しかし、私はインプットばかり長過ぎるものが多い…インド哲学だけじゃなく、音楽理論にしても演劇メソッドにしても、語学にしても、何十年やってますとか資格持ってますとかの域なのに、表に出さない。つまり、他者の評価に晒されることをしたくないんですね😅

かろうじて、音楽はずっとアウトプットしてきたけど、それでもオーディションとかコンクールとか、以前は避けてきた💦

評価受けるのって、怖いし嫌じゃないですか!(爆)

占星術に詳しい人なら分かると思いますが、私はネイタルの天体が東側に集中しているので、基本、自分軸なんです。だから、自分の陣地内ではとても能動的だし、問題解決もどんどんしていっちゃうタイプ。でも、ご存知の通り、占星術の最終目標は、360度全て自分のものとする事です。チャートの東側で生きているだけじゃ、他者との相乗効果も、ゲシュタルト効果的…いや、クオンタムリープ的なミラクルも起きません!

私にとって、チャートの西側を開発することはとても勇気が要ることです。いや、勇気が要るというよりは、腹をくくる(決断する、とも言う)ことが要るのかな…で、天王星が牡牛座に入るくらいのタイミングから、やっと腹をくくったワケです(^_^)

それと、花蓮さんのお師匠さんの谷原由美さんが、「アウトプットしないと、冷蔵庫の中で、使い忘れられた食物が腐るように、ダメになる」的なことを書いてらっしゃったので、「おー、こえぇぇぇぇぇ」と思ったのもあります。てか、もう、腐ってるのもあるかもな…😱

うぉぉぉ、頑張るべぇぇぇ!!!

以前、予告した通り、花蓮さんとのラジオ番組が今日からスタートです!
初回はノープランで録音し始めたので、多々多々、反省点ばかりが気になりますが、将来的にはゲストも迎えて、音声だけでなく、(顔出しNGの花蓮さん以外は)動画にしてみようとか、色々アイデアはあるので、追い追い形にしていこうと思います!何はともあれ、双子座新月ですしね(笑)見切り発車でも、発進しておきます😊

随時、質問でも感想でも受け付けておりますので、実名でも匿名でもオッケーです。

511radio511@gmail.com

まで、メール下さい!

511ラジオ 美味しい宇宙哲学

ちとサボってしまいましたが、頑張って書くぞ!

 
ここの所、ミヒャエル・ヴィツェル先生の集中講義を受けたり、この秋にある学会の為の準備で2300通もの封書を送付したり、気忙しい毎日を送っています😅
 
今日は何を書こうかなぁと思って…引き寄せの法則ブームで量子力学も引用されていたりするので、量子力学の話でもするか…それか、シンボルの話でも書くか…色々悩んだのですが、どちらも長くなりそうなネタな上に、ちと、お疲れモードなので、最近、友人たちと話したネタでも話そうと思います。
 
引き寄せの法則ブームと言っても、ロンダ・バーン氏の『ザ・シークレット』が世界的ヒットした2007年辺りからのブームだと思うので、もう10年くらいは経つのですね。そして、その間、日本でもスピリチュアル的なカリスマが何人も生まれたと思います。
 
特に、ハッピーさんとか子宮委員長ハルさんとか、若くて可愛い女性が、庶民的、かつ、彼女たちなりに噛み砕きながら、オシャレに、時に気持ち良い毒舌さで語る引き寄せの法則だったり宇宙法則入門だったりは…まぁ、実際に裏で組織的な用意があったとしても…それまでスピリチュアルとか形而上学的なものに取っ掛かりが無かった人たちにとって、それらを身近にしてくれたのではないでしょうか?
 
私には経営者としての顔もあるので、ビジネス・チャンスに乗ることは決して悪いことだとは思いません。ネットで見ると、彼女たちに対しては賛否両論ありますが、嫌いな人は関わらなければ良い訳ですし、好きな人は何かを得てる、または得てる気になっている訳で、大金を出したとしても、メリットを感じるからフォローしてる訳です。
 
しかしながら…
彼女たちに、というより彼女たちのフォロワーに一言だけ申し上げるとしたら、
 
ワクワク・キラキラ、一番輝いているのはカリスマの彼女たちであって、その輝きを支えているのは皆さんです。でも、そもそも貴方がたが彼女たちのフォロワーなりファンになったのは、自分自身が一番輝きたかったからなのではないでしょうか?それなのに、貴方がたが彼女たち以上に輝くことは無い、ということに矛盾を感じるのは私だけでしょうか?
 
