昨年の話になるのですが、

上野の森美術館で開催されている『ゴッホ展』にダンナと行ってきました。

 

(ダンナはゴッホが大好きで、

独身時代にも、一緒にゴッホの展覧会を見に行ったことがある。

その時は激混みで、確か、美術館に入るだけで2時間近く待った…)

 

 

今回、わたしは音声ガイドを借りて鑑賞したのですが、

ゴッホと弟のテオとの関係性にぐっときて、

ラストでは感極まってちょっと涙ぐんでしまいました。

 

ゴッホは、生きている間は報われないことが多かったようだけど、

テオという素晴らしい理解者がいてくれて、

実はすごく幸せだったんじゃないかと思いました。

優しい弟に恵まれて本当によかったね、と…

 

作品に関しては、やはり、

今回の展示の目玉である「糸杉」と「薔薇」の異様なまでの迫力が印象に残りました。

(あと、「サン=レミの療養院の庭」にも引き込まれた)

 

うねうねとした筆致

どこか歪んだようなフォルム

息が苦しくなりそうなほどの濃厚な色遣い…

 

ずっと見ていると、めまいを起こしそうな

「向こう側」に吸い込まれてしまいそうな

狂気的な「何か」を感じさせる絵でした。

 

作風に、それまでとは明らかに違う凄まじい飛躍が感じられて、

この違いはただ単に、鍛錬によるものとか、様々な画家の影響を受けた結果とか、

そういうものだけではないな

やはり、精神の病の影響があるのかな…

 

…なんて話を、ダンナとしました。

(誰かと一緒に行くと、こうやって感想を言い合えるのがいいですね)

 

 

わたし自身はそんなにゴッホ好きというわけではないので、

ダンナに付き合って、半分、暇つぶし感覚で行った美術展だったんですが、

予想外に感動してしまいました。

    

(音声ガイド、おススメです。

あと、やっぱ「糸杉」がスゴイ。

あの、一種異様な世界観は、実物をみないとわからない)

 

東京での展示はあと数日で終わってしまうようですが、

一見の価値ありだと思います。

 

 

【オマケ】

 

 

出口のところに、こんな写真が撮れるコーナーがあったんですが、

平日の午前中で観覧者のほとんどが年配者で、

皆さん、こういう企画に興味がなかったのか、

誰もいなくて…

 

写真撮り放題で、夫婦で何枚も撮影してしまいました。

(ダンナがネクタイ着用してるのは、このあと仕事に行ったからです)

 

アメブロに移ってから、以前にも増してブログから遠ざかってしまいまして、

子供たちのことも、記録に残しておきたい言動や出来事はそれなりにあるのですが、

それを文章にする気力がなく…

(時間はそれなりにあるんですけどね…どうも気持ちが…)

 

まあ、「なんとしても記事に書かねば!」と駆り立てられるような大きな事件やトラブルが起きていないので、

ありがたいと言えば、ありがたいことなのですが。

 

おかげさまで、タロとジロはのんきに楽しくやっております。

高学年にもなると、男子でも人間関係で揉めたり、トラブルに巻き込まれたりすることはあると思うのですが、

幸い、タロとジロの学年は「年齢の割には幼い子が多い」(←先生も保護者も言っている)学年で、

みんなでワーワーキャーキャー仲良くやっているようです。

(小さな諍いはそれなりにあるようで、「まったく問題が起きてない」ってわけではないみたいですが、

うちの双子たちがそういったトラブルに関わったことは一度もない)

 

上にお子さんがいた方に話を聞くと、子供同士が揉めてとても大変だった学年もあるようなので、

こればっかりはもう「運」なんでしょうね。

うちの子たちはラッキーだったんだと思います。

 

6年生になっても小柄な双子たち。

10月の身体測定でやっと身長133センチ、体重24キロになりましたが、

ふたりとも、クラスではいちばん小さいそうです。

でも、なぜか足だけはでかくて、

もう、22センチの靴をはいているんですよね…

わたしより大きい。(わたしは21.5)

夏休みに靴を買いにいった時、

まさかこんなに足が大きくなっているとは思っていなかったので、びっくりしました。

 

