ハイタイ〜
バスガイドのシャーバー千亜希です
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色んな目的で沖縄に訪れるお客様に
色んなお話をご案内出来る様に
日々沖縄の事を勉強中です
今日は
読谷村にある赤犬子宮のお話
地図はこちら↓
読谷村楚辺に赤犬子宮という拝所があります。この宮は、昔から赤犬子ゆかりの拝所として知られていますが、1956年、楚辺区民の手で鳥居や階段が取り付けられ、お宮として整備されました。今では区民の他、古典音楽関係者等の参拝する姿をよく見かけます。
赤犬子は、沖縄の三味線音楽の始祖といわれる伝説上の人で、その名前の由来は二説あります。その一つは、「アカ」は阿嘉という地名で「イン」は童名(ワラビナー)、「コ」は接尾語とする説。あと一つは、赤毛の「イン」(犬)の子という説です。
昔、楚辺では大変な水不足に苦しんでいました。その時屋嘉のチラーという村一番の美女が飼っていた犬がいつもずぶ濡れになってどこからか帰ってくるので不思議に思い犬の後をつけて行くと、暗い岩の割れ目に入っていき、そこで水浴びをして出てくるのを確かめた。これが楚辺の暗井戸(クラガー)で、現在は、米軍の管理する黙認耕作地の中にあり、今でも干ばつにも枯れることなく豊かな水をたたえて農業用水として利用されています。
この、犬の飼い主チラーの子が赤犬子で、幼い頃から聡明で、青年期にはいよいよ持ち前の美声と音楽の才能を発揮し、雨だれのトンテントンという音を聞いて三味線を考案し、クバの葉の茎で棹を、幹で太鼓を作り、馬の尻尾を弦にして三味線を作ったという伝説があります。
赤犬子の才能は、首里王府にも認められ、尚真王に仕え、王の命を受けて中国にも留学し、琉球中を巡って三味線を広めたといわれます。読谷村では五穀豊穣の神としても祀られ、毎年9月20日には「赤犬子スーギ」というお祭を盛大に行っています。また、毎年行われる3月4日の三線の日には、ここで古典音楽の奉納が行われています。
歌の道ひるく
世界に輝かち
犬子ねあがりや
末代までも
うたとさみせんのむかしはじまりや
いんこねあがりのかみのみさく
側には赤犬子遺跡
赤犬子宮の後ろ側にあります
フェンスがあり入る事はできません。
かぎやで風節にあわせて歌います。
最近は手が痛くて三線触っていませんが、いつかは訪れたいと思っていたので参拝できてよかったです
読谷村民の赤犬子への深い愛を感じる祠でした。
参考文献
那覇出版社
沖縄文学碑めぐり
著者
垣花武信
東江八十郎
沖縄の旅は那覇バスで

最高の旅になりますように心を込めてご案内します✨
シャーバー千亜希
最後までお読み頂きありがとうございました!
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