ということです。彼女たちのような知名度は無いけれど、私の知る、真のスピリチュアル・カリスマ達は、自分ではなく、その人を輝かせてくれます。もちろん、好きなアイドルやアーティストのファン的延長なら問題ないですが、ちょっと考えてみて下さいね(^_^)
 
 
さて、ハッピーさんは、西洋のチャネラー達がチャネリングしたことの一部を和訳して、ご本人の実践や体験を紹介しつつ説明するというスタイルなので省きますが、ハルさんの「子宮の声を聞く」というのは、強ち間違いではなく、理に適った方法ですね。運気を上げたいなら、方向として正しいと言えます。
 
私は10年以上前に腸セラピーに通っていたことがあります。子宮の声ならぬ腸の声に耳を傾けたいというのが目的の一つでした。
 
それで、人間には自律神経と体性神経がありますが、腸とか子宮とか、私たちの意識の及ばない、自律神経系の内臓とのコネクションを作ることは、より大きな自然のサイクルや、潜在意識に働きかけ同調するのに良い方法です。
 
まぁ、なかなか難しい人も居るかと思いますが、そういう方は、やはり瞑想の練習をするのが良いです。
 
つまり、自律神経と体性神経の交わるところが、内臓で言えば「肺」です。呼吸は、意識的にすることも出来ますが、意識していなくても自動的にしていますよね!肺は、顕在意識と潜在意識を繋ぐには、適切な場所です。
 
だから、まず呼吸法を色々学びながら、瞑想法に入っていく、ということには一理あるのですね!
 
そして、グルジエフ氏の食物エニアグラムでも、腰のあたりに一番高次の要素が溜まるそうですから、運気を上げたり、願望成就的なことには、腸や子宮は、意識をフォーカスするのに最適な場所かもしれません。
 

電子ピアノの上に、つい置き場のない書類を積み上げてしまっていたのですが、決意してキレイに片付けたら、思いっきり創作意欲が湧いて、曲作りに勤しんでおりました(笑)

 
 
さて…今日は結構重いけれど、大切な話をしたいと思います。最近、とても悲しいニュースが報道されてましたね。5歳の女の子が、両親から虐待されて死亡した、そして、ノートには反省文なるものが残されていた、と。
 
 
こういうニュースを見る度に、心が張り裂けそうになります。
 
記事にも書いてありますが、虐待を正当化する常套手段として、反省文を書かせる。たった5歳の子に…
 
ストックホルム症候群どころの話じゃありませんよね…幼少のうちは生きる術がなく大人に命を預けるしかないのですから、そもそも脆弱な存在に為す術は、全くと言ってよいほど、ないです。
 
 
「一体、どんな親、いや人間なんだ!?それでも人間か!?」「虐待するなら、何故産んだんだ!?」「助けてくれる祖父母はいなかったのかな?」「でも、親も虐待されていたのかも?」
 
 
許せないような、やるせないような気持ちになりますよね。。。
 
で、よく精神世界やスピリチュアルの分野では、「全ては意識で出来ている…全ては貴方が(自覚が有っても無くても)望んだ通り」ということが言われます。そして、過去の記事で私も、仏教の教えと絡めて、同じような話をしました。
 
そうすると、じゃあ「上記のような女児のケースはどうなんだ!?」というような議論が浮上する訳です(多分)。「たった5歳の子が、虐待されて、殺される、それを望んだと?」
 
果敢なスピリチュアル・リーダーなら
 
「悲しいけれど、それでも、そうなんです!」
 
と答えるかもしれません…いや、現にそう議論していた方もお見かけしました。実に、魂レベルでの課題やテーマ、カルマなどは、物質的な自我では到底計り知れないのです。
 
これ真実でしょう!
 