早いもので、来年の4月には中学生になります。

先日、「卒業後の進路の確認について」という手紙を学校から持ち帰ってきました。

我が家は、家から一番近い公立中学校(S中)に進む予定ですが、

うちの小学校からそのS中に行く子はあまりいないようで(註:うちの子たちの代に限らず、例年、少ない)、

タロもジロも、大多数の子たちが行く中学校(M中)に行きたいと言っています。

でも、近いのが一番ですからね…

(だって、うちからM中に行くためには電車に乗らなきゃいけないんですよ。

私立でもないのに、通学のために電車賃なんか出せない…

それに、何かあった時、我が家は車を持っていないので、すぐには動けないんです。

特に、電車のトラブルがあった時は困る…)

お友達と離れ離れになってしまうのはかわいそうなのですが、

ここは親の考えを優先させてもらおうと思っています。

 

さて、最後に具体的なエピソードを。

 

小さい頃、勉強でわからないことがあると、すぐに癇癪を起して泣いていたタロでしたが、

夏休み中の個人面談で、担任の先生から、

「タロくんは算数でわからない問題があると、わかるようになるまで補助の先生(註:算数の授業には補助の先生が入っているらしい)に聞いています。

休み時間になっても問題を解いていることもあります。

『わかりたい』『できるようになりたい』という気持ちが芽生えてきたようです」

と聞かされました。

実は、自転車もなかなか乗れるようにならなかったのですが、

つい最近、自分から「乗れるようになりたい」と言い出して、ちょっと練習したら、

あっさり乗れるようになりました…

「気持ち」ってホント重要なんだなぁと、母はこの歳にして再認識しましたよね。

(ちなみに、「別に自転車乗れなくてもいいよ」と言ってるジロは、未だにうまく乗れません…)

 

一方ジロは、相変わらずちょっとぶっ飛んでいて、先日、学級だよりにジロの作文が載りまして、

国語の教科書に載っている「きつねの窓」という話について「僕(註:主人公)の窓に映ったものにはどんな物語があったのか、想像して書きました」というものだったのですが…

 

(以下、ジロの作文。そのまま掲載します)

 

「僕が10歳か11歳の時です。ラジオを聞いて笑っていました。楽しそうにね。だけど貧乏で生活は大変でした。いくら父さんが給料を稼いでくれても、ほとんど父さんが酒代に使ってしまうので貧乏でした。僕は家のリビングで遊んでいました。まだ、楽しかったです。でも、こんな日々も長くは続きませんでした。父さんは金(保険金)の為に家を放火したのです。僕は妹と逃げました。しかし、気づいた時には1人でした。ニュースで母さんと妹が死んだことを知りました。悲しかった。思い出が火により一瞬で燃えて消えました。」

 

…先生、なんで、この作文を選んだんですかね?

(学級だよりには、5人の作文が選ばれて載っていた)

 

本人によると、

「みんなから『よくこんな話、思いつくよね』『すごい想像力だよね』って言われた」そうです。

わたしもまったく同じこと思ったよ…

(尚、他の子たちも「火事が起きた」とか「妹は死んでしまった」とか書いていたので、

そこに関しては、ジロの創作ではないようです)

 

まあ、ふたりともこの調子で頑張れよ。

 

先月の話になりますが、

東京ステーションギャラリーで開催中の「岸田劉生展」に行ってきました。

 

 

岸田劉生については、娘さんを描いた『麗子像』くらいしか知識がなかったのですが、

10代の頃の水彩画から、晩年近くの、いわゆる劉生らしくない作風の紙本着彩の作品まで幅広く展示されおり、興味深かったです。

 

日本の近代美術は明治時代にはじまりますが、当時の油絵画家たちは印象派や外光派などのフランス近代美術の影響を受けていたそうで、

劉生も当初は黒田清輝に学び、セザンヌに似た画風の作品を描いたりしています。

しかし、常に独自の道を模索する彼の作風は、次第にデューラーの影響を強く感じさせるものに変ってゆきます。

1916年に描かれた『古屋くんの肖像』などは、その極致とも言えるでしょう。

(この他にも、ゴッホやウィリアム・ブレイクにも影響を受けたそうです)

