「ざけんなよ、お前」


 私は去年から小学校の教師になった。今年は5年生を受け持っている。わんぱくで小憎たらしくなってきて、なかなか大変な年頃の子達と毎日を一緒に過ごしている。
 そんな私の学級に、いつも半ズボンポケットに手を突っ込んでよたって歩きながら、ツバをペッと吐いて「ざけんなよ、お前」って言うのが口癖の男の子がいた。
 名前は、羽賀 健児って言うのだけれど、私はどうしてもこの子が生理的に受け入れられなかった。
 みんなと違う奇行に走りやすいし、なによりいつも薄く黄ばんでいるようなカッターシャツを着ていてズボンも何日も代えていないような不潔な格好をしているからだ。
 羽賀君は、女の子の前では格好をつけているのかいつもポケットに手を突っ込んでいた。両手を突っ込んでそのまま歩く物だから、酔っ払いがよたって歩くように見えるけで、むしろ格好悪いと思った。
 羽賀君は、忘れ物をよくする子だった。だいたい素行の悪い生徒というものは、忘れ物も多いものだと思う。私はいつも何かを忘れて来る羽賀君を廊下に立たせたり厳しく怒ったりしたのだが、当人には一向に反省の色がない。
 親との連絡に使う連絡帳には、私の小言がびっちり書き込まれていた。しかし、親からの返事は極たまにあるだけで、連絡帳を親に見せているのかも疑問に思えてきた。
「羽賀君、ちゃんと親御さんに連絡帳みせてる?」
 私は厳しく羽賀君に聞いてみた。
「ざけんなよ、お前」
「先生に向かってなんて口の聞き方を……」と、まぁいつもこんな感じ。
 それで、いい加減頭にきてたので職員室で古くからこの学校に勤めている金子先生に愚痴ってみた。
「羽賀君っていつもああなんでしょうかねぇ、全く言う事を聞かないし困った子なんですけど」
「羽賀君……ねぇ、あの子、一年生のころは優等生だったのよ。勉強も出来たし、言う事も素直に聞く子だったわよ」
「え、そうなんですか?」
「二年生になってからね、お母さんが病気になって入院して。お見舞いに行ったりなんかで遅刻が多くなってきてね」
「三年生の時に、お母さんが亡くなってね。あの子元気な子だったのに本当に塞ぎ込んでしまってね」
「そして、四年生の時にはお父さんがアルコール依存症になったみたいで……」
「……」
 もう私は、その後の金子先生の言葉が耳には入らなかった。
 私は、一体子供達の何を見てきたのだろう?
 いつも格好つけて強がっている男の子に、嫌悪感を抱いて冷たく当たっていた。

 昔、マジシャンである父がいつも私に言っていたことを思い出した。
「物事を見た目だけで判断、評価しちゃいけない。見えない所の方が重要なんだよ」
 父は、はっきり言って売れてなかった。カードだけの地味な手品なんてうけるわけないだろうと観客に言われた事もあった。
 しかし、カードを自由に消したり出したりする父の妙技に、歓喜の声を上げる私がいた。。
 子供の純真な目で見ていたからだろうか。いや、それだけではない、父のあの妙技には大変な努力の成果なのだということを知っていたから。

 今、羽賀君はまさに地味なカードマジシャンではないだろうか。
 家庭がボロボロになりながらも気丈に振舞っているのを、私は格好をつけているのだと思い込んでいた。

 それから私の羽賀君を見る目が変わった。
 放課後には、私の方から進んで一緒に居残り勉強をしないかと誘ってみた。
 羽賀君の家にもちょくちょく訪れるようになった。
 家にはお父さんがいて、いつも酒瓶を片手に出迎えてくれる。
 あの様子では、家事も羽賀君がほとんどやっているのかもしれない。
 私は、何度か食材を買い込んで羽賀君の家で晩御飯を作りに出かけた。

 そして羽賀君の卒業式の日、私に手紙をくれた。
「先生へ。先生は僕のお母さんのような人です。先生に担任になってもらって本当によかった。
 先生が作ってくれたカツカレーは世界で二番目に美味しかった。一番はもちろんかーちゃんが作ってくれたやつです。
 先生が来るようになってとーちゃんも少し変わった。
 酒は相変わらず飲んでいるけど、がんばって仕事を探してる。
 これもみんな先生のおかげだ。僕は、先生のような先生になって僕のような生徒を励ましてあげたい。先生本当にありがとう。
 ざけんなよって言ってごめんね。 健児」

