誰かを見て凄いなぁって感じる時。
その裏側にはどんな気持ちがあるのかな。

今回はそんなことを考えてみました。


誰かを凄いなぁって感じるということは、
その人がしていることについてその人よりも、
出来ない、頑張れない、頑張れなかった。
そんな気持ちがあるのだと思います。


そこで残した結果や、示せた行動について。
関わった時間の長さ等を軸にして比べることで、
凄いとか、凄くないという感情が生まれて。


まだ小学生なのに?
こんなことが出来るの!?

凄い!!!

とか。


まだ関わって少ししか経ってないのに?
もうそんなに仲良くなってるの!?

凄い!!!

とか。


仕事なら理解の早さ、終わらせる早さだったり、
遊びなら、時には使ったお金の額すらも。


誰かと自分を比べて感じる、
凄いなぁって感情の裏側には。


“劣等感”も存在することが多い気がします。
それに比べて自分は…みたいなね。


ただ、そんな感情を抱いてしまうのは、
「相手と自分を同じ立場だと思っている」
ことが前提な気はしますけど。


性別が同じだったり、年齢が同じだったり。
仕事が同じだったり、同期だったり。
両親が同じだったり、学校が同じだったり。

枠を広げれば、同じ人間なのだから。

あの人が出来て、自分が出来ないことに、
人は劣等感を抱くのだと思います。


そんな劣等感から自分を守るバリアがあって、
僕はそれを使って生きています。

その名も“同じではないバリア”です。


あの人と自分は違う。
だから比べても仕方ない。


そもそも、ピンポイントで比べるのはズルい。
Aについては負けてるけど、Bでは勝ってる。
だから、トータルでの勝負なら負けてない。


みたいなね。


人生は誰かと比べるものではない。
誰もが特別なオンリーワンなのだから。

そんな歌が流行りましたね。

そう在れたら理想だなとは思うのですが、
同時にそれは無理だろうなとも思います。


なぜなら、誰かに勝っていると思える瞬間は、
最っ高に気持ちがいいからです。


同じ人間という括りの中で。
自分の方が優れているという感覚。

それを実感する瞬間を求めるのはもう、
本能に近いものだと思います。
部活、勉強、友人、恋愛、仕事などなど。

ずっと誰かと競争しながら生きてきたから、
そうなってしまったのかも、ですけど。


誰もが自分が勝ってると思ってる状態。
そうなれたら一番いいんですけどね。

皆が特別なオンリーワンだと思ってる状態…?

あれ、やっぱりこれが理想な気がしますね。
捉え方の問題なのかな?まあいいや。


そんな優越感や劣等感はリアルだけではなく、
SNSで繋がる人間関係においても。

切り離せないものだなぁと思います。


ツアー全通してる!?凄い!!!とか。
CD何枚積んでるの?凄い!!!とか。
座席最前列じゃん、凄い!!!とか。


ちょっと探せば凄いのオンパレードです。
ただ、SNSとリアルでは違うとこもあって。

凄いですね!の中身までは伝わらないのです。

凄いですね(羨ましい)
凄いですね(ドン引き)
凄いですね(憧れる)
凄いですね(負けてられない)

リアルだと表情とか反応のニュアンスで、
何となく伝わる微妙な違い。

それがTwitterとかではあまり伝わらない。
ような気がします。


この話は掘り下げてくと怒られそうなので、
この辺でやめときますけど。


相手の年齢も性別も経済状況も何もかも。
わからない、知らない状況の中で、
行動だけを見ても凄さはわからない。

僕はそう思ってます。
目立ちたいだけなんじゃない、とか。
その行動に何の意味があるの、とか。

そんなことすら思ったりすることが…
おっと、これ以上はやめときます。

別にそれを楽しむことを否定はしませんけど、
そこに劣等感を抱くことは無いんじゃない?
なんて思うことあったので。

不快に思った方がいたらごめんなさい。


そこにあるのがどんな欲であっても、
多分それは演者の活動に繋がるわけですから。
感謝の気持ち、沢山持ってます(本当ですよ)


最後にもう一つだけ。

じゃあ、演者に向けての凄いには、
どんな感情が込められているのでしょうか。


そこには多分、劣等感は存在しません。
だって同じだなんて思ってないですから。

自分とは違う特別な存在だって思ってて、
特別だから凄いんだって謎な理論があって。


その凄さすら想像出来ないほどの凄さみたいな。
漠然としかわからない凄さみたいな。
だから劣等感というよりは憧れ、みたいな。


でも、演者だって同じ人間なわけで。


凄いのは才能があるからかもしれなくて、
スタート地点が違うのかもしれないですけど。

それでも、間違いなく。
頑張ってるから、凄いんだと思うのです。


そしてその頑張りを感じた時に抱く気持ちは、
僕は“劣等感”であって欲しいなと思います。

その人より頑張れていない自分の背中を、
押してくれる“劣等感”であって欲しいなって。


その気持ちは自分を成長させてくれるし、
演者に甘えることなく、依存することなく、
一緒に歩いていく原動力になる気がするので。


だから無謀にも同じなのだと。
演者も自分も同じ人間なのだと。

そんな目線でいたいなと思いますし、
背中を追いかける自分で在りたいです。

虎の威を借る狐、ではなく。
凄いなぁ、で終わりにするのではなく。


お読み下さりありがとうございました!