kureのブログ
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ヨガへの徒然なる想い

ヨガと言う言葉の先に、宗教の匂いがしたのは一昔。この数年は第3次(第4次?)ヨガブームとも呼ばれ、UNIQLOGAP、無印良品など大手服飾業界もヨガウェアの販促拡大に力を入れている。これはいかにヨガの持つマーケットが広く一般層まで届き、オウム真理教の鈍重な影響下から脱却した事を意味すると捉えても問題ないのであろう。


しかし、ヨガする男性をヨギーと指すその言葉の認知度はまだまだ低く、多くの方々は、当たり前のようにヨガ=女性の図式の中、くねくねした軟体動物ような動きをし、静かに座って目を閉じたり、呼吸しながらお腹をペコペコさせたりなど、アイコンとしてのヨガのイメージが強いようだ。


《本当のヨガとは何か?》と僕が自身が語れるはずもなく、では日本において誰が《本当のヨガとは何か?》を語れば説得力があるのだろうか?と周りを探してみたものの、実際、誰の顔さえ浮かばないのが現状である。


僕自身が薄っぺらな知識でしかない中でのその感触は、古代インドの伝承・伝聞を先人達の智慧と叡智で包み込み、私的解釈を取り混ぜながら仏教、禅、経絡、更には自己啓発、医療現場の自律神経訓練法などをその都度掘り起こし、ヨガというフレームの枠を創りあげた形こそがヨガ。その過程での熱量は尊敬に値する結晶であり、だからこそ、今在る日本のヨガを牽引しているのであろう。


逆もまた真なりと言う諺が存在するように、ヨガを真逆の視点から眺めてみると、それはまさしく色即是空 空即是色と言う底無し沼の闇に陥ってしまう。そのパラドックスこそが功と賞・罪と罰でもある。曖昧模糊とも言える内観やら瞑想は一歩間違えたならオウム真理教の悪夢を誘導してしまう危険もあり、又、ストレス過多の現在に於けいて、宗教そのものが根付いていない国、ニッポンには最適な立ち位置でもあるのだろう。



果たしてヨガのアーサナし、瞑想を生活に取り入れ、内観と言う言葉を連呼するのは、ヨガを楽しむだけのものなのだろうか!一歩上の高みを歩いている『いけてる私』に気がついて欲しいが為のヨガなのだろうか。

僕がフィットネスクラブは長続きせずに、唯一ヨガだけは続けられた理由の一つに、無理しないの向こう側にあり、受動からの脱出、能動性への変換。動的瞑想と言う唯一無二の形である。


緩やかなその動きの中で、心の機微を繊細に受け止め、日常の矛盾ややるせなさ、不平等や不条理をも飲み込んでしまおうと、心と身体の内側から振り絞る、叫びとも言える呼吸、その呼吸一つ一つこそがヨガであり、脆く崩れそうな私を支えてくれる瞬間でもある。充足した人生の足跡が『今ここにあった』それを体感出来るうる至福の一時でもある。僕のヨガは常にそこにあり、そう教えてられてきた。


最近では、生意気にもヨガの一部を伝える立場に置かせて頂き、共鳴とも言える波動を起こしてくれる仲間が増えて来た。そんな想いを誰よりも阿吽の中で引き継いでくれたインストラクターがおり、弟子と言う表現は照れ臭く、恐縮ではあるのだか、ヨガと本気で向き合い、打ちのめされては、人知れず涙を流しているのが、さかたのりこと言う名前である事を是非、知って頂きたい。


その彼女が、ヨガの向こうの遥かなる岸辺にメンズヨガと言う名の舟を漕ごうとしている。ヨギーの皆さま、さたかのりこを体験せずにメンズヨガを語るのは早すぎる。

https://shop.yoga-gene.com/program/3398/



ヨガへの徒然なる想い

ヨガと言う言葉の先に、宗教の匂いがしたのは一昔。この数年は第3次(第4次?)ヨガブームとも呼ばれ、UNIQLOGAP、無印良品など大手服飾業界もヨガウェアの販促拡大に力を入れている。これはいかにヨガの持つマーケットが広く一般層まで届き、オウム真理教の鈍重な影響下から脱却した事を意味すると捉えても問題ないのであろう。


