会にこの服を着てくるなんて、とため息をついてやりたい気分になったけれど、
このときばかりは彼女のご機嫌を損ねるわけにはいきませんでした。
「典子さん、おはよう。　その服いいわね」

「ありがとう。　実はね、体の具合もよくなったし、やっぱりコンサートに行こうかなって思うの。　ほら、雅也だってせっかく私のためにチケットを用意してくれたのに、別の人が座っていたらガッカリするでしょ」

足を正面からすくわれたようでした。

最初からこうするつもりだったの？

何もかも奪ったというのに、まだ私のことが嫌いなの？

あんたが一番きれいって言わなかった私のことが、そんなに憎いの？

そう言い放つことが出来たらどんなによかったでしょう。
「で、でも、もう特急券買ったし・・・・」
「それは、私もまだ券をとっていないから、ちゃんと買い取るわ。　本当にごめんなさいね。　次のコンサートのときは城野さんのチケットも一緒に頼むから、許して。　それに、城野さんが本当のファンなら、あなたが行って、落ち込んだままの雅也の演奏を聴くよりも、彼がベストな演奏をしてコンサートの初日が成功する方が嬉しいはずでしょ」
美しい唇から澱みなく、澱んだ言葉が溢れ出していました。

「そうね。　解ったわ・・・・・・」

「ありがとう。　おみやげも買ってくるわね。　マグカップがいいかしら。　里沙ちゃんに割られたの、まだ大切に使ってるんでしょう？　あの子はてきぱき仕事をこなしているみたいだけど、動きが雑なだけなのよね」
「そんなに気を遣ってくれなくても。　もう気にしてないから。　私はあの子、頭がいいし、仕事もできると思うし、がんばってると思うわ」
「城野さんはよく見てあげてるのね。　そんなに社内のことしっかり観察してるんだったら、盗難事件の犯人もとっくに気づいているはずよね」

秋頃から部署内で、冷蔵庫に入れていたデザートなどが盗まれるという事件が頻発していました。
「典子さんは気づいてるの？」
「当然よ。小さなものは見逃してあげたけど、ボールペンは許せないわ。　近頃には『白ゆき』にも手をつけてるようだから」
「そうなの？」
「あきれた。そんなに鈍感なくせに芹沢の音楽が好きだなんて。　理解できてるの？」

なぜ、こんな言い方をされなければならないのだろう、と悔しさに涙がこみ上げてきました。
トイレに駆け込んで泣き、涙を拭っていると、里沙ちゃんが立っていました。

「もしかして、典子さんですか？」
どうして解ったのだろうと驚きましたが、答えないことが返事になってしまったのでしょう。
「気持ち、わかります。　同期とかパートナーとか勝手にひとくくりにされるだけでもたまんないのに、ニコニコしながら意地悪されるんだから」

考えてみればこの子が三木典子に何もされてないはずないのだ。　もっと早く気づくべきだったのに。
そう思い、私はコンサートのことを里沙ちゃんに打ち明けました。
「酷い、それ」　里沙ちゃんは少し考えていましたが、突然パッと顔を輝かせるとこんな提案をしたのです。

「城野さん、コンサート、行っちゃいましょうよ」

里沙ちゃんはコンサートのチケットを三木典子から奪い取る計画を立てました。
三木典子が風邪気味だというのは嘘ではなかったようです。　風邪薬をすすめ、ビールを２，３杯飲ませる。
その後、三木典子に私が駅まで送ると申し出て車に乗せ、チケットを奪い取る、という作戦です。

「薬に強い私でも眠くなる風邪薬なんです。　それプラスピールで。　典子さん、車に乗ると確実に寝ちゃうと思うんですよね。　その間にバッグからチケットをもらって逃げちゃってください」
「典子さんはどうするの？」
「車の中に置き去りにしておけばいいじゃないですか。　目が覚めてチケットがないことに気づいたら歯ぎしりしながら怒りそうだけど。　自業自得ですよ」
「でも帰ってきてからが心配だわ」
「芹沢ブラザーズに会えるんですよ。　そのくらいのリスク、どうってことないじゃないですか。　あとのことなんて考えても仕方ない。　なるようになれ、ですよ」

私はこの先起こる出来事の片鱗すら思い浮かべることができないまま、計画を実行してしまったのです。

送別会のあと、三木典子に特急券を車に置いてるからきてほしい、ついでに駅まで送るから、と言うと、
あっさり会社の駐車場まで付いてきて車に乗りました。

ところが、彼女が眠りだす気配はどこにもなかったのです。

私は特急券を家に忘れてしまったようだから取りに行ってもいいか、と訊ねました。
三木典子は、勘弁してよ、とあきれるように言ったけれど、強引に車を走らせました。
アパートに着き、最初からバッグに入れていた特急券を車に戻って三木典子に渡し、駅に向かいました。

ダメかもしれない。　そうあきらめかけた矢先、三木典子が寝始めました。

しめた！と思うと同時に駅に着くまでに目を覚ましてしまうかもしれない、という不安もこみ上げてきました。
今すぐ奪おう。　その時、里沙ちゃんのマンションが近いことに気づいたのです。
そこに車を入れて、三木典子のバッグから財布を取り出し、チケットと特急券を抜くと、
車から降りて駅まで猛ダッシュしました。
車の鍵はつけたままでした。

特急に飛び乗り、大阪に着くまでのあいだは胸はバクバクし通しでした。
東京駅に着いて、コンサート会場には開演の２時間前に到着することができました。
芹沢ブラザーズが会場入りするのを待ち構えた人たちがすでに何人も通用口の階段前にいました。
私もその中に加わり、今か今かと待っていると、大きなバンが入ってきて私の目の前に停まり
―――優也と雅也が降りてきたのです。

