リズと青い鳥という映画をみた(n回目)。あまりにも感情の機微が激しすぎるので、少しずつ紐解きながら、特に自分が好きなシーンについてネタバレありで書き綴っていきたい。

そもそもリズ鳥のあらすじとしては、「のぞみとみぞれ、吹奏楽部で''親友''であるはずの2人、しかしそれぞれのソロの掛け合いが噛み合わず。」と簡潔に表すとこうなる。

さて物語序盤。、みぞれは学校の入口でのぞみを待ち自分の足を見つめる。1度足音が聞こえるが、顔を上げることは無い。


2度目の足音。それが聞こえると一瞬黄色い一輪の花が差し込まれ、顔を上げる。足音だけでのぞみだと分かるというシーン。


ユーフォを見ておらず初見であっても、開始5分でみぞれの巨大感情をまざまざと見せつけられてしまうのである。黄色い花は当然みぞれの「のぞみが来た」という喜びの感情を表しているのだろう。こののぞみへのみぞれの感情をセリフなどではなく、足音、仕草、花だけで理解出来てしまうのだから、神はこのために人間に視覚と聴覚を与えたのだと納得してしまう最高のシーンだろう。


飛んで物語やや中盤、みぞれが生物室で望みを思い描いていると、のぞみのフルートの反射光でのぞみに気づき、2人で戯れたあと、気づくとのぞみは消えてしまっているというシーン。






(1部界隈で反射光愛撫と名付けられているが、)このシーンは2人でイチャついているだけではなく、みぞれにとってのぞみはすぐに夢のように消えてしまう儚い存在であるということを印象付けるシーンであると考えられる。きっとこの時、昔部活を辞めたのぞみのことが脳内でチラついただろう。みぞれはそっと自分の髪を撫でる。(のぞみが自分の髪に触れる時は感情が動いた時)

ただこのシーン、同時にみぞれをリズ、のぞみを去っていってしまう青い鳥であると錯覚させるシーンでもある。このみぞれ=リズ、のぞみ=青い鳥という図式は物語終盤でひっくり返るが、この図式を意識させるシーンというのは至る所に散りばめられている。

のぞみがパート仲間と話していると、「小鳥のさえずりのよう」と比喩されたり、みぞれが青い羽根をまるでカゴに閉じ込めるように両の手のひらで包み込んだり、そもそものぞみがみぞれを吹奏楽部に誘う描写がリズに会いに来た青い鳥と重なったり。




こういう細かいミスリードが終盤のどんでん返しの魅力を強めるのだろう。

ちなみにのぞみが消えてしまった際、みぞれは困った時などは前髪を撫でたが、のぞみは困った時どうなのかと言うと、彼女は''後ろで腕を組む''のである。

この2つを対比させるだけでも違いが見えてくる。みぞれは困った時の行動が''前''、表に見えるだけでなく、表情も伴う。故に高坂から指摘された際も、「そんな顔させるつもりはなかった」と言われる。しかしのぞみは''後ろ''、かつ、表情に出さないのである。常に笑顔、故にみぞれよりものぞみの方が感情を推し量ることは困難であると言える。

本編を見る際はのぞみの仕草に着目してみると、言動と心情の差異に気づけるかもしれない。