しかし、ヨガする男性をヨギーと指すその言葉の認知度はまだまだ低く、多くの方々は、当たり前のようにヨガ=女性の図式の中、くねくねした軟体動物ような動きをし、静かに座って目を閉じたり、呼吸しながらお腹をペコペコさせたりなど、アイコンとしてのヨガのイメージが強いようだ。


《本当のヨガとは何か?》と僕が自身が語れるはずもなく、では日本において誰が《本当のヨガとは何か?》を語れば説得力があるのだろうか?と周りを探してみたものの、実際、誰の顔さえ浮かばないのが現状である。


僕自身が薄っぺらな知識でしかない中でのその感触は、古代インドの伝承・伝聞を先人達の智慧と叡智で包み込み、私的解釈を取り混ぜながら仏教、禅、経絡、更には自己啓発、医療現場の自律神経訓練法などをその都度掘り起こし、ヨガというフレームの枠を創りあげた形こそがヨガ。その過程での熱量は尊敬に値する結晶であり、だからこそ、今在る日本のヨガを牽引しているのであろう。


逆もまた真なりと言う諺が存在するように、ヨガを真逆の視点から眺めてみると、それはまさしく色即是空 空即是色と言う底無し沼の闇に陥ってしまう。そのパラドックスこそが功と賞・罪と罰でもある。曖昧模糊とも言える内観やら瞑想は一歩間違えたならオウム真理教の悪夢を誘導してしまう危険もあり、又、ストレス過多の現在に於けいて、宗教そのものが根付いていない国、ニッポンには最適な立ち位置でもあるのだろう。



果たしてヨガのアーサナし、瞑想を生活に取り入れ、内観と言う言葉を連呼するのは、ヨガを楽しむだけのものなのだろうか!一歩上の高みを歩いている『いけてる私』に気がついて欲しいが為のヨガなのだろうか。

僕がフィットネスクラブは長続きせずに、唯一ヨガだけは続けられた理由の一つに、無理しないの向こう側にあり、受動からの脱出、能動性への変換。動的瞑想と言う唯一無二の形である。


緩やかなその動きの中で、心の機微を繊細に受け止め、日常の矛盾ややるせなさ、不平等や不条理をも飲み込んでしまおうと、心と身体の内側から振り絞る、叫びとも言える呼吸、その呼吸一つ一つこそがヨガであり、脆く崩れそうな私を支えてくれる瞬間でもある。充足した人生の足跡が『今ここにあった』それを体感出来るうる至福の一時でもある。僕のヨガは常にそこにあり、そう教えてられてきた。


最近では、生意気にもヨガの一部を伝える立場に置かせて頂き、共鳴とも言える波動を起こしてくれる仲間が増えて来た。そんな想いを誰よりも阿吽の中で引き継いでくれたインストラクターがおり、弟子と言う表現は照れ臭く、恐縮ではあるのだか、ヨガと本気で向き合い、打ちのめされては、人知れず涙を流しているのが、さかたのりこと言う名前である事を是非、知って頂きたい。


その彼女が、ヨガの向こうの遥かなる岸辺にメンズヨガと言う名の舟を漕ごうとしている。ヨギーの皆さま、さたかのりこを体験せずにメンズヨガを語るのは早すぎる。


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https://shop.yoga-gene.com/program/3398/



博多へ


随分と眠ったままのブログですが、
少しずつ復活させて参ります。


明日から博多での講座、よろしくお願いします。
搭乗前、腹ごしらえ、
このおにぎりと味噌汁が割りと旨いんです。