握手を求めて雅也に両手を突き出した瞬間、私の視界から雅也が消え、隣にいた女が悲鳴をあげました。
何事かと階段下を見ると、雅也が倒れていました。

わたしのせい？

考える余裕もないまま、周りの人達をかき分けながらその場を離れ、ビジネスホテルに身を隠したのです。
ネットで調べると、雅也のバイオリニスト生命が絶たれた、と書いてありました。

雅也のファンに殺される。　そんなことに怯えて、ビジネスホテルに隠れ続けることにしたのです。
そうしているうちに、三木典子がしぐれ谷で殺されたことを知りました。
私が車の中に置き去りにしたせいだろうか。今度はそれが恐ろしくなり、身を隠し様子を窺うことにしました。
すると、どういうわけか、私が殺人事件の容疑者になっていたのです。

週刊誌を見ていると、雅也の記事を見つけました。　モデルとの交際が発展したなんて。
ネットで見ると、三木典子はカモフラージュとして利用されていた、という書き込みが誹謗中傷とともに溢れかえっていました。

身代わり姫、妄想女、天罰、殺されて当然、犯人に感謝・・・・・。

自分に向けられているのではないとわかっていても吐き気が込み上げてきそうな思いとともに、
ふと、彼女にこんなことを訊ねてみたいと思いました。

―――典子さん、もしも私が芹沢ブラザーズを愛していなくても、あなたは彼らを、雅也を好きになっていた？
答えなど返ってくるはずがありません。　しかし、見つけてしまったのです。
『芹沢ブラザーズの音楽は私の空気。　雅也は私の神様。　彼に愛されるためなら、私はなんだって出来る。　例え、この顔を醜くゆがませ、二度と元には戻らなくなるようなことでも』
三木典子が真剣な表情でそう語っていた、と書いているのは、彼女の近しい人なのでしょう。

―――典子さん、かわいそう。

ざまあみろ、と思っても仕方ないはずなのに、ただ、三木典子のことが気の毒でたまらず、涙が込み上げました。
殺されたことよりも、雅也を恋人だと思っていたのに、雅也からはそう思われていなかったことが可哀想で、
私は彼女のために泣いたのです。

信じていた人には裏切られ、見ず知らずの人たちからは誹謗中傷を受ける。
しかも、当事者のまったく手の及ばないところで。

私も彼女も同じだったのだ。

自分が置かれている状況を忘れるくらいに、声を張り上げて、わんわん泣きました。
泣き疲れてそのまま寝てしまい、薄暗くなった部屋で目が覚めると、寂しさが込み上げて、TVをつけました。

「しぐれ谷OL殺人事件」の容疑者の写真が大きく映し出されました。

―――狩野里沙子。

彼女が、どうしてそんなことをしたのか、動機などはまだわかりません。
ただ、里沙ちゃんのせいでこうなったのに、なぜか、彼女に対しては恨む気持ちが起こらないのです。

これで、ようやく私は外に出ることができます。
温かい場所へ戻ることができるの・・・・・でしょうか？　そんなところなど、どこにもありません。
心を殺された私は、あてもなくさまようしかないのです。

＊　＊　＊

長々と書いてはみたが、答えは見つからないままだ。　とはいえ、何も見えないわけではない。
私は生きていくために、また＜日の出化粧品＞で働くのだろう。

みのりや麻澄からは、大変だったね、などと連絡が入るかもしれない。
江藤くんに似た人とすれ違えば、振り向いてしまうに違いない。
両親に何かあれば、永沢地区にも帰るはずだ。
ダイアナに思いを馳せ、芹沢ブラザーズの音楽も聴き続けるだろう。

私は私がいた場所へ戻り、これまでと同じ日常が始まる。　だけど。

白ゆき姫はもういない―――。

「しぐれ谷ＯＬ殺害事件」　関連資料

「週刊太陽」４月１日号（３月２５日発売）より抜粋

コミュニティサイト・マンマロー　赤星雄治のページ

コミュニティサイト・マンマロー　緑川麻澄のページ

「週刊太陽」４月８日号（４月１日発売）より抜粋

「毎朝新聞」　朝刊より抜粋

映画化もされたこちらの作品。
ページ数はかなり少ないと思います。　巻末に資料として上記のようなページが印刷されています。

さすが、湊かなえさん。　女性のいやらしい部分が出てますねー。
三木典子、同じ職場にいたら大変だろうなあ　(ｰｰ;)　自分の好きなものを根こそぎ奪っていくんでしょ？
しかも美人。　文句を周りに言ってもひがみだと思われる。　こういう人、いてそう。

インタビュー形式で書くのって難しいと思うんですけど、たまにはこういうのもいいですね。
三木典子さんの主観も知りたかったなあ。
取材を受けた人たちの言葉がいい加減過ぎて笑ってしまった。　決めつけがすごい(笑)
城野美姫の両親なんかコントじゃないですか。　これは狙ってのことなのかな？　笑えました。

情報や人の噂なんて、いかにいい加減かってことをこの小説で伝えたかったと思われるので、
それは伝わりました。　なんだかんだで最後から２ページ目に書かれた真犯人にも驚きましたし。

うむ。　こういう小説もありかな！　と思わせる、「白ゆき姫殺人事件」でしたー！

『白ゆき姫殺人事件』 あらすじ４

『白ゆき姫殺人事件』　あらすじ４