同時代の日本の画家で、デューラーに学ぼうとした者は珍しかったそうで、

このあたりにも、劉生の強烈な個性とユニークさが見られると思いました。

 

ポスターにも使用されている『麗子肖像(麗子五歳之像)』と『道路と土手と塀(切通之写生)』は是非、実物をご覧になることをお勧めします。

『麗子肖像』の細密な描写―見る者を引き込むような黒々とした瞳(まるで生きているかのよう!)、外向きにはねた柔らかそうな髪の質感、

そして『道路と土手と塀』の、ぐわーんとこちらに迫ってくるかのような坂道の不気味なまでの迫力、空の青と坂道の黄土色の強烈なコントラストは息をのむほどで、ただただ圧倒されます。

わたしはしばらく、その場を離れることができませんでした。(本当に)

 

 

わたし、今回はじめて知ったんですが、

岸田劉生って38歳で亡くなっているんですね…

 

劉生は30歳過ぎから、京都でのお茶屋遊びにはまってしまい、

また、熱心に絵画(骨董)収集をするようになったそうで、

「絵を買うためのお金を捻出するために、絵を描く」という、

ある意味、本末転倒な状況に陥っていた時期があったそうです。

(画風もまったく変わってしまい、

今で言う「ヘタウマ」みたいな絵を描いたりもしています)

 

その後、周囲の支持者の援助もあって満州に渡り、再起を期しますが、

(パリに行くための費用を稼ごうと考えていたそうです)

結局、満足のいく結果を出すことはできませんでした。

そして帰国後、山口県で亡くなります。

 

最期の作品『満鉄総裁の庭』は、原点回帰したかのような色鮮やかな油彩画で、

もし、彼がもっと長く生きていたら、どのような作品を描いたのだろうか?

常に画風を変えつづけていった彼のことだから、

また、思いもよらぬ変容を遂げたのかもしれない…と、考えずにはいられませんでした。

 

恥ずかしながら、わたし、日本の画家についてはあまり詳しくなくて、

美術館巡りが好きなパート先の先輩から「すごくよかった」と聞いて、

「じゃあ、行ってみるか」と軽い気持ちで訪れた美術展だったのですが、

濃密な時間を過ごすことができました。

そんなに興味のない画家(この書き方、ちょっと失礼ですね…劉生さん、ごめんなさい!)の展示って、逆に新鮮で面白かったりするんですよね。

 

 

右側の2枚の写真は、今回のグッズ(クリアファイル)の表と裏です。

しりあがり寿さんのイラストですって。

うまいことアレンジしますよね~

このイラストの岸田劉生はとっても幸せそうで、心が和みます。

 

先週、オット(わたしのパートの休みに合わせて有休をとってくれた)と一緒に、

Bunkamura ザ・ミュージアムで開催されている「みんなのミュシャ」展に行ってきました。
 
ミュシャの展覧会は昔、まだオットと結婚する前、デートで行ったことがあり、
当時は喫煙者だったオット(その時は彼氏でしたが…)が、
“JOB”のポスター・イラストが掘られた、シリアルナンバー入りのジッポライターを記念に買っていたことが印象に残っています。
 
ミュシャの展覧会は、割と頻繁に開かれている印象があるのですが、
(確か昨年くらいにも、新国立美術館でやってましたよね)
 
今回の企画は「ミュシャからマンガへ」というサブタイトルからもわかるように、ミュシャの絵だけでなく、
彼の作品に影響を受けたアーティスト(イラストレーターやマンガ家など)の作品展示もあり、
 
わたしが学生時代に好きでよく読んでいた、少女マンガ家の松苗あけみや山岸凉子のカラー原稿もみることができて、
なるほど、こういうみせ方もあるんだなぁと感心しました。
 
(なお、わたし、山岸凉子について、
ビアズリーの影響を受けていることは知っていたのですが、
ミュシャの影響も受けていたことは知らなかったので、ちょっと意外でした。
 
まあ、確かに、言われてみれば『アラベスク』のイラストなんかは、ミュシャっぽいんですよね。
わたし、『アラベスク』の単行本持ってたんですけど、全然、気づいてませんでしたよ…タラー
 