 私は、これを読んで涙が出ました。私の方が羽賀君にお詫びを言わなければならないのです。
 羽賀君、私の過ちを許してください。私はあなたの事を全然理解してなかったししようともしてなかった。
 ただ、みんなと違うというだけで毛嫌いをしていた。
 羽賀君が一生懸命毎日を生きていたんだと気がついた時、私はほんの少しでも羽賀君の手助けがしたいと思っただけです。
 そしてね、羽賀君。私はあなたのお父さんとはじめて会った時に言ってしまいましたよ。

「ざけんなよ、お前」ってね。
命の授業


 そいつは小学生の頃から変わっていた。
 教室のみんなに自分はよその星から来た異星人だと恥じらいも無く公言していたし、その教室のいじめられっこである僕には、やたらと親切にしてくれた。
 僕はオタクでひ弱そうに痩せていたから、いじめられるのは仕方が無かったと思う。
 ある朝、登校すると下駄箱の上履きが片方しかなく、その片方の上履きにはメモが入っていて、「ゴミ箱」と書いてあった。
 僕は、片足だけ上履きを履いて足を引きずるように教室に入ると、まだほとんど何も入っていないゴミ箱に手を突っ込む。
 ゴミ箱の中にはやはりメモが入っていて、「机の引き出し」と書いてある。
 僕が自分の机に座って手を入れると、やはりメモが入っていた。「トイレの掃除道具入れ」
 そのメモを僕が嫌そうな顔で見つめていると、あちらこちらで笑い声が漏れてくる。つまり犯人達って訳。
 泥だらけの靴下を母親に見つかったら怒られるだろうなと心配をしながら、僕はトイレに向かおうとして立ち上がる。
 すると僕より俊敏な動きで立ち上がったその子が、笑い声の主の一人に飛び掛ってせっかく整った可愛い顔を鬼のような形相に変えてこう言った。
「何を、こそこそやってるの?」
 杉村 遥というその女の子は、クラスではちょっと変わった子として認知されていた。
 授業中急に大声を出して笑い出したり、独りでブツブツ何か言う物だから当然なのだ。
 しかし、そんな奇行の多い彼女だったが、とても可愛い顔をしていたので男子には受けがよかった。

 しばらくして林間学校で海に行ったときの事だ、僕はボートであいつ等に沖のほうへつれて行かれた。
 恐がる僕は格好のおもちゃになった。当然泳げないのだ。あいつ等からしたら、少し驚かせてやろうくらいの事だったのかもしれない。
 誰かがボートを持ち上げて、「サメだ」と言った。泳げない僕が必死でボートにしがみつく様が、あいつ等を余計に煽った。
 ついにはみんなでボートを逆さまにしてしまい、僕はついに海に放り出された。
 みんなは僕がもがく姿をみて最初は笑っていたが、沈んでしまうと流石に冗談ではすまないと思ったのか、慌てて助けてくれようとしたようだ。
 でも必死で暴れているから、いくら泳ぎが上手でも引き上げるのは容易でなかったのだろう。みんなは、なす術もなかった。
 もうダメだと思った。息が出来なくてもがく手は、すがる藁さえ捕らえる事はないのだ。
 上も下もわからない水中で死ぬってこういう事かなと悟った瞬間、意識は途絶えた――。

――暗闇に焚き火の揺らめく炎が、おぼろげに見える。
 まず思ったことは、ここは何処? そして、何故ここに寝ているのかって事。
 溺れたんだ! ――と言う事は、ここはあの世の一丁目なんだろうか。
「気がついたのね」
  聞き覚えのある声が、焚き火の向こうから聞こえてきた。
 遥だ。僕は、その声の主がすぐにわかった。
「溺れかけていた所を助けてあげたのよ。もっと命を大切にして頂戴」
「だって、あいつ等が……」
 言いかけた途端、遥が無表情でこちらに向かってきたかと思うと、激しい痛みが頬に走った。
 殴られた?!
「あんたバカ? あんたは、何のために生まれてきたって言うのよ。あいつ等にいじめられて死んでしまうため? 冗談じゃないわよ」
「は?」
「人には、それぞれ生まれてきた目的ってのがあるの。あなたは何のために生まれてきたのよって聞いてるの?」
「そんなのわからないよ。そんなの……」
「じゃあ、まだ死ぬのは早いって事よ。泳ぎぐらいプールで必死に練習したら、誰でも少しくらいは泳げるようになるのよ。努力が足りないんじゃない?」
 そんな事はわかっている。あいつ等にいじめられた位で死んじゃうような弱い人間じゃないよ、僕は。あれは事故だったんだって。
 