そして、「引き寄せの法則」を世界的ブームにまで広めたいロンダ・バーン氏の『ザ・シークレット』に拠るなら、「あたかも望むものが既に手に入ったかのように、思考で感情で行動で振る舞うことによって、望むものが手に入る」というロジック、いや法則ですから、上記の件で言うなら「あたかも、既に全ての子供は安全に養育され愛されていると、思考で感情で行動で振る舞うことによって、実際にそれが実験された世界が手に入る」と考えて、上記のニュースを見て、いたたまれない気持ちなったり、悲しさと怒りを覚えたとしても、直ぐさま、それを手放して、あたかもそんな事件は存在しなかったかのように、忘れるか意識に上らないようにするかもしれません。望む現実の為に!
 
これ宇宙的な物理法則でしょう!
 
 
しかし、これらの真実や物理法則と同じくらい、5歳の幼女が虐待され死に至ったこと、そのニュースを目の当たりにしたこと、事実で真実で宇宙的法則なのです!
 
 
だから、真に宇宙原理に拠って生きたいのであれば、私たちは、これらを全て等しく受け容れるべきです。虐待されて死ぬ子供など居ない世界と、虐待されて死んだ子が居る世界を、同時に摂取するのです。
 
そうです!矛盾した事柄を受容するのです。まさに不二の姿勢です。いつも手放していつつ受け入れる姿勢です。そこは、ダイナミックで彩り豊かで深淵で、激しさと静寂が同居した、台風の目のような世界です。
 
 
キラキラ・ワクワク、ポジティブ気分崇拝だけに従って、ニュースを見て嫌悪感を抱いたり、悲しさに襲われたのに、そんはネガティブなことはあたかも存在しないのだと言うように、避けたり無視したり、単に蓋をしたら、それはただの選り好みや逃避です。嫌なこと、ネガティブなことも、意味があって存在していて、出くわしただけの因と縁があるのだから、本当は、ちゃんと消化する(つまり自分なりに自分のものとする)べきなのです。
 
 
私は、とりあえず二日連続、友達と語っては泣きました(面倒なヤツ、笑)目の前の子供を抱きしめました。
 
私が泣いても、もう過ぎ去ったことに対しては、何の足しにもならないし、何の解決にも繋がらないし、直ぐ何か出来る訳じゃありません…
 
でも、それは、私にとって、ニュースの向こう側の話で、私自身の日々の現実とは何の関係のない事でも、胸に突き刺さるものがあったのだから、その時の気持ちを、私は咀嚼して自分のものとする必要があるのです。何も高尚な理論や精神性じゃなくても良いのです。
 
この世界が真に自分の意識次第なら、意識が対面したことを、きちんと仕分ける必要があります。その中には、相手にしない方が良いこともあるでしょう。相手にしない練習の為に現れてくることもあるでしょう。
 
しかし、この幼女の死は、そういう部類のものではないし、多くの方は、切なく悲しい思いや、怒りや、やるせなさや、社会について何か考えさせられたのではないでしょうか?
 
会ったこともない、声も聞いたこともない、住んでる場所も遠い、赤の他人だけれども、思わずテレビのチャンネルを変えて目を背けたくなるほどの、悲しい女の子の死を、私は知ったのです。その知った縁を自分のものとするから、咀嚼して、そこにしがみつかずに、しかし受容して、自分の意識のアーカイブスに仕舞うのです。
 
そして、その意識のアーカイブスに仕舞われた何かは、今直ぐでなくても、いつか、思ってもみないカタチで、自分の糧となり、世界を変える糧となるはずだと私は信じています。
 
追記:読者の方から質問があったので、私が上記の文章中で「べき」という表現を使ってますが、実は、ちゃんと意図を持って使っているのですが、少し誤解を招きそうなので補足しておきます。この「べき」は義務の「べき」ではなく、「こうなりたいのであれば、必然的にそうする」という必然の「べき」です。

今日もバタバタで、落ち着いて記事が書けないのだけれども…

今日は、国連大学で行われた、人権や様々な平等運動についてのディスカッション(英語のみ)に参加してきました。


ドーン‼️
表参道にある国連大学。


セッション中は写真撮れなかったので、終わった後にパチリ。

人権と一口に言っても、政治的なレベルの話と一般庶民的なレベルの話では、ちと毛色が違うので、一括りには出来ないのですが…少なくとも、人権擁護と掲げて、世の中の色んな不平等に関して意見を言い合うような場に居合わせる度に思うことがあります。

