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今年も心は相変わらずだった。
米寿の母は入院中…可哀想なことに、なかなか誰もお迎えに来てくれないのだろうか。
おかしい。。。
母の人生を思うと何もかも不思議で切ない。
生まれは東京、新宿病院と言っていた(記憶はあやふやだけれど新宿にあったのだろう)
お父さんは代々の宮大工だったためか、たまに引っ越しもしていたらしい。
おじさんが3人いたので可愛がられ、戦争が近くなると「東京の街をよく見ておくんだよ」と彼方此方に行っていたそうです。弟の足に障害があるので、練馬小学校では空襲があると、居残り組。学校の先生も当番で家路に帰りにくい子供達の面倒を見ていたそうです。先生も命懸けでしたね😢空襲がもう限界になった頃、遂に雪国に疎開することに決めたそうです。親戚も誘ったけれど「そんな寒い所に行ったら子供が死んでしまうよ」と断られたそう。ここで第一の後悔…行かなくても良かった。戦後、親戚は一人も死ななかったそうです。田舎では「東京っ子」と、妬まれ虐められたそうです。コンクリートの大きな小学校から田舎の木造の小さい学校。凄いギャップだったと思います。最初は子供らしく(牛を飼いたいなあ)とか憧れを持っていた様ですが、ここから長く辛い苦労が始まります。
「戦争が終わったらまた帰ってこよう」と誓って東京を離れたのに、戦争が終わったのを知ったのは、冬だったそうです。(帰りたい)母は何度も思い、ある日ひとり駅で汽車を待ったそうです。待っても待っても時間通りに来ない。田舎の駅…東京とは違ったのです😭
夜間高校に入って東京育ちのお父さんが亡くなった。葬式で香典泥棒に遭いすっからかん。犯人はだいたいわかっていたそうですが、何もできなかったそうです。
東京の親戚にも呼ばれたそうですが、お母さんは長女(母)を手放さない…働いて金を稼いでもらわないと食べていけなかったのだ。。
そうこうしているうちに、同じく都会から疎開してき父と出会ったらしいです。ここも第二の間違い。ソーカ学会員で迷いがでたなら、止めておくべきだった。母の人生を考えれば、東京へ帰るべきだった。帰京していれば、もっといい人生を送れたと思います。(一番下の弟と妹だけが上京して成功したので、もっと優秀だった母は楽勝だったと思います)
冬になる度に、後悔の念が高まっていた母と父。亡父は終いには雪でノイローゼ状態でした(父は辛すぎたのか子供の頃の話をしたことがありませんでした)
田舎に残った母も、叔父も、そして祖母も実は東京へ戻りたかったと思う。
祖母は最期にあった時、私は半年目の長女(祖母にとって初ひ孫)を連れて行き、隣に寝せてみた。赤ちゃんに指を握り締められ、愛おしそうに見つめていた。祖母は希望を託したのだろうか。何故なら、その赤ちゃんは、偶然にも戦後戻るはずだった家の近所に自宅を買ったのだ。更に、祖父と叔父がよく仕事した清水建設の建物だったのだ😭
東京のど真ん中で高所得者層の長女には、実は、亡くなった血縁の夢が託されたのではないかと、最近ふと気付いた。全てがおかしいほど繋がっている。気付いたら、もうどうにもならない。私には何もできない。
久しぶりに、リアルでもクリスマスツリーを飾りました。
子供達が小さい頃は毎年、楽しみにして、楽しく飾っていました。
長女が12月初めに生まれたので、義兄が送ってくれた大きなツリーは捨てられませんね。
この光を見ながら夜中にも授乳していました。
幼児期の頃には、ケーキ屋でチョコレートケーキ予約するのも恒例行事でした。
真っ赤なリンゴほっぺで寒い日に予約に出かけ、ショーウィンドウを嬉しそうに見ていた長女。
クリスマスの時期は、とても切なくなります。
孫も生まれましたが、私の子供達の方が可愛かったです。
世間ではよく「孫の方が可愛い」と言われていますが、そんなことないですね。
やっぱり自分の子供達が一番可愛いものです。
時の流れが不思議で付いていけません。
ふと、振り向けば、そこに可愛い子供達が現れる様ですが、もう居ないのです。