 中学に入ってからは、あいつ等とクラスも離れた事もあっていじめられることはなくなった。 
 僕は、自分がいかに杉村 遥という女の子に影響を受けているのかということを走馬灯のように思い出していた。
 ある時は、いじめっ子相手に「一発くらい殴り返したら?」と言われて空手を習ったし、ある時には、「泳げるようになれ」って言うからスイミングスクールにも通った。
 僕が中学に入って太ってきたのだって、「体が痩せてて貧弱に見えるからもっと食事を食べなさい」と言われて、一日に四度食事を取る様にしたからだと思う。
 風邪をこじらせて肺炎になって入院した時には、真っ先に飛んできてくれて散々心配してくれた挙句に「もっと身体を鍛えなさい」って言われて毎日ジョギングをするようにもした。
 僕が、こんなに精神的にも肉体的にも強くなれたのは全部この子のお陰なんだとつくづく思う。

……まてよ。

 僕は、ここに来て一種の違和感を感じた。そう、昔のいじめっ子にやられたあの隠しゲーム、 始めは「ゴミ箱」って書いてあって、ゴミ箱にいったら次は「机の引き出し」と書いてある。
 永遠に終わらないゲームの挙句に、僕の上履きは結局トイレに流されていたという結末。
 「一発くらい殴り返したら?」って言われて、殴り返したら溺れさせられた。
 「泳げるようになれ」って言われて、泳げるようになったら「もっと太りなさい」
 太って少しはいじめられなくなったけど、結局病気になって、次は「もっと身体を鍛えなさい」ってこの先どうなるんだ?
 そんなことはどうでもいい。僕は、遥と同じ高校に行く事にした。
 そして、高校を卒業するまでに彼女に告白しようと思う。
 「遥の事が、好きだ」
 小さい頃から僕を母親のように護ってくれた遥。遥もきっと僕の事が好きなんだ。間違いない。
 彼女は、いつでも僕を見守っていてくれている。これからもずっとそうして欲しいって彼女に言うんだ。


 ――― ――― ――― ――― ―――


 嬉しかった。実のわが子のように慈しみ育てた子に「好き」だって言われた事。
 私も好きだよ。でもね、恋愛感情ではないの。これって母性愛。君の事が本当にたまらなく愛おしいよ。
 でもね、ゴメンね……本当にゴメンね。何がって、それはもちろん。君の告白に答えてあげられないって事。
 それと……。ううん、こっちの方が大切なんだよね。
 大粒の涙が、私の頬を伝う。嬉しさと悲しみとの入り混じった感情が涙の粒を大きくしているようだった。

 その時が来たのだ。――彼はもう十分成長している! 

 私は、後ろ手に隠していたモノをそっと握りなおして、思わせぶりに言った。
「目を閉じて……」
 彼は、驚いた表情をしたけれどすぐに私の言うとおりにする。
 いつだってそう、そう躾けて来たからね。
 彼は、純真な私のしもべ。なんだって私の言う事を聞くだろう。
 素直に目を瞑って待つ彼。高校に入って二年目に、私の背を追い抜いていた。
 髪を始めて茶色に染めたのは入学式の次の日だった。あの頃は少し背伸びしたおませさんって感じだったけれど、今ではカッコ良く似合っている。
 二人で学祭でやったバンドは、今までで一番の思い出だ。
 卒業旅行で、夜には二人きりで抜け出して朝まで街を徘徊したりもした。
 この思いで一つ一つを、私自らの手で壊してしまわなければならないなんて……。