そもそも人間のエゴの中に、格付けしあうような心があって、常に無意識に他者をジャッジしてることって、もちろん私を含めて、皆んなあると思うんです…

そういう、人間のエグい核心的なところから、ちゃんと直視して話さないと…何だか、どこか偽善的に感じちゃうんですよね…

とりあえず、庶民の日常生活レベルで言えば、色んな権利擁護があるけれど、根本的には「選べる」という権利が必要なんではないかと意見を述べてきました。

会場でも、日本の性差別について話題が出ましたが、例えば、日本で女性の社会的向上を妨げるのは、意外に同じ女性だったりします。特に、日本の教育だと、

「平等(equality)=同一性(uniformity)」

だったりするので…本当は平等ってそうじゃないんですけど、同一じゃないと不平等に感じちゃうように、半ば洗脳されてるんですよね…

女性の生き方だって、もちろん男性の生き方だってひとつじゃないはずなのに…深く心理的に根付いたステレオタイプがあって、それに囚われてる人は苦しむか、はたまた他者にそれを押し付ける人になる。

選べる自由を拒む人は、大抵、他者に他の選択を与えることが、まるで自分の居場所や選択を脅かされるように感じてしまっているのだ…

差別してる人は、自分の中に恐れがあることに気付かない。その恐れの故に差別する

日本のLGBT啓蒙運動にしたって、アメリカで育ってゲイの親友がいて、レズビアンのハウスメイトがいた私からしたら、本当はここまで話題になること自体が驚きですよ!

性的マイノリティーの権利を認めたからって、別に性的マジョリティーの何かが脅かされる訳じゃないのに…未だに婚姻も正式に認めないとか、意味分からん(笑)

ゲイだってレズビアンだって、皆んな自分の好みはあるので、ゲイの男性が男皆んなに色目使うワケじゃないんですよ…それは普通に男女の関係でも同じでしょうが!!!と言いたいww

えー、なんか最後は吠えてる感じになりましたが(笑)そんなこんなをグチャグチャ思った日でありました😅

こんにちは!数日、音沙汰がありませんでしだが、論文発表があったり、神戸に音楽で行ったりと忙しくしていました(笑)

 

神戸、また行きたい💖小さい横浜みたいで、人混みが苦手な私には丁度良くて…住んでしまいたいと思えるくらい、空気とか雰囲気の肌馴染み感が良かった(笑)
 
先週は、自分の中にあるものをちゃんと表現できるだけの表現力が足りないことに、色々凹んでいましたが、週末に神戸へ行って、違う環境に身を置いたら、クヨクヨしてても前に進めるワケではないので、日々小さな努力を積み上げていくしかないんだな、と前向きになれました(o^^o)
 
よく「塵も積もれば山となる」と言いますが、やった塵もやらなかった塵も積もるというのが自論ですので、クヨクヨしてやらない塵より、失敗しても続ける小さな塵を積み上げたいと思います!
 
さて、これからブログなり、花蓮さんとのラジオ番組なりを通じて、アウトプット修行(笑)をしていこうと思っているワケですが、じゃあこの先、御多分に洩れず、これらを宣伝媒体として、講座とか何かに繋げたいのか…ということには、正直、あまり興味がないのですよね😅
 
まぁ、ご要望があれば応えますが(笑)
 
うーん、他を否定している訳では全くないのですが、個人的には、何故か昔から、人生哲学とか精神世界的なもので金銭を稼ぐこと自体に抵抗があるのです。
 
例えば、引き寄せの法則とか幸せの法則とか、そのものをネタにして稼ぐとか…ワクワク・ドキドキで儲かってるのは仕掛けてる方、みたいな(笑)
 
まぁ、どのチャンネルから入るかは人それぞれなので、それはそれで良いのですが、やっぱりピンと来ない人も居ると思うので、そんな人たちに届けば良いなぁ…
 
もちろん、経験値として、じゃあ無料が良いかって言ったら必ずしもそうじゃないのは重々承知。心理学的にも、対価を払ってやった方が人間ちゃんとやる、という一面もあるし、タダだと変な人(つまり、真に自分を変える気はない上に、惨めな自分の方へ他を引き込もうとするタイプの人)が来る可能性が上がるという面もある。
 