昨日まで、公園にこまめに連れて行き、近所の人達と楽しく過ごしていたような錯覚に陥る時があります。
おかしい…カレーをかき混ぜていた末っ子の姿も、昨日のことの様に感じるのです。
子供達の名前をつけています。
また一緒にこうして寝たいなぁ。。。
可愛い子供達に囲まれて、本当に幸せだったなぁ。。。
お金も地位も名誉も無かったけれど、本当に幸せだった。。。
子供は大きくなって立派に自立して、当たり前の流れなんだけど、仕方ないけれど、やっぱり寂しいよ。
時の流れが寂しい。
親なんて皆、太古の昔から、同じなんだろうな。。。動物でさえ、きっと同じ思いだと思う。
母がこの春、家で倒れて、入院中です。
彼此、10年近く、母は黄泉の国へ逝きたがっている。
愛する、両親、妹、友人達、そして、夫、愛息子に愛娘…母の愛する親族は既に旅立っている。
母は寝たきりで話すこともできないけれど、いつも想いで一杯のような気がする。
そして夢の中にいる。この世と黄泉の国を行ったり来たりしている様な気がします。
時々母が夢に出てくる時がある。大抵が、30代くらいだろうか…。
私はいつも母の願いを聞いてあげている孝行娘で、皮肉にも現実と掛け離れている。
30年後、私も同じ様な状態になるのかもしれない。
30年後のことなんて考えるのも無駄かもしれないけれど、主人は生きているだろうか。
私自身、生きているだろうか。
考えると、恐ろしくてたまらない。
明 日死ぬのかも知れないし、それも解らないなんて、恐怖の沙汰でもある。
私の今年の漢字はズバリ!
「想」
今年はどんな1年だった?
今年に限ってではないけれど、私は「過去」を想いさだない日はない。
よく「前向きに」とか「ポジティブに」生きようとか言われるが、私には逆である笑
それは「子育て」であったり、その「環境」であったり、「人」であったり、「物」であったり…全てが、ほんの昨日のことの様に想い出される。
今年は可愛い初孫に恵まれ、たまに会いに行く。娘も幸せに包まれ、毎日が天国の様だ。私もそうだったな、と輝かしい想い出が、昨日のことの様に想い出される。
高齢の母も然りだと想う。
妹が急逝し、父も可愛い末娘を追う様に逝った。
あんなに可愛がられた兄もついに亡くなり
この三人が生きていれば、母も、もしかしたら私も違う道を歩んでいるかもしれない。
長女は三回目の年女になる。
あの命より大切な、誰からも可愛いね、と言われ、有能な長女も、三回目の年女を迎える。
戦争に出したと想い、毎日、彼女の無事を願う。
毎日、35年前、30年前、25年前の今頃は、、と、黄金の子育てに想いを馳せる。
幸せ過ぎると、何か、いけない様に想う。神様が嫉妬して、ある日、突然崩れたり、、。
だからそこそこ何かしらの十字架を背負い生きた方が丁度良いと想う。
そう想いながら、今日もあの子供たちの幸せと、母の健やか、を祈り、美しい日々を想う。
PC版ピグが終わって3〜4年…もう遠い昔の様ですが🥺
昨夏から再開したアプリ版で、ようやくパオシティに入れました。
懐かしいドーナツ屋や学校、八百屋、パンケーキ、ハンバーガー屋がお目見えしました😲
懐かしい😞
ピグライフに夢中だった40代は子育てに仕事にショッピングに家事に忙しくも充実した日々だった。あの頃に戻りたい。時は戻らないけれど、決して戻らないけれど。
時々、もし時が戻ればと想像する時がある。
ふと、子供がまだ小さい頃の瞬間が蘇ることもよくある。
幸せは過ぎた頃に、思い出す頃に分かるものだと実感しています。
もしや、今のこの瞬間も幸せで、後年になって思うのだろうか。
時はもう戻らないけれど、せめて、仮想空間の中で、以前の様なピグライフに近づければと願っています🥰
リアルにこんな暮らしがしたいです☺️
思っていた以上に新しいピグライフの充実機能が増え、楽しく復帰しました![]()
2019年に無くなった時はすごくショックだったけれど
新しいピグライフ、ほとんど昔とも引けを取らないほど復活できています![]()
あの頃の水友にも会えないかなぁ。。![]()






