今日の記事は批判があるだろうとは思いますが、以前より気になっていたので書きたいと思います。
1週間ほど前に、フリーライターかこさんが、精神科で誤診をされ、精神病であった過去のために酷い差別を受けた女性の手記を、ブログで公表されていました。
正直に言うと私はこの手記を読んだ時に、違和感を感じました。常識的に考えるとそれはないんじゃないかな、という内容が随所に見られたからです。
ちなみに私が違和感を覚えた箇所をあげると…
- 向精神薬を服薬したためにおかしくなり、入退院を繰り返した。
- 精神科の公衆電話から人権委員会?へ電話したが一度も繋がらず、病院側がこの機関に電話が繋がらないようにしているのではないか。
(ここからは身体科での話)
- 精神科の患者とわかった瞬間に診察拒否された。
- 訪問看護師が本人に内緒で精神科に情報提供を求めた。
- 統合失調症であったと知られた途端に訪問看護師の態度が急変し、差別を受けた。
- 別の訪問看護ステーションでも同様に、精神科へかかっていたことを明かすと態度が急変した。
などです。
ただ、事実はどうであれその女性は手記の通りに受けとめ、それが真実として記憶に残っているのだろうという理解は出来ました。
そこまでは問題ありません。当事者がこのように主張することは悪くないと思います。
ただ私がどうかと思うのは、それを取り扱う反精神医学の人たちの姿勢です。
今回は、女性の手記は全て事実であることを前提に、かこさんは下記のような結論を出しています。
- 彼女の経験は、精神科に関わる多くの人が経験する縮図である
- 誤診であったにも関わらず、精神科での診断名がその後も付きまとい、さまざまな信じがたいような言動を受ける。
- 精神科入院中の劣悪な看護は、看護師が抱える日常的なストレスのはけ口であり、虐待行為である。
- 医療者は患者を見下す傾向がある。
- 精神科にかかるせいでPTSDを抱える人が多い。
- 精神医療というシステムそのものが患者を作っている。
- (もちろんそうでない医療関係者もいます、そんなことはわかっています)
これらの結論づけの方法が、私は我慢ならないのです。
私は、精神医療に対する批判的な主張はあって良いと思っています。
事実、反精神医学運動が起こり、人権を尊重した治療へシフト出来たという過去があります。
また現在の薬物療法偏重の精神医療がベストではないと私も思っています。
ただ紹介した記事に限らず反精神医学の人たちは、常に過度の単純化、紋切り型の主張で、現実に則していない指摘が多過ぎるのです。
これは自分の求める結論に合う事例だけを探し出し、あたかもそれが全て事実であると主張し、批判しているからそうなるのだと思います。
もっと客観的に事実を分析し、極力バイアスを取り除いた上で、精神医学を批判した方が良いのではないか。
せめて当事者の話にはバイアスがかかっている可能性だけでも考慮すれば、違った結論へ至るのではないかと思います。
ちなみに私は、身体科の病院へ行くと必ず今飲んでいる薬を訪ねられます。その時は嘘偽りなく処方されている薬を伝える、またはお薬手帳を見せています。
私が服薬中の薬は、てんかん、または双極性障害にしか適応がない薬です。お薬手帳には処方した機関名の記載があるので精神科にかかっていることは一目瞭然です。
しかしそのことによって診療拒否や、差別的言動を受けたことは一度たりともありません。
もし診察拒否が事実であれば、精神科にかかっている以外の何らかの事情があると考えられます。
ですので「彼女の経験は、精神科に関わる多くの人が経験する縮図である」とは到底思えません。
本来ならば、色々な考えの人がいるのだから、好き勝手に書いてもらって構わないのです。
しかし反精神医学の人たちの言葉によってマイナスの影響を受ける人たちがいるのです。
私が最も恐れるのは、当事者や家族が反精神医学の人たちの情報を鵜呑みにし、治療を拒否したために症状が悪化するという惨事を招くことです。
また反精神医学を信じた人たちは、精神医療を生涯恨み続けることになるのではないでしょうか。恨みつらみの感情を抱えたまま生きることはとても辛いことです。
別のアプローチもあるはずなのに、助けたい人たちを不幸に陥れてどうする?と言いたい。
もし最終目標がより良い精神医療を目指すことなら、精神医療の全てが間違いで悪だ決めつけず、その功労も評価した上で、至らない非常識な部分を批判をし、改善策を提示して欲しいのです。
反精神医学の主張の中には、正しいことも含まれてると思います。
ただ批判する論点や手法が間違っている。私はそう思います。
以上です。
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