でも、私がインド仏教を勉強を10年以上してきて、心に留めてる経典の言葉があるんですよね…
 
それは、
 
財施によってでしか人を摂取しない(受け入れない)者は、自らを傷付ける、また速やかに奥義を得ることがない。財施ではなく、法施によって、人を摂取すべき(受け入れるべき)である。
 
って言葉なのです。
 
この法の施ってのが何なのか…まぁ、ある程度自分なりの答えはあるのですが、それを考察するのも楽しい。自分の持てる知識や技術を差し出す時、無料というより、有料というより、法の施を取る仕組みを考えてみたりww
 
私にはビジョンがあって、まだ秘密ですけど(笑)3年後までには、形として見えるようにお披露目したい。スピリチュアルとか人生哲学とか精神世界の探索とか、今は、それそのものが対象になっていますけど、そうじゃない第三のカタチ、新しいムーブメントみたいなものを形作ろうと企んでます😆😘
 
今は、その為の下地作りだったり、表現力磨きだったり、ご縁作りだったり、という意味合いでのアウトプット修行なのです(笑)
先日、来月にローンチする「511ラジオ」の初回収録をファシリテーターの花蓮さんと一緒にしてきました。

「511ラジオ 美味しい宇宙哲学」
この番組は、歌うインド哲学者・愛子と、旅するファシリテーター・花蓮が、自由な視点から縦横無尽に精神世界を輪切りにし、普遍的宇宙哲学を抽出して、美味しくなるまで煮詰める番組です。

6月14日に初回放送しますので、宜しくチェケラッ‼️(笑)


さて、収録の時にも話していたのですが…本当に私は、インプットばかりに比重が重い人間で、たまたま、インド哲学は12年くらい学んでる話をしたら、花蓮さんに「そんなに長く学んでるのに、何故、今まで何もアウトプットしてきてないの!?」と言われました😅

花蓮さん曰く、

「私は、教えるの前提で学びに行きますよー」

…何故か、ずしーんとキタ!(笑)

長年お世話になってる鍼灸師さん(30代女性)にこの話をしたら、彼女も、どちらかと言うと、インプット型のタイプなので耳が痛いですね、と言っていた…彼女曰く

「本当は、インプットとアウトプットのバランスが取れてるのが理想ですよね!」

最近、自分の表現力の無さに凹んでる私にとって、これも教訓的お言葉…

そう、12年分の知識や考察を、今の自分の表現力でアウトプットするのは、まるで3リットル入りのケチャップを5ミリくらいの穴から出そうとしてる感じです…マジ落ち込む(笑)

でも、花蓮さんから

私がオムライス用意しますんで❤️

という力強いお言葉を頂いたので、地道にコツコツ頑張ろう‼️天王星・牡牛座の時代ですしね(笑)牡牛座はコツコツです…しつこいくらいコツコツ…そして、きっと時代を変えるでしょう⭐︎

なかなかアウトプットするのは難しいですね…幾つかフィードバックを頂いたのですが、どうやら私の頭の中は、点と点を結んで線にするような立体的な考え方で成り立っているので、自分では気を付けているつもりでも、他者から見ると風呂敷を広げ過ぎて、何を言っていのか伝わりにくいらしいです…(笑)まぁ、ある程度自覚もあるので、途中で面倒になったりして(オイオイ💦)、無理やり話を終わらせてしまったり…

表現するって素晴らしい、だけど難しい😅

でも、そういうのも少しずつ克服するための、このブログだったり…するので、精進したいとおもいます。

🍀🍀🍀🍀🍀

さて、前置きが長くなりましたが、その1その2の続きです。

広義の意識について、昔から考察されてきたように、沢山の階層があるわけですが、常に、これだけ多くの階層を意識するのは現実的じゃないと思うので…少しシンプルにして、

顕在意識(自我、普段の私)
潜在意識(隠れた自我、思い込み、無意識の定義付け、感情、等。)
超自我ハイヤーセルフとも。閃き、直感、等。)

