推しの全てを知りたいか、について。

昨日、僕の気持ちを書きました。



そんでまあ、色々な意見やら何やらを見て、

ふと思ったことがあって。



推しは全てを知って欲しいのか?



今日はこれについて書いてみたいと思います。



とは言ったものの、僕は何者でもない、

ただの一般人なので。


演者の気持ちは想像することしか出来ません。


だからこれから書くことは、

的外れなものかもしれません。



読んでどう感じるかは、

昨日の記事以上にお任せです。



ただ、伝わったらいいなぁと思います。

出来るだけ沢山の人に考えて欲しいことを、

精一杯頑張って書くので。



それでは、最初に結論を書きますね。



全てを知って欲しいと思っている演者の人は、

いないんじゃないかなぁと思います。



少なくとも、僕が見てきた人たちの中には。



ここからは、その理由を書いていきます。


そしてこれから書くのは個人的な意見です。

そこには僕なりの強い想いがあります。


なのでいつも以上に強い表現で、

今日は書いていこうと思います。



それが皆にとっての正解かはわからないし、

演者の本音は違うかもしれないですけど。



それでも僕なりに考えて出した答えが、

誰かが何かを考えるキッカケに。


なったら嬉しいです。



ということで、興味のある方だけ続きをどうぞ。




演者が皆に好かれる存在になるために、

皆の声に耳を傾けて頑張れるのはなぜか。



きっと、それが仕事だからです。



仕事だと割り切って嘘をついて演じてる。

いや、時に本音を隠しながら演じてる、かな。


こう書くと、何だか悪いことみたいですけど。



でもそれって自分に置き換えると、

本当に当たり前なことで。



オンとオフがあるから、

人は生きていけるのです。


仕事だから我慢出来ることは沢山あって、

プライベートで同じ我慢とか、出来ません。



みんなの前で、演者は言うでしょう。

「みんな」のことが好きだと。


でも、そんなわけないのです。

嫌いな人だって絶対います。


それでも、演者は伝えてくれます。

「みんなのことが好き」だと。


演者になっているときだけは、

心の底から本当に本気で。



だってその瞬間のあなたはあなたではなく、

演者と一緒に空間を創る存在だから。



あなたをあなたとしてではなく、

ファンとして認識しているのだから。



ファンは良きファンを演じ、

演者は良き演者を演じる。



そうして創られた空間はキラキラしていて、

遊園地みたいな楽園だったりします。



演者は演者として。

ファンはファンとして。


本気で好きだと言い合える。

言い合えていると感じられる。


それで十分だと僕は思ってます。



演者として見ている世界でファンに対して、

好きだと思う気持ちがゼロだったなら。


そこに説得力は生まれないですもん。




さて、ここからはもう少し掘り下げてみます。



先ほど、仕事だからだよ、と書きました。


でも仕事として取り組んでいる中に、

たまに素の部分が見えることがあります。



そしてその人の情報に触れる機会が増えるほど、

素の部分を感じる機会も増えていきます。



積み重なってカタチになった想像は多分、

ほとんど真実に近いものになります。



でもそれが真実に近くなるほどに、

そのことを誰かに伝えるという行為は、

演者にとって嫌なことではないのか?



ということは、考えるべきだと思うのです。


いや考えるべきというか、何だろうな。


好きな人が悲しむかどうかを気にしない。


そうなったらそれはもう好き…なのかな?



仮に100%の真実に辿り着いたとしても、

ファンは代弁者にはなれません。


発信出来るのはあくまで自分の意見であり、

想像でしかないわけですから。



自分の言葉を演者の言葉にしてしまうのは、

あまりに無責任だと思います。



素の部分も好きになってしまう。

ありのままを好きになってしまう。


1人の人間として、自分はこの人が好きだ。



そう感じる気持ちはきっと本物です。



でも、でもね。



どれだけ素の部分を掻き集めてみても、

それはやっぱり本人とは似て非なるものです。



だって本当に決定的にマイナスになることは、

絶対にこちらには届かないですもん。



演者という偶像を。

一緒に創るその存在を。


否定したり、壊したりは出来ないので。



やっぱりどこまでいってもね、

演じて創りあげた存在と、それをする人は、

別の存在なのだと思います。



少し話がそれますけど、別の存在だから、

結婚とかも難しくなるのかなって。



切り離された存在だった演者の素の部分が、

結婚という形で合体してしまうわけですから。



そりゃ、上手く処理出来ないよなぁって。



だからいっそ公表しなければ…とも思います。


結婚したのは演じていた存在ではなく、

演者の素となる存在なわけですから。



まあでもそれは、結婚した後になっても、

同じ存在を演じたいと思えるなら、ですけど。



何だろうな、つまり何が言いたいかと言うと。


演者には演者として幸せを感じて欲しくて、

でも素の存在にも幸せになって欲しいのです。



オンもオフも、どっちも幸せになって欲しい。

個人的にはそうなることを願っています。




すみません、話を戻して最後にもう1つだけ。



昨日から書いてきた全てという表現の危うさは、

演者が嫌がることも含んでしまうところです。



例えば、演者の住んでいるところ。

芸名を使っているなら本名。

家族の写真や、忘れたい過去など。



それを探して共有したりすることを、

演者は喜ぶでしょうか。


それらを知ることが出来たら嬉しいですか?



僕はそれらを嬉しいと思える感情のことを、

好きと結びつける人のことは嫌いです。



演者はそれを喜ぶか。



そんな言葉を盾に、矛にしたいわけではなくて。


想像する世界を共有出来ない人とは、

仲良くなれないという話です。



そしてこの手の話で難しいのは、

話題になると無関心な悪意と結びついて、

無駄に拡散されたりすることです。



不快な思いをツイートするだけで、

何かあったのかなってなったり。



そこに至る情報が含まれてると、

逆に興味を引いて拡散されたりします。



でも、怒ることも大切な気もします。



正直言ってどうするのが良いのか、

いまだによくわかりません。



話題にすることで拡散するなら話題にしない。

絶対辿り着けない表現にしたりする。


そのくらいしかないのかなぁと思います。



と、いうわけで。


めちゃくちゃ長くなってしまいましたけど、

演者には、知られたくないこともきっとある。



今日、それを強く感じたので、

僕の気持ちを書いてみました。



それが大事なことなのかどうかは、

多分、人によります。



基準は自分の中にある気持ちでいいので、

演者は嫌かもと、自分が感じたらどうするか。



改めて、色々な人に考えてみて欲しいです。

僕自身も、改めて考えたいと思います。



お読みくださりありがとうございました。