ADHDについて。その1 | リリカルうつろぐ。

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双極性障害の移ろいゆく心を語るブログです。
ただの雑談もあります。

今は発達障害ブーム(と言ったら怒られるのか?)だと思うんだけど、そーいえば子供の頃の私は不注意タイプのADHDっぽかったな、と思う。

 

 

今は絶対にそういう事はしていないと思うんだけど、私が小5・小6の時の担任は、模造紙に表を書き、縦軸に名簿順にクラス全員の氏名を書き、横軸に忘れ物をする度に丸シールをひとつ貼るというグラフを作っていたのね。

 

その模造紙は教室の壁に貼られ、いつでもクラス皆の目につくようになっていた。

 

私は、そのグラフのシールの数がズバ抜けていたんだよね。

そう、忘れ物の量がハンパなかったの。

 

 

自慢じゃないけど、宿題は家に帰るとその存在を忘れていたし、学校から保護者へのお知らせのプリント類も大概見せ忘れていたし、翌日の学校の準備はほぼ毎日忘れて寝てしまっていた。学校の机の中はグチャグチャでカビた食パンとか出てくるし(笑)

給食のパンが食べきれず、机の中に隠していた事を忘れちゃってるんだよね。クラスに1人や2人は、そういう子が居たでしょ?

 

 

私は、そんな子だったの。

当時はADHDなんて言葉は一般的ではなかったので、だらしない子って扱いだったのかな?

 

 

でもね、それが全然問題になっていなかったの。

宿題はしてなかったけど成績は悪くなかったし、忘れ物が多くてもイジメとかなかったし、友達もいたしね。

 

唯一、担任の教師だけは問題視していて、私の両親には何か言っていたみたいなんだけど、母はあまり気にしていない様子で「宿題をしなさい」ぐらいは言われたけど、特別どうこういう事はなかったんだよね。私自身も全然気にしていなかったし。

 

 

それが良かったのか、悪かったのかは、わからないけど、その部分は放置されたまま、大らかに育てられたの。

 

 

でもいつの間にか忘れ物とかしなくなって、色んなことに細かく気づけるようになって、逆に気づき過ぎで、今ではそれが仇になっているんだけどね…トホホ。

 

18歳くらいがひとつの区切りだった気がする、私の場合。

 

 

大人になってから子供時代の話をすると「えー意外!」と絶対に言われるんだよね。特に仕事関係の人からは、うっかりしたイメージは全くないみたいだよ。

 

プライベートでは、今でもうっかりミスが多いので「あー、ちょっとわかる。」って感じだけどね(笑)

 

今の私は、パブリックとプライベートで脳の使い分けをしているのかな?

 

 

とりあえず成長と共に、脳が発達してくれてよかったニコニコ

 

 

 

 

実は、今日書きたかった内容がまだ書けていないんだけど、長くなってしまったので、続きはまた次回!

(次回は少しだけ双極性障害と絡めたADHDのお話になる予定。)