――ひ弱な未熟児で、どう考えても食用に適しているとは思えなかった彼。
 でもそれが返って私の母性愛をくすぐったとも言える。他の誰よりもこの「授業」に私は熱心だった。 
 杉村 遥って言う名前も姿もただの借り物。 
 私の星には、高校の実習の授業に「命の授業」っていうのがある。
 私たちの種族に良く似た、地球っていう星の食用の人間の赤ちゃんを育てて、最後には自分達で屠して食べちゃうの。
 食用の人間を飼って、そして自分達の手で屠して食べる事で命の尊さを学ぼうって事。
 そんな悪趣味な授業だれが始めたのかわからないけれど、飽食の時代だからって高校の必須科目になっている。
 そんなわけで私は、幼い杉村 遥の体に入り込んで赤ちゃんの頃から彼を飼育していたのだ。
 
 私はナイフで、無防備な彼の頚動脈を一気に掻き切る。
 さよなら。愛しい愛しい私の子。美味しく食べてあげるからね……。

 僕は、極度の上がり症だ。心の中で思ったことが、どうしても上手く言えない。
 だから、高校三年になっても未だに彼女も出来ないんだろう。

 ホームに電車が来る。ローカル線なので帰宅ラッシュとはいえ、そんなに目いっぱい混んではいない。
 帰宅する人々の群れは、サラリーマン、OL、学生などが入り混じっていて、若い人ほど元気がある様に見える。
 新聞を片手で折りたたんで読む人、ケータイをいじる人、本を読む人。そんな人たちのいる電車内に乗り込んだ。流石に席は空いていない。僕は奥の窓際に追い込まれるように進むと、おもむろにつり革を掴んだ。

「あっ」
 先客がいた。一瞬先に誰かが、そのつり革を掴んでいたのだ。
 横を向くと、ふとその子と目が合った。同じ年くらいの女子高生で、セーラー服に肩まで伸びた黒髪の似合うカワイイ子だ。髪飾りを刺して、その白くて狭いおでこを強調している姿が、子猫のように愛くるしい。
 僕は、その子の手を握り締める形になってしまった。直ぐに引き戻した手には、人肌の温もりが残っていた。
<こんな時は、なんていえばいいのだろう?>
 言葉よりも先に、考えこんでしまう。
<わざと手を握ったっと思われていないだろうか。痴漢に間違われでもしたら大変だ。それにしても、カワイイ子だ。いい匂いがする……>

「痴漢!」
 その大きな声に、一瞬で車内の時間が止まった。
 あまりの緊急事態に、咄嗟に言葉が迸った。
「ちがいますよ!」
 言ってから、ぎょっとした。さっきの悲鳴は、目の前の子が発した言葉ではなかった。
 一斉に周りの乗客が、僕を軽蔑した視線を向けるのがわかった。
 こんな場合、否定して大声を上げた僕が「痴漢です」と名乗り出たようなものだろう。
 僕の頭の中で、みんなの心の声を再生している。
<こいつか、くそー美味しい真似をしやがって>
<人ってみかけによらないわね、こんな大人しそうな顔をして>
 手に汗が滲むのがわかった。こんな時どうすればいいんだ。

「ちがいますよ。この人は、私と手を繋いでいたんですから……」
 目の前の女の子が、こう切り出した。わざわざ僕の右手を握ってみんなに見せる。
 助かった……僕は、結局何もいえなかった。余りに居心地が悪いので、次の駅で降りる。
 叫んだ女の子も、痴漢もどうなったのかもわからない。
 降りてから、ベンチに腰を下ろして一息つくと。さっきの女の子がやってきた。

「さっきはごめんなさい」
 いやいや、謝らなければならないのは僕のほうだろう。
「ああでもしないと、痴漢と間違われちゃうでしょ?」
 やっとの事で、僕は口を開いた。
「いや……僕のほうこそゴメン」
 なんで、上手く話せないんだろうな。
「あの子、大丈夫だったのかな。痴漢なんて本当にサイテーだよね」
 元はといえば、僕が間違って君の手を掴んでしまったのが原因なのに、助けてもらって本当にすまない。
 こんな言葉が、スラスラ言えたらよいのに。
「私も、びっくりしちゃったけどね。突然手をにぎられるし」
 彼女は、そういいながらも僕に向けた視線は優しかった。


 ::: ケース1:百点満点:理想展開でしょう。


――こんな出会いが会ったらいいなと思うから。今日も、いつものように電車に乗る。
 決まった時間の決まった車両には乗らない。
 そこには新しい出会いがあると信じているから……


 :::

