母は、強い人でめったに弱音を吐かなかった。
自営業だったけど、遠方に住む親の介護が必要になると
お店を閉め、駆けつけ、介護生活を送った。
祖父は病院で亡くなったが、ずっと入院していたわけではなく、
入院するまでは、祖母と二人、畑仕事をしながら、
元気に暮らしていた。97歳という長寿だった。
その後、一人残された祖母も、母が介護しながら、
94歳で自宅で息をひきとった。
ふた親を見送って、さあ、一人、シングルライフを謳歌、
という矢先に、心筋梗塞、その後、脳梗塞を発症した。
当時、私も母から離れ、遠方に住んでいたのだけれど、
ある朝、母から電話が有った日のことは忘れられない。
開口一番、私に訴える。
「ペットボトルの蓋が開けられない。」
「え~、、、何かふきんとかタオルを巻いてみたら?」
母が続ける。
「今朝、花を摘みに庭に出た時に、ペットボトルを
持ってたんだけど、気が付いたら(ペットボトルが)無いの。
力が入らない。。。」
「そんなことも有るんだね~。気を付けてね。」
そんな会話をして、電話を切ったと思う。
まさか、それが、脳梗塞の前触れだとは、
露とも思わず、一日を過ごし、
夕方、伯母から電話があった。
母が、救急車で病院に運ばれた。
夕方、叔父が呂律の回らない母を見つけ、
すぐに救急車を呼んでくれた、と。
当時、病気とは無縁の生活を送っていた私は、
脳梗塞の知識がまるでなかった。
私に知識があれば、朝の電話でおかしい、と気付けたのに。
弱音を吐かない母が、(電話で)そんなことを言ってくるのは
おかしい、と気付けば良かった。。。
脳梗塞は一分一秒を争う。
処置が早ければ早いほど、後遺症が残らない確率も高くなる。
知らなかった。。。
発症から半日以上経ってしまった母の半身は、
全く動かせなくなっていた。