粗探しするのって 簡単だよね


自分以外の人間がやったことを

自分の価値観で批評するだけだもん


良く言うも悪く言うも自分次第だし

なんでそいつの価値観で批評されないといけないのって感じだけど


感想言うだけ


小学生でも幼稚園児でもできるよね


そうなりゃ他人はなんでもどうとでも言うわな


ケチつけりゃいんだもん


責任もないから言いたい放題



他人の人生にも口出します



親もそうだよね

いや、親には愛があるか


愛があっての口うるささだもんね



それってさ~とか、えーーーとか単に批判だのしてくる人ってナニ?


結局自分に満足できてないだけだと思うんデスケド。



アドバイスならアドバイスらしくゆえ

伝わらない

でもたいしてアドバイス的な本意でもないんでしょうけど


自分に対する不満と人への不満、すり替えないでほしいよね


自分に勇気がないだけでしょ

自分に出来ないだけでしょ


他人は他人なりの考えを持って行動しているよ

あなたがそう思うならあなたなりの行動をあなたがすればいい









うーーーーむーーーめっちゃストレス








誰でも何かに依存心があると思います


どうして依存しているのか

なにがそうさせているのか

本当に必要なのか


前向きにも、後ろ向きにも、ふと考えたくなりました



それがなくなったら他に何をするのか、他の何に目を向けるのだろうか

それはまた違う有意義な時間を作れることになるのではないか


でも、少なからず今依存しているものも必要としているんだと思う

だけど、依存心に惑わされて過剰に意識していることも事実


依存心を解いて、本当の真実を確認してもいいんじゃないかと



・・・じゃなくて、

ほんとは、依存心に支配されるようになってきてしまったから

ほんとの自分の気持ちも見えないし、ちゃんと向き合えない

正しいのか間違ってるのかも判断できない今の状況

へたれになりすぎて自分にも周りにもよくないこの状況

悪循環やぁ~~~

つことで、ちゃんとしっかり正常心に戻らないと


自分をしっかり確立させて上で、余裕を作って


そしたら円満になるのかな






まず、信用と信頼の違いについて。

その件については、「信用と信頼」とググれば納得の答えが見つかるかと。



ググった結果、あたし的には、信用<モアザン<信頼、なんだというニュアンスの答えに至りました。








信用出来ることが重なって重なって積み重なって、信頼が築けるんじゃないかと。



だから、今までの積み重なった信用のたった一つでも信用に欠けるとなったら、

信頼というものは崩れてくのでしょう。



それでも、まだ信用出来たこともあるわけで、だからどうしたらいいか

悩んでしまうのかも。



悩んでまた信頼すると決めて、でもまた崩れて。


信頼はするものじゃなく、そう出来ると感じる結果論なのかも。


信頼しようって思う時点で、信頼できてない。



信用出来ることを積み重ねて、また自分がそう感じれるようになるまで、

一度崩れた信頼は戻らないんだと思う。



それほど、人の想いは真っ直ぐで重いもので。

長い時間をかけて育ったものだから、カンタンには元に戻らない。

それなりの代償がある。



それでも信頼できるって人、少ない。

結局は、他人と他人だから。