イギリスやアメリカのレコード・ジャケットやロック・ポスターの展示もあり、
「こんなところにも影響を与えていたのか」と驚きました。
なかなか面白い企画だと思います。
 
そして、ミュシャの絵はどれも、
うっとりするくらい美しくて、繊細で、みていて癒されました。
もう、ため息がでるほどでした。
 
写真撮影可のコーナーがあり、そこは少し混んでいる時がありましたが、
それ以外は、自分のペースで観賞することができたので満足ですラブ
(サラ・ベルナールをモデルに描いた有名なポスターの数々も、心ゆくまで堪能することができました)
 
 
 
 
わたしは基本的に、美術館にはひとりで行くことが多いのですが、
誰かと一緒に行くのも、感想を言い合えて楽しいものだなと思いました。
 
子供が生まれてから、夫婦だけで美術館に行ったことがなかった(家族で行ったことは何度かあるけれど、オットとふたりだけで行ったことはなかった)ので、
たまにはこういうのも、デートみたいでいいかもしれないなと思いましたラブラブ
職場でちょっと面倒なことが頻発していて、精神的にも少し疲れていたんですが、
よい気分転換になりました。
(絵をみたあとは、ヒカリエでランチして帰りました)
 
 
 
 
グッズの数々…
色々と買ってしまいましたてへぺろ
 
やはり、ミュシャの絵はグッズに向いていますよね~
どれも素敵で、ミュージアム・ショップで何を買おうか迷ってしまいました。
 
(ちなみに、クリアファイルと栞は、
職場で仲良くしている人へのおみやげです。
ミュシャの絵ってアクが強くないから、
贈り物にも適してますよね。
これがエゴン・シーレとかだと、
ちょっと贈るのがためらわれるんですよねぇ…アセアセ

先週の火曜日、

電車とバスを乗り継いで、館山城(八犬士博物館)に行ってきました。

 

 

ジロの夏休みの自由研究のテーマが“「南総里見八犬伝」と千葉県とのかかわり”で、

当初は、本やネットから集めた情報のみでちゃちゃっと片付けちゃおうか(やっつけ仕事でいいか)と思っていたのですが、

 

「小学校最後の自由研究だから、一応、フィールドワークっぽいこともさせておいた方がいいかもしれないわね…」と考え直し、

夏休みも残り1週間をきった8月の終わりに、館山まで行くことにしたのでした。

(なんでそんなギリギリになったかって…?

そりゃ、ジロがなかなか自由研究に着手してくれなかったからですよ)

 

ちなみに、館山城を選んだ理由は、

南総里見八犬伝ゆかりの地は千葉県内に何か所かあるのですが、車がないと厳しそうな場所が多くて、(なにしろ我が家は、自動車を保有していないものでね…)

公共交通機関オンリーで気軽に行けそうな場所が、館山城くらいしかなかったのと、

館山城には「南総里見八犬伝」の資料展示のある資料館が併設されていると知り、それなら「一粒で二度おいしい」じゃない!と思ったからでした。

 

で、まずは内房線で館山駅に向かったのですが、

君津駅を過ぎたあたりから、景色が明らかに「田舎」になってきまして、

 

双子たちは(乗客もまばらな)車内で、

「田舎だな」

「こりゃ、完全に田舎だな」

と、しきりに繰り返しておりました。

 

そして、車窓から海や山をながめながら、

(子供たちは、海辺の別荘地に「お母さん、すごい豪華な家があるよ!」「お母さん、ここに引っ越そうよ!」と大興奮しながら)

館山駅に到着…

 

今度はJRバスに乗り、「城山公園前」というバス停まで行きました。

(頑張って朝早くに家を出たので、10時には「城山公園前」に着けました)

 

館山城は、公園内のなだらかな坂道をしばらく登ったところにあります。

 

この日は晴れていて、そこそこ蒸し暑い日だったのですが、

お城の望楼から外の景色をながめていると、吹き抜けてゆく海風がなんとも涼しく、

心地よかったです。

 

八犬伝博物館も、「南総里見八犬伝」について子供でもわかるよう展示してくださっていて、

そのうえ、子供用のパンフレットなんかも置いてあったので、

「こんなことなら、もっと早く来ておけばよかった…」と思いました。

(まあ、でも、繰り返しになりますが、

ジロがなかなか自由研究に取り組んでくれなかったから、仕方ないんですけどね)

 

で、2時間半近く時間をかけてわざわざやって来たのだから、色々と公園内を散策できればよかったのですが、

双子たち、この日は午後3時から習い事が入っておりまして、あまりのんびりできず…

(なんでそんな日に行ったかって?