の3つなら、意識しやすいかな(笑)


この世界が意識だけで出来ているとは言っても、私たちが外界として感じてること、その感じてること自体はリアルだし、本当に意識だけなのか、意識とは何かという定義も含めて、論証することは難しいし…けれども、私が思うに、そう捉えることの一番のメリットは、

自分に起こる全てに対して、主体性を持って臨める

ってことだと思うのです‼️むしろ、そこがキモかもしれない。

つまり、意識で出来ているなら、外界は夢か幻かではなくて…唯識の八識では五感も識だったように…見えるものも聞こえてくるものも匂ってくるものも、全て自分事ってことです。(こう言うと、何だか全てを受け入れなきゃいけないみたいに聞こえるかもしれませんが、そうではありません!!!むしろ、全ての選択に対して主体性を発揮することです。)


超自我(ハイヤーセルフ)を入れたのは、人によってはオカルトちっくに感じるかもですけど、理論バリバリでも片手落ちで、私たちの身体も自律神経系と体性神経系があるように、自分たちより偉大なものを知ろうとする姿勢とか、五感を豊かにして直感を磨くこととか、忙しい現代人には特に必要なことだと思うからです。

あと、今の科学だけで、全てをはかろうとするのは、逆に不自然ではないでしょうか?例えば、磁力が知られてなかった時は、磁石が引き寄せあうのも、魔法とかマジックのように思われてたワケですよね。今の技術では測れないエネルギーが存在するのは決して絵空事ではないし、そもそも、私たちはミクロを肉眼で見れません。もしかしたら、いわゆるエイリアンも、そこらじゅうに居るかもしれませんが、私たちの肉眼では感知できない、という問題もあるかもしれないのです。



さて、その意識に手をつける、意識を改革する方法ですが、その基本にあるのは、

全ての感情や行動は、全て私たちそれぞれの世界観から生まれる

ということです。これは、後でまた記事にしたいと思いますが、仏教で言われるところの「無我」とか「無自性」に関わってきます。

世の中のおよそ全てのことは、全てニュートラルなのです。本質としての善も悪もないのです。人殺しだって、この世の中だから、それは悪だって、私たちは選び取っている。でも、日本だって、戦争中は人殺しが誉になる時代があった…今だって、北朝鮮に行けば、金書記が言えば、人殺しだって善でしょう…

それくらい、世の全てのことは、生来的な意味など無い。しかし、その本質の無いものに、私たちが意味や意義を付けるという行為が大切なのです!!!

しかし、その意味付けや意義付けを、私たちは自分で選び取っているのではなく、殆どは、親の受け売りだったり先生の受け売りだったり、所属する社会の受け売りだったりします。

殆ど洗脳です(笑)

それが問題なのです!!!

だから、自分の感情や行動(行動しないことも、また一つの行動)をつぶさに見て、なぜそういう感情が湧き上がるのか、なぜ、そういう行動を取るのか、または行動を取らないのか、自分の奥底にある定義付けや思考パターンについて、深く内省する必要があるのです。

私は、10代から単身異国の地に行って、常識を覆されることが多かった。だから、比較的自分の中のパラダイムを変えることに慣れています。(このことについては、コチラコチラの記事も読んでみて下さい。)


それでも、生きている限り発見があり、学びがあり、もう意識の改革は終わらないのです(笑)


そう、私たちは意識改革がデフォルトなのです!


そういう意味でなら、価値観が変わって良いのです!むしろそれが自然です。あなたの中で変わらない価値観なり信念なりは、振り返って分かるものです。

もちろん、都合が良いように、何層もある意識の階層の、一番低い自我意識の考え方を変えるだけなのは、単なるエゴであり、単なる表層意識の塗り替えなので、意識改革と違います。

意識改革は、上記のシンプルな3つの意識で言えば、潜在意識レベルです。潜在意識レベルを顕在意識レベルに持ってくるには、真っ正面から自分と向き合って、耳を塞ぎたいことも、正直に問うことが問われるのです。


しかし、今日は長めになっちゃったな…😅
オレのダルシャン(眼差しによる洗礼、ウソ‼️)