誕生日っていい思い出がない・・とは今まで祝ってくれた人達に悪いので言いたくないが思い出すのは小学生の時実家で誕生日会を毎年していたんだけれど、ある年の誕生日会の出来事についてのお話です。
小学生何年生かは忘れたが、{たぶん低学年}仲のよい友達5・6人と家でお菓子やケーキを食べて遊び、わいわい楽しむのが毎年の恒例であった僕の誕生日・・仲のよい友は毎年変わるわけでもなく大体決まったメンバーで行われていたんだけれどその年は今でも引きずる出来事があった
その年はクラス替えなどもあり普段学校で仲良くしていたグループが周りでも再編成され放課後遊ぶ面子も多少変わった年でした。とはいってもグループの基本メンバーに大きく変わりがあるわけでなくA君がいなくなってB君が入りました的な程度で、それもそのはず今まで将棋などのどちらかというとインドア派の子が急にドッチボールやキックベースをやり始め泥んこになって家に帰るとかはたまにはあっても毎日は想像し難く、小学生の放課後の遊ぶメンバーは大体毎日同じ事をまるで仕事かと思うぐらいきっちりこなしていた。僕はドッチボールや釣りをするメンバーといつも遊んでいてその年も7割ドッチ2割釣り1割その他みたいな小学生だったと思う。ただ先ほども書いた通りその年はクラス替えがあり今まで遊んだことの無い奴と遊んだりもしてドッチボールなどをすると変わった投げ方や妙にディフェンスが上手かったりする奴がいるといつのまにか他の遊びでも一緒に遊んだりしていた。そしてそのなかに僕たちの中にはいないすばらしい運動神経の子が其の年現われた年でもあった。その子はぼく達ができないような事ができ、みんなそのまねをして怪我をしたりしていた。前・後転など時代は光genjiだったせいもありみんな夢中になりその子にやりかたなど教わりその子の家にいって練習していた。後になって分かったのだがその子の家は家に柔道場があり、とはいっても柔道教室を開いているわけでもなく家系的に柔道で有名な家の子だったらしい。みんなそこで練習していたんだと思う。僕は家の庭や畳の部屋で練習していた記憶があり、つまり僕はその子の家には行ったことがなく周りから見れば僕とその子が仲よくしているようには見えなっかったと思う。そしてなによりその子は人格もすばらしく小学生低学年に人格という言葉を使うのもなんだが、とにかく礼儀正しく喧嘩などしているところをみたことがなっかった。僕たちのグループはイケイケドンドン前から気にいらん奴らが歩いてくるだけで喧嘩をふっかけ喧嘩していた血気盛んなグループ今から思えば無謀なことも多々していて学校ではちょっとした問題児あつかいされるグループだった。保護者からもあの子達と遊んだらだめよレベルだったみたい。とにかく小学生低学年でそんな感じのぼく達の中には合わないその子がその年の誕生日に来た。呼んでないのに来た。その年は例年より多くの子が来て多分15人ぐらい来たと思うが、みんなぞくぞくと家に上がりお菓子を食べて全員集まるまで騒ぎ倒していた。そしてその子がやって来た時に誰かが「えっ、お前呼ばれたん?」的なことを言ってしまったのだ。プレゼントまで用意してやって来てくれたその子に・・現場はちょっとした微妙な空気に包まれ僕も初めて味わう空気に対応出来ず、見かねた母親がなんとかフォローしてくれた気がする。そしてなんやかんやその子も含め家で誕生日会は進んでいくのだがみんな外で遊びたくなったらしく散らかしたまんまぞくぞくと外に出て遊びだし母親が「散らかしっぱなしはだめ、片付けてから行きなさい」といってもみんな無視して外に飛び出して行った。最後に僕が片付けるのだがなんとその子一人が手伝ってくれたのだ。15人が遊び倒した家は片付けるのに相当な時間がかかり結局片付けで誕生日は終わった気がするが、手伝ってくれたその子に僕はありがとうと言えず代わりに母親が片付けているその子を褒めていた記憶があり、毎年ありがとうと言えなっかた自分に嫌気がさし、その子にありがとうと言いたい気持ちになる11月17日の話でした {亡き母親に捧ぐ}