 ホームに電車が来る。ローカル線なので帰宅ラッシュとはいえ、そんなに目いっぱい混んではいない 帰宅する人々の群れは、サラリーマン、OL、学生などが入り混じっている。僕は、電車内に乗り込んだ。流石に席は空いていない。奥の窓際に追い込まれるように進むと、おもむろにつり革を掴んだ。

「あっ」
 先客がいた。一瞬先に誰かが、そのつり革を掴んでいたのだ。
 横を向くと、ふとその子と目が合った。
 同じ年くらいの女子高生で、セーラー服に肩まで伸びた茶髪のパーマ……ってアレッ。
 僕は、その子の手を握り締める形になってしまった。直ぐに引き戻した手には、人肌の温もりが残っていた。
「ちょっとあんた今、私の手、握ったよね?」
 あまりの緊急事態に、咄嗟に言葉が迸った。
「えっ、ちっ、ちがいます。スイマセン」
「何が、ちげーよ。今私の手握ったじゃんよー」
「スイマセン、ついうっかり……」
「何が、ついうっかりだよー。ざけんなよてめーよー」
 女の子は、カンカンになってこちらを睨めつけてくる。
 痴漢に間違われたと言うわけではないのだが、周囲の乗客は関わるのはゴメンだという感じで遠巻きに見つめるばかり。
 逃げたくても、車内という密室の中では、それも叶わない。ああ、最悪。
 すごむ彼女に何も言えずにひたすら頭を下げ続けていると、
「いい加減にしな、由梨絵」
 立っている茶髪パーマの隣の座席に座っていた女の子が、ドスの聞いた声でそう言った。
「だって、沙織先輩……」
「誰だって、失敗の一つや二つはあるだろう。素直に謝っている人に、何でそういう態度なんだい、オメーは?」
 同じ年くらいの女子高生で、セーラー服に肩まで伸びた黒髪の似合うカワイイ子だ。言葉使いは悪そうだけど、ツンデレ好きには堪らないだろう。
 僕は、唯ポカーンと口を開けて二人の会話を聞いていた。
 すると、今度はその子が僕の方を向いて口を開いた。
「私の後輩がちょっと言い過ぎました。スミマセン。気になさらないで下さい。狭い車内での事故ですよね」
 そう言って、天使の微笑を浮かべる。

 
::: ケース2:80点:ピンチの後にチャンスあり。


――こんな展開でも悪くない。今日も、いつものように電車に乗る。
 もう十分に妄想という名のシュミレーションをやった。あとは、実行あるのみ。
 きっとそこには、祝福という名の未来があるに違いないのだから。


::: 


 今日はいつもの帰りとは違う気がする。大丈夫、きっと神様は僕を見ている。 
 ホームに電車が来る。ローカル線なので帰宅ラッシュとはいえ、そんなに目いっぱい混んではいない 帰宅する人々の群れは、サラリーマン、OL、学生などが入り混じっている。僕は新聞を片手で折りたたんで読む人、ケータイをいじる人、本を読む人。そんな人たちのいる電車内に乗り込んだ。流石に席は空いていない。奥の窓際に追い込まれるように進むと、深呼吸をして、おもむろにつり革を掴んだ。

「あっ」
 先客がいた。一瞬先に誰かが、そのつり革を掴んでいたのだ。
<予定通りぃぃぃぃ>
 逸る心を抑えながら横を向くと、ふとそのお姉さんと目が合った。
 少し年上のお姉さんで、スカートと御揃いのスーツ姿に肩まで伸びた栗色の髪が美しい。
 僕は、そのお姉さんの手を握り締める形になってしまった。直ぐに引き戻した手には、人肌の温もりが残っていた。
<ああ、麗しいお姉さん。僕はどうすれば良いのでしょうか……>
 言葉よりも先に、考えこんでしまう。あきらかに年上だけど、結構な美人だ。

「あのぉ……」
 来た来た来た来た来た来た! お姉さんは、言いにくそうにモジモジしながら話しかけて来た。どんな展開になっても、僕はこのチャンスをモノにできる自信がある。
 その為に毎日、苦労したんだ。神様ありがとう、こんな僕を見捨てないでくれて。
 僕は、申し訳なさそうに。しかし、毅然とした態度で彼女の言葉を待った。ハッピーエンドはもう直ぐそこまで来ている。彼女がついに最後の言葉を紡いだ。



「この車両、女性専用車両なんですけど……」


 電車の扉が閉まった。僕は、心で泣いた。