客観的に問題を見つめられない人は、恥ずかしいことを平気でするのだ。
この10年間、元職場で学んだのはこのことだった。
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相手の身になって考えることなんて至難の業
みんな仲良くしよう!てなことを教える時に 、「相手が嫌がることはしない」「自分がされていやなことは相手にしない」とかセオリーな説教あるけど ・・
まず、相手が嫌がってるか、どうかもわからない人が多いわけで・・
そして、「自分はされても平気だから、相手も平気」となる可能性があることに気づいてない人が多い。
こんな基礎的なことを、思い知らされた10年。
ある意味、達観できてよかった。
具体例としては・・・
私がパソコンでデータを作っていると、
「いいよね~いつもインターネットし放題で」 と言う人がいました・・嫌味とかでなく・・
・・あなたはパソコンといえばネットもしくはゲームしかないのかもしれないです、
しかし私にはExcelとかWordとかあるんです・・と告げました。
一応、納得してくれましたが・・意外そうでした・・
この人物は図らずも、自らがパソコンというものを全く知らないということを露呈してしまっています。
パソコンを使ってできる仕事もあるでしょうに、全く努力してないことも・・他人事ながらムチャ恥ずかしい・・
さらに私が新聞スクラップ作業をしていたら、他部署の中年のご婦人がやってきて開口一番
「あなた、新聞読んでる暇あったら、私の手伝いをして!」ときたもんだ。
新聞=読む という概念しかない人のほうが一般的なのかな・・う~ん。
でも、そんな堂々と仕事中に新聞読む女性職員てどうなの?ちょっと疑問に思わない・・?
そして、本当に読んでたとしても、そんな高圧的な態度って・・おかしいよね・・
自分の中の常識だけで、口を開いたら、こんな失敗をするという例ですよね。
私が入社したとき、事務所がゴミ溜めみたいになっていたのがイヤで掃除をしてさしあげたのですが
元の職場の人たちは、事務所がゴミタメで平気だったんだよね~うん。
そう、私だけがイヤだったんだろうな~ 余計な世話してたんだね~ごめんw
やたらきつい香水をふりまく人物。
もちろん、自分ではいい匂いだと思ってるんだろうし、エチケットのつもりかもしれないな~
でも、周囲の人全員は閉口していたんだな・・・
電車で化粧するお姉ちゃんも、自分は気にしないんだよね。 自分にとっての良かれなんだよね。
あなたもやればいいのに!時間短縮でいいよ!てなことを考えているかもしれない・・・
隣で一緒にやってくれたら心強いのかもね。ご同輩!てなかんじで・・
先日、久しぶりに隣でやられた、フルメイク。
流石に、ビューラーをライターであぶるのはしないでくれた。よかった。
電車で携帯電話でしゃべる人も、自分は平気なんだよね、きっと。
誰かが横でしゃべってても気にしないのかな~やっぱ。
他人の悪口ばかり言う人いるけど、
こういう人は自分が言われても怒らないのかな・・そんなわけないよね。
いいことのつもりで悪口いってんのかな~なんじゃそらw
小話か実話か何かしらないけど、こんな話しも思い出しました。
注文していたラーメンが出てきたら、運んでる人の指が、ラーメンの汁に浸かってるから「あの~」と指摘したら
「大丈夫ですよ!」と答えられた・・ということとか。
「いや・・あなたの指のヤケドを心配しているのではなくて・・
これから私が食べようとしている食品にあなたの指が入ってるのが気になるんですけど・・」
と詳しく説明しないとわからないんですね・・w
でもこの店員さんは、きっと自分が逆の立場でも、怒らないってことですよね?
相手のヤケドを心配する心優しい人なのかもしれませんよね?
きりがないな。。。。
こんな下世話な話とエリザベートを一緒にするのもどうかと思うけど・・すみません。
舞台上のエリザベートとフランツもお互いに
自分にとってのよかれが相手にとっては違う、
ということが一生わからなかったんだな~と表現しているのが「夜のボート」の場面だと思うのです。
いや、そんなこと考えずに、物語と歌を楽しめばいいのですが・・本当に。
この場面は特に泣けるので・・本当に。涙が止まらないときありますよ。
「愛はすべてを越えられる」
「愛にも癒せないことがあるわ 奇跡を待ったけれど起きなかった
いつかお互いの過ちを認め合える日が来るでしょう」
もう婚礼前からわかっていたことなんですけどね、舞台では・・
エリザベートは、二人で馬に乗って世界中旅しよよ~♪と遊ぶことばっかりだし
フランツはえんえんと皇帝の仕事は大変なのよ~と歌うわけで・・
「皇帝は自由などないのだ~皇后も等しく義務を負う」
「妨げるものなどないわ~」
「険しい道が」
「あなたがいる」
すっごいかみ合ってないんだな・・ここからして・・歌詞うろ覚えですけど・・
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そう、人間の想像力には限界がある。 (年齢経ても、苦労してもあまり変わらないみたいです)
私にも当然未知の領域がある。
きっと理不尽に他人を責めていることもあるのだろう。
他人を責める前に、自分の無知を思い返すことを忘れないようにしたい。
これはまたすごく難しい、すぐ忘れるのだ。
相手の身になって考えることと同列に、自分の無知を常に忘れないようにすることは難しい。
だから謙虚に生きている人を真似たいと思う。
幸い、私の傍に至極謙虚な友人がいないこともない。
傲慢で、他人を責めがちな私にはよい雛形だと思う。
蒔かぬ種は生えぬ・・と祖母がよくいう。
そう、つまりそういうことなのだ。
読んでくれた方、いらしたら、ありがとうございました。