そりゃ、わたしのパートが休みで、尚且つ、自由研究を仕上げるのに間に合いそうな日が、

もう、この日しか残っていなかったからですよ…)

 

とりあえず館山駅に戻ろうと、バスの時刻表をチェックしてみたら…

 

なんと言うことでしょう…

 

11時台と12時台のバスが、1台もなく…

 

仕方なく、徒歩で30分近くかけて、館山駅まで戻りました…

(「タクシー」という言葉は、わたしの辞書にはなかった)

 

そして、せっかくだからと、

お昼ごはんに何か館山グルメをいただこうかと思ったのですが、

 

駅の近くのお店で、

「館山らしいもの」を食べられそうなところを見つけることができず。

 

(しかも、ネットで調べた美味しいと評判のパン屋さんに行ってみたら、

「本日定休日」の看板…)

 

駅のすぐ隣に、くじら肉を使ったメニューを出している小さな食堂があったのですが、

そこも満席…

 

ただ、その食堂がお弁当も作っていたので、

房州名物「くじら弁当」を買うことにしました。

 

 

タロは、くじらそぼろとくじら大和煮をふんだんに使った「元祖くじら弁当」

ジロとわたしは、【懐かしの給食の味】と銘打った「くじら弁当 竜田揚げ」

 

帰りは電車ではなく、その名も「南総里見号」という高速バスに乗ることにしたので、

バスの中で、のんびり駅弁をいただくことができました。

(朝は非常にスムーズに電車で館山駅まで行けたのですが、

お昼の時間帯は、館山駅発の電車が1時間に1本しかない上に、

地元の駅に帰るための電車の乗り継ぎが、どうもめんどうなことになりそうで…

それなら、高速バスで帰ろうということになった)

 

なお、この「くじら弁当」

どちらもすっごく美味しかったです!!

(註:タロのお弁当も、少しわけてもらった)

 

大和煮は、まるで牛肉の大和煮のようだったし、

竜田揚げは(わたしには)鳥の竜田揚げと区別がつきませんでした。

 

くじらと言われなければわからない…

と言うより、

くじらと言われても全然わからない、と(わたしは)思いました。

 

わたしは給食でくじら肉が出ていた世代なので、

小学生の頃、くじらの料理を食べたことがあるのですが、

今回のお弁当のくじら肉は、その当時、食べたくじら肉の味とは全然ちがったので、

ホント、びっくりしました。

 

昔はもっと、味に、独特の変なくせがあったように思うんですが…

 

調理法が違うのか

 

くじら料理も進化しているのか

 

館山駅の「くじら弁当」、おススメです。

(ただ、やはり、好みはあると思うので…

もし、皆さまのお口にあわなかったらごめんなさい)

 

なんともあわたただしい館山城への小旅行でしたが、

わたし、館山って行ったことがなかったから、

ジロの自由研究のおかげで行けてよかったです。

 

行きの内房線で見た、

海沿いの駅(ちょっとうろ覚えなんですが…竹岡駅とか安房勝山駅とか?)周辺の景色がなかなか素敵だったので、

「いつか行ってみたいな」とも思いました。

 

夏休み最後のよい思い出となりました。

 

そして、完成した自由研究…

(基本的にはネットからの情報のコピペです、はい…)

 

 

 

一部拡大(このあたりが、館山城に行った成果ですかね)

 

 

…ちなみに、自由研究の中でも少し触れているんですが、

八犬伝博物館の中に、八房(犬)と八房を育てたタヌキの像がありまして、

 

 

これなんですけどね…

 

この写真じゃわからないんですが、

赤でマルしたところ、

 

「たぬきはもってかえらないでください」

 

って、書いてあるんですよ。

 

過去に誰か、持ち帰ろうとした不届き者がいたんですかね…?

 

子供たち